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【告知】「責任」は誰に対するものか?【限定キャス】
グーグルフォームより、以下のご質問をいただきました。
今回はニー仏さんの「責任論」とでも言えるようなものがありましたらお聞きしたいと思い、質問を投げさせていただきました。
先日のYouTubeライブ(『ストローマン人文学、「自分の頭で考えろ」問題など』)や8月のnoteなどを読み、哲学や規範と信じることと責任の緊密な関係性について思いを巡らせています。
その中で、ニー仏さんが使われる責任という言葉は主に個人的で自己に向けられていると感じます。一方で、私の経験上(といっても日本での日常生活のみですが)では、責任とは他者と所属する集団に対して向けられるものであるように感じます。
レヴィナスなどの哲学的な(倫理学的な?)議論や憲法的な議論の影響を受けた「責任」の使い方なのかなとも想像します。現状で意味もお話も通っていますが、ニー仏さんにおける責任観をまとまった形でお聞きできれば、より明晰な形でニー仏さんのお話を理解できるのではと思いました。
よろしければニー仏さんの責任論や責任観についてキャスでお話しいただけると嬉しいです。
「ニー仏の責任論や責任観について訊きたい」ということがご質問の趣旨ですが、とりわけ問題とされているのは、「責任は自己に対するものなのか、それとも他者に対するものなのか」という点ではないかと思われます。
実は先日の限定キャスでも、具体的な事案を例にとりながら、「責任というのは社会や制度との関係で、いわば『要請』されることによって発生している面がある」という話をしたばかりではあるのですが、他方で私は、「信じるというのは責任を取ることだ」という小林秀雄の言葉をしばしば引用したりもするので、そのあたりの関係が不分明だと感じられたのかもしれません。
そんなわけで、せっかくご質問をいただいたことですし、「責任」について私の考えるところを、限定キャスにてお話ししようと思います。ただし、もちろん「責任」というのは、それだけで本が何冊も書けてしまいそうな一大テーマでありますから、あくまで私がふだん書いたり話したりしていることとの関係で、この問題について補足的に述べておいたほうがよさそうなポイントをいくつか挙げるという、多少雑駁な内容になってしまうことはお許しいただければと思います。
限定キャスの開始は、例によって本日の21時頃からです。ツイキャスアプリを使用されている方は、そちらから放送開始の通知がされるかと思いますが、ツイートでも告知は致しますので、そこから放送ページに入っていただくこともできます。
また、限定キャスの視聴にはパスが必要になりますが、これは下掲のエントリから取得できますので、入力してご視聴ください。録画も同じパスで視聴できますが、できればリアタイで放送にご参加いただいて、コメントなどもいただければ、私のほうもそれに応じて話を広げることができますので、たいへん助かります。
ということで、本日の21時より限定キャスにてお話ししましょう。どうぞよろしくお願い申し上げます。
※追記 放送終了しました! ご視聴&コメント感謝です!
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