「被害者はこっちだ」合戦からは、たぶんしばらく逃げられない
とにかく自分が「○○された」側であるということを先にアピールしておかないと、積極的な主張が何もできないという症状は、やはり己の受動性を強調することで、「私の言説が誰かを傷つけても、それは相手方の問題である」と言えるようにしておきたいという、責任回避の心理からきているんでしょうね🐈⬛
— ニー仏 (@neetbuddhist) August 23, 2022
「皆が『被害者』の地位を主張して、下から他人を殴るのが当たり前になると、そのうち『被害者だから何なんだ』と言われるようになりますよ」という話は昔からしていたが、最近は属性カードバトルで「同格」の「被害者」たちが衝突して相互ブロックみたいな事態が多発しており、本当に世もまつタピね🐣
— ニー仏 (@neetbuddhist) August 23, 2022
「私(たち)は◯◯された側であり、被害者である」という自己規定を前面に出しつつ言説闘争を行おうとする victimhood cultureの戦略は、いまや日本でもSNS等で毎日のようにその実践例を観測することができる。これに対して、「むしろあなた(たち)は加害者なのであって、こちらこそがあなた(たち)に◯◯された被害者なのだ」と訴えるという、いわば「victimhood返し作戦」による対抗言論がなされることも、日々当たり前に見かけるようになった。
このような言説戦略に対しては強く批判的な態度をとる人々も多く、とりわけ「victimhood返し作戦」については、「相手方の土俵に引きずり込まれる結果になるだけで、愚の骨頂」といった厳しい評価がなされることも少なくない。だが、個人的には、こうした victimhood cultureに基づく闘争を仕掛けられた側が、その文脈に乗らずに対抗言論を展開することは、基本的に困難なのではないかと思っている。
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