【単発バイトをして書くエッセイ】人はなぜ怪しい宗教にハマるのか
※誰それが思いつきでかいたものなので、個人の主義・主張はご容赦願います。
私は今日、案内の単発バイトへ行った。
時刻は朝6時。
我ながらよく起きたと思う。
4時10分起床の4時16分ベッドから脱出。
タイミーから申し込んだが、下請けの下請けで社名が
なく、点呼で待機させられ幸先が思いやられる。
2人で取り残されて、お互い今日限りの関係と知りながら軽い会話を重ねる。
見た目は二十代中盤だろうか。
身長が高くぷっくりとした体型で、脂肪に隠れた瞳にも関わらず私の視線には合わせようとしない。
彼もおそらくフレンドリーもどきで、必要のない会話は
仕掛けてこない。
どうせ今日限り、いや、今限り。
今後彼と会うことはないだろう。
所属の会社が判明し、先に行った人たちに合流。
そこで今回のイベントの内容を知らされ、思わず吹き出してしまう。
いかにもな「社団法人」の「朝の集い」というやつだ。
少し自分の携帯で調べてみる。
日本全国で「朝の集い」を行っており、今日は年に2回の
大規模な「朝の集い」らしい。
お偉いさん方は会員から吸い取ったお金で贅沢しているらしい。
怪しすぎる。
舞台は日本武道館。
日本の将来を憂う。
街でみかける宗教系の人々は大体顔に類似性があり、
言葉を選ばずにいうと顔が薄い。
私はそんな偏見を持っており、一体今回でどれだけの
データを集められ、私の偏見を確固たるものにできるかと密かに楽しみにする。
ところがどっこい!
案内をしていると、誰も彼も街中でその辺を歩いていそうな老婦人ばかり!
なんなら私の祖母も混じっていないかどうか不安になる。
しかも老婦人だけでなく二十代くらいの男女や女子高生らしき人まで、、
そこで私は、なぜそのような、「いかにも」なものにはまってしまうのか考えてみた。
過ぎゆく人たちを観察していると、「お久しぶり。」であったり、自分の友人を紹介したりする人々が観測できた。
この光景にとても親近感が湧く。
サークルでよく見かける場面だ。
私のサークルは人によっては約1ヶ月に1回しか会う機会がない人もいる。
しかし、学科に友達などごく少数なので、自分の大学生活の友人関係はその1つのサークルに依存し切ってしまっている。
もしこのコミュニティがなかったら私はひとりぼっちの
大学生。
味のしないガムを4年間噛み続けることになる。
人生で考えたら、今後一生空虚な人生を送ることになるだろう。
そして待っている未来は孤独死。
生に絶望
そんな時に都合よく自分を受け入れてくれる組織が
あったらどうだろうか。
特にリタイア後の老人となると顕著なものだろう。
実際にその法人や宗教の考えを信じているものなど
おらず、コミュニティへの依存で成り立っているのではないか。
友人関係に運のない私も老後は宗教にどっぷりかもしれない。