見出し画像

めんどくさがり屋のひとりごと⑦「不自由な自由の不自由・その2 みんなで仲良う、汗かこか」

入院が決まり、まず最初にしたのは会社への連絡だった。

もしものために持ち出していた社用携帯にて上司にメッセージを送り、「2週間ほど入院することになりました」と伝える。
穴が開いて困るような仕事では無いが、社会人として伝えておかないといけないことぐらいは判っている。
上司から返ってきたメッセージは、「こっちのことは気にせずに静養してください」――ではお言葉に甘えようじゃないか。
そうして、私は急に決まった2週間の休暇中の頭から仕事を埒外に置くことを決めた。
実際、職場の方々は私の不在で申し訳無いほどに立ち回っていただいたので、感謝しているのだが、それに関する話はまた次回話すことにする。

本当ならば即日入院が望ましいとのことだったが、さすがに家に戻って色々整えたい気持ちでいっぱいだったので、翌日からの入院ということで手筈を整えると、入院前の諸々の検査をその日のうちに受けることとなった。

血液、尿、視力、聴力、胸部レントゲン、CT、MRI……そこまでやるのね、と思うほどに検査した。
聴力に関しては、私の左耳の穴が大きかったらしく、使用する耳栓探しと耳栓を填めてもらうことに看護師さんが二人がかりで苦労していたのが印象に残っている。
数日前に金曜ロードショーで「緋色の弾丸」を観ていたせいで、「クエンチ起こらないといいなぁ」と思いながら30分間、時にまどろみながらMRI装置の中で過ごし、その日の検査は終わった。
そのせいか、今まで病院で支払ったことの無いような金額をその日支払い、夕暮れの帰り道を急いだのだった。

自宅の最寄り駅の商業施設で必要なものを買い、必要と思われるものをキャリーケースに詰め、思いっきり自堕落な時間を過ごし……そして翌日。
入院は10時からなので遅刻しないように、そして早く着き過ぎないようにと思いながら駅へ向かう。
朝9時にも関わらず、駅へ向かう道中のバスは混んでいた。
皆働きに出るんだね、私の分まで労働に勤しんでおくれ、賃金は変わらないだろうけど。そう思いながら、吊り革に掴まって車窓を眺める。

傍目からは旅行へ行く人間にしか見えない私、早めの休暇でバカンスを過ごすように思われていたかもしれない。
本当のことを言ったら、憐れまれるだろうか。
こんな時期に可哀想、と。
そんなこと、自分が一番知っているから、他人のあなたに思わないでほしいと思わないでもない。
バスはそんな気持ちをよそに、駅へ着いた。

結局、病院の最寄りに着いたのは9時30分、予想より早く着いてしまった。
ゆっくりと歩こう、徒歩5分だけど、ゆっくりと歩こう。
そう思ったのに、40分には着いてしまった。
遅刻しないのは良いことだけど、もう少しちょうど良い時間に着けないものか。今更言っても遅いが、もう一本遅い電車でも良かっただろうに。
けれど着いてしまったのだから仕方無い。
諦めて病院の中に入って、入院受付に向かう。

諸々の説明を受け、入院病棟へ行く。
ナースステーションは静かで、人見知りにとっては声を掛けることを躊躇する空気を醸していた。
それでも何とか声を掛けると、最初にしたのは身長・体重測定だった。
身長は予想通りだったが、体重は思っていたよりも重かった。
昨日の自堕落がそのまま数字に反映していた。

病室は大部屋、6床あってカーテンで仕切られていた。
担当医の先生の説明が来るまでに、看護師さんからベッド周辺の説明を受ける。
Wi-Fiは無し、テレビは専用のテレビカードを1000円分購入したら15時間観られる、観る時はイヤホンが必須、消灯は9時……まあまあ不自由である。
病院だからWi-Fiが無いのと、他の人も入院しているのでイヤホンは仕方無いとして、テレビカードについてはテレビっ子としては結構な出費となるだろうと思った。

昨日慌てて買ったパジャマに着替え、持ってきた荷物を棚にしまう。
そうこうしているうちに担当医の長澤先生(仮名)がやって来た。
昨日診察をしていただいた先生である。多分、30代。

長澤先生によると、顔面神経麻痺の治療で使うステロイド薬の点滴を5日間1クールとして計3クール(15日間)行い、そこに加えて抗ウイルス薬の服薬や時期を観て顔面のマッサージをしてゆくとのことだった。
15日間、そんな長い間家以外の場所で滞在することは初めてなので、どんな日々を過ごせばいいのかその時点で不安になった。
おまけにコロナ禍で外出すらもままならないので、ひたすらベッドの上で一日を過ごすことになることを覚悟した。

長澤先生と交代するようにやって来たのは研修医の先生。
この人が点滴用の注射を行うらしい。
左腕に止血用のゴムバンドをきつく巻かれ、血管を探す。
されど、腕を探せど血管は見つからない。
そう、私は血管が見つかりにくい体質なのである。申し訳ない。
本当は利き腕じゃない左腕から見つけてもらいたかったが、それは断念して右腕から探す。
されど、血管は見つからない。困った、どうするか。
すると、先生は語った。

「あの……手首見せてもらっても良いですか?」

血管が見つかって点滴の針が通せれば、どこの血管でも良いらしい。
こちらに拒否権は無いので、どうぞとそのまま右腕を横に傾けて右手首の血管が通る側を見せる。
こちらはすんなりと見つかり、安堵した先生によって私の肌に注射針が近付く。
いつものように注射針が刺さる瞬間は目をつぶったまま背ける。
効果があるのか判らないが、こうすると痛みから逃れられる気がするのだ。
それでも痛みはそこにいるのだけれど。
それが終わると、再び看護師さんがやって来て点滴を繋いで行った。
一日4時間の点滴、これが当分の日課となる。

針が抜けないようにテーピングされた右手首は、とてもスナップが効きづらい。
気を付けて動かそうとすると、どうしても窮屈な気持ちで過ごさねばならなくなった。
加えて物を持つと手首にある違和感と鈍い痛みが気になってしまい、いつか抜けてしまう可能性を考慮しながら、その日は過ごすことになった。

持ってきた文庫本の内容も、慣れぬ環境では入ってこない。
どうして、気の重くなるような貫井徳郎なんて持ってきてしまったのだろうか。しかも2冊。
ただ、この読書が一番の暇つぶしになったので、結果オーライではある。

食事も適量出るものの、上手く口が動かないので楽しめない。味もへったくれも無い。おまけに薬の副作用で舌の両端は塩味で溢れている。
そこから食後の服薬を経る。
薬漬けの日々はまだ始まったばかりである。

点滴が落ちている間、読書もテレビも楽しむ気持ちになれなくなり、食後の眠気も相まって、寝ることにした。
だが、ここでもう一つ今後私を苦しめることが起きていた。

部屋が物凄く暑いのだ。

私ならばガンガン冷房をつけるくらいの蒸し暑さだが、私以外の人もいる状況ではそれは叶わない。
恐らく申し訳程度に空調は効いているのだが、位置的には私のベッドにはその恩恵は回ってこない。
おまけに予約制のお風呂の予約はすでに埋まっていたので、その日は汗は流せない。
だから、明日までは汗でベタベタになったまま過ごさねばならない。
私は肉まんにでも転生したのだろうか。
そう思うほどに、汗拭きシートで拭っても不快指数は減らぬ一方だった。

眠ろうとしても、暑さで眠りに落ちられない。
カテーテルに繋がれた点滴の雫もまだ終わりそうもない。
入院生活の始まりは、そんな憂鬱の膜が私の周囲を覆っていた。

何とか目を閉じつつ、回復してきた欲に報いて本を読みつつ4時間後、ようやくその日の点滴が終わって身動きが取れるようになると、私は洗面台に行き、持ってきたタオルを濡らして首元に巻いた。
そのひんやりした感触は、地獄で仏に会った気分だった。

そして就寝前に歯磨きを終えて部屋に戻った時、右手首を視た。
2本の細い線が、肌からぶら下がっていた。
歯ブラシを小刻みに動かしていたせいか、点滴の管が抜けてしまったようだ。
ナースコールで看護師さんを呼んで説明し、一度針を抜いてもらい、翌日改めて針を入れることになった。
やはり、ここに針を入れると生活がしづらいのだな、とそこで再認識した。

そして9時、病院が夜の帳の中へ入る。
とは言え、宵っ張りの私は全然眠くならない。
それでも何とか眠らねばと目をつぶる。眠れない。

暑い……暑い……暑い……うるさい……暑い……うるさい……うるさい……うるさい!!!!!

誰か大きないびきを掻いて眠っている。
時に呼吸が聴こえなくなるので、無呼吸症候群かもしれない。
触感と聴覚が苛まれる。
このまま、軽い熱中症で失神してしまえば眠れるか……と思いながら、また目をつぶる。
いつもと違う環境による就寝だからか、それとも外的要因による阻害からか、その日は……いや、そこから2週間は2時間おきに目が覚めることになるのであった。

タイトルは村山由佳さんの『ミルク・アンド・ハニー』の一節、「誰に何言われてもええわ、もう。二人で仲良う、汗かこか」というセリフをもじっている。
作品自体は官能的で、このセリフもそういうシーンの中で発せられるのだが、その時の私の掻いていた汗は鬱陶しさしか無かった。
そうして、私の一日は終わった。

いくら自分が急ごうとも、24時間の流れは万人に平等に流れる。
そんな自明の虚しさを、私は改めて知ったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?