一括払いのすゝめ
こんにちは、こんばんはNEETです。一応、50nlz以下で結果を出せているので、戦略面での記事やマイクロでの戦い方などを書こう書こうと思っているのですがやる気が全くわかないのです。そんな中で今日お金がないという記事があり、僕自身も一時期借金を抱えていた時期があり共感しました。今思えばあの時期のお金の使い方は、明らかにおかしかったです。今回借金の作り上げ方を書いていこうと思います。この記事を反面教師として使ってください。
終わりの始まり
トロントにて
カナダに飛ぶ前からポーカーでお金を稼ぎたかった僕はトロントにポーカールームがないと知り絶望した。あるのはナイアガラの滝、トロントからバスで二時間だ。
当時レストランでバイトをフルタイムでしていた。11時から始まり遅い日で0時に終わる。しかも、英語が話せない僕は掃除が主な仕事である。つまり、力仕事だ。毎日くたくたになりながら休みの日にナイアガラに往復4時間かけていくのはしんどすぎる。僕は仕事をしたくないのとポーカーがしたいのが合わさって三か月で仕事を辞めることにした。
そもそも、カナダに行った当初50万手持ちがあった。4か月~半年ぐらいは節約すれば生きていけた。しかし二か月で手持ちがゼロになった。そう、スターズ10nlzで1500ドル飛ばしていたのだ。語学学校を一か月で行かなくなり、自室でポーカーをやり続けた結果がこれだ。始まりから間違えていたのだ。そして仕方がなくレストランで働き始めた。
三か月、つまり11月に辞めますといった。同僚と遊ばずに3000cad貯めていた。そして25nlz 10万ハンドチャレンジで300ドルのプラスを出した僕は余裕で勝っていけると思っていた。完璧に勘違いしていた。25nl勝てようが500nl勝てようが、資金がなければ始まらないことを知らなかったのだ。
辞めた後、元職場の人と飲みに行きまくった。めちゃくちゃ楽しかった。残金は2000ドルに減った。
ナイアガラ生活 リボ神との出会い
一月にナイアガラへ引っ越した。家賃は500cad。デポジットで最終月の分まで取られた。残高1000cad。Mac bookが壊れた。パソコンを自作した。1000cadかかった。残高は0になった。始まる前に終わってしまったのだ。
奇跡的にスターズに500ドル入っていた。その500ドルで1200ドル、CADにして約1500。僕はもう余裕で勝てると思った。すべてキャッシュアウトしてカジノに通った。3000ドルまで増やすことに成功した。それもそのはず、生活費、uber、家賃すべてをクレジットカードで賄っていたのだ。支払額約10万。ぼくはそのままリボ払いに回した。
リボ払いは神であった。10万の支払いが1万となったのだ。なんだこの素晴らしい機能はと驚いた。世の中の貧乏な人に、リボ払いを教えてあげたい。その後、2月のWPT Niagara falls で調子に乗った僕は、普段打たない2-5を打った。3000ドル溶けた。破産だ。
友達の結婚式で日本に帰らなければいけなかった僕は、飛行機代10万、2月の生活費5万リボ払いにした。もうすでに約25万の借金だ。ただ気にすることはなかった。なんせ月の支払いは1万。残りの24万は闇に消え失せていた。
残金がなかったので仕方がなくシェアハウスのオーナーに仕事を紹介してもらってお土産屋の仕事についた。月約130時間、1600cadぐらいもらっていた。三月の初給料でまたカジノ生活を始めた。目茶苦茶勝った。三月末、気づけば手持ちは6000cad。生活費すべてリボ払いに投げた。月の支払いを3万にしておいた。カード会社はなぜか限度30万を50万にした。20万もくれたぞ!僕はそう思った。
4月末あたりには2-5を打っていた。1-3のウエイティングが長すぎてやる気を失せていたからだ。そこでも勝ってしまった。もはや手持ちは10000cadを超えていた。しかし、この資金を減らしたくなかった僕は3万の支払いを増やしたりしなかった。いつか返せばいい、そんな考えであった。6月からラスベガスでWSOPがあるとの情報を知った僕はちょうどビザが切れる期間であったため、日本に帰る前に行ってみようと思った。この考えが間違いであったのだ。
破産
手持ちの10000cadを換金し、7000USドルを手にした僕はラスベガスへ飛んだ。ホテルはオーリンズ、11日間のホテル代、リゾートフィー、飛行機代、uber、ご飯で約20万使った。もちろん支払いはクレジット。気分は無料。ホテルも飛行機もご飯もすべて魔法のカードで0円。月に3万払うだけで使い放題。最高の気分だ。
この時点でjcbとVISAのリボ額が50万。ただ焦ることはない。なにせ手持ちに7000ドル、いつだって返せるのだ。
11日間ひたすらにトーナメントに出続けた。思えば、zoomしかやってこなかった。勝てるわけがない。始まりこそbig 50、150ドルハイパー、ベネチアンの400ドルトナメでインマネした。その後、オーリンズ300ドル、big50フライトC、600ドルバウンティー、ハリウッド600ドル、6max1500ドルと高いトナメすべて滑った。9日間終わって残高500ドル。え、計算が合わない?キャッシュゲームで2000ドル負けた。AAはゴミハン。
残りの二日間ふて寝して過ごした。部屋にいるからベットメイキングが入ってこない。最終日の夜、警察が来た。なんでも数日間メイキングしていない部屋には、薬、自殺の調査に来るのだ。金もねえのにどうやって薬を買うのか、切れそうになった。英語が話せないので笑顔でOKと答えてた。あいつは一生許さない。
気づけば残高200ドル。バンクーバーに寄っていたので、カード支払い残高60万。こうして23歳無職借金60万が出来上がったのだ。
帰国 再生
六月後半、かろうじて致命傷程度で日本に帰国した。正直絶望していた。気を紛らわすかのように、パソコンのメモリを32GBにグレードアップして、preflop solutionsを購入した。もちろんリボ払いだ。70万に借金が増えた。もはや、楽しいまであった。
週12時間だけ働いて他の時間は全てポーカーした。6000ドル勝って4000ドル減らした。プラスのはずなのに精神はボロボロ。借金返すためにポーカーとか正気の沙汰じゃない。気づけば、パソコンを置いている棚が壊れた。なぜかは想像してほしい。
8月になって、精神に異常をきたしたのでバイトを増やすことにした。平日は2時~9時。休日は13時~2時と13時~22時。厳密には他の時間帯も出ていた。月に約250時間労働。残業90時間、バイト先に住んでいると言われた。もはや社員よりも稼いでいる。その中で月に5万ハンドこなし、筋トレを週2~4日通っていた。ポーカー辞めて、就職したほうが楽である。
そのかいあって3か月、つまり11月には借金が0になっていた。今となっては同世代よりかは貯金(資金)があるはずだ。ただ、正直6月から今までの期間無駄であったと思っている。この期間ポーカーを多めにできていれば、100nlzぐらいは勝てるようになっていたと思う。これを読んで、僕と同じようなお金の使い方にならないように願う。
最後に
リボ払いはやばい。
トーナメントは楽しい。しかし、資金がないと死ぬ。
経費は頑張って抑えよう。
自分にあったレートを打つこと。
これを駆け出し専業は守ろう。僕との約束。
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