「ありのままの私」という呪縛――「ありのまま」と関わるための「もう一つの道」について
もう数日前のことになりますが、テレビ番組の影響などもあって、またツイッターで「ありのまま」が話題になったようです。
私自身は、「如実知見(実の如く知り見ること)」を説く仏教の勉強を長くやっていたこともあって、「ありのまま」を認識しようとすること自体には(その事態の内実について丁寧に問う必要性は感じるにせよ)決して否定的な立場ではないのですが、こうした日常会話のレベルで語られる「ありのまま」に関しては、しばしば違和感を覚えることもあります。というのも、こうした文脈における