子供に関するナイーヴな理想化の底にあるもの
『仏教と儒教』を読んでいたら、「なお迷人の方に依るが故に迷うも、もし方を離るれば、則ち迷いあることなきが如し」という『大乗起信論』の有名なフレーズを見ることになり、そこから本覚だの不覚だのといった用語のことも、懐かしく思い出すことになった。いわゆる本覚思想と「ありのまま」信仰の関係といったことについては、大昔に色々と益体もなく考えを巡らせていたこともある。
そんな楽しい読書会の余熱も冷めやらぬまま、ふとツイッターを眺めていたところ、「そういえば日本の一部の(?)人たちが懐いていると思われる、子供というものに関するファンタジー、その根拠なき理想化という不可思議な想念の淵源としても、こうした東アジアの思想傾向は一定の機能を果たしているのかもしれない」などと、また益体もないことを思いついてしまったわけだ。
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