不連続ノート小説・ないものはない(8)「誰も知らない」
自分はそんなに性格が悪いとは思っていない。むしろ、そんなことを言っている奴らの性格の方がよっぽど悪い。
魚住玲にとって、自分の言動がそんなに非難されるとは思っていなかった。俺はただ、みんなが思っていることを包み隠さず言ってやっているだけなのに。
クリスマスを数日後に控えた小学三年生のある日、サンタクロースの正体が自分の両親だと偶然知ってしまった。普段は入らないであろう外の蔵の中に置いておけばバレないとでも思ったのか、整然としている蔵の中で無造作に置かれた、赤地にモミの木とベル、そしてリボンがデザインされた包装紙に包まれた大きめの箱が、寒い冬の日に寂しそうにこっちを見ていた。
図鑑とかでフィンランドには本物のサンタクロースがいることは知っていたし、サンタクロース自身の存在を疑っていたことは無かったけど、そのサンタクロースが世界中をあんな短期間で回れるなんて、子供ながら無理だと思っていた。だから、その日蔵の中で自分へのものと思しきクリスマスプレゼントを見つけた時、玲はホッとしたのだった。やっぱり、一人じゃ無理だよな、と。
それでも、両親にそのことを言うのは憚られる。自分たちの不手際で息子の夢をぶち壊してしまったと両親が困惑することが想像出来たし、何よりも「どうして蔵の中に入ったのか、入れたのか」と訊かれて、その答えを言うことはしたくなかった。
「入れたのか」の種明かしをしてしまえば、蔵の鍵は居間の和箪笥の一番右上の引き出しの中に入っていることを玲は知っていた。別に鍵を両親が隠していたわけではなく、探し物をしていた時にたまたま見つけただけなので別段後ろめたさは無いけど、両親の知らない「自分だけの秘密」を持っていることには些か優越感を覚えた。何より、鍵の頭に通された紐に「蔵」と書かれたタグが括りつけられているのだから、誰が見てもそれが蔵の鍵であることは一目瞭然である。もっとも、玲が漢字好きでドラえもんの漢字辞典をしばしば読んでいたりしなければ、そんな小学三年生が小学五年生で習う漢字を読めて意味を知っている、なんてことは起こらなかったのだが。
だからその頃、親に気付かれないようにその鍵を使って時折蔵に忍び込んでは、その「秘密」を果たしていた。下校してから共働きの両親が帰宅するまでの時間を蔵で過ごしたりしていたので、玲の両親はそのことを多分知らない。今はほとんど蔵に入ることは無いから、特に彼らに問い掛けることも無いし、たとえ訊かれても、やんわりとはぐらかすだろう。「特別なこと」ではないからこそ、「特別」でありたかったから。
サンタの正体を知ってしまった時も、その「秘密」のために蔵に入っていた。表向き「秘密」でそこにいるので、両親にここにいたことも蔵で見つけたことも彼らの前では口に出さない――彼らの前では。
そうして迎えたクリスマスの朝、目覚めた玲の枕元にあったのは、あの日蔵で見つけた包装紙を身に纏った箱の頭だった。そうしてまた、あの日自分の視たことが現実だったことに気付く。自分でも冷静なほど、包み紙を丁寧に破く。そうして衣を脱がされたプレゼントの中身は、その当時発売が開始していたゲーム機とそれ専用のRPGのソフトだった。
確かに、そのゲーム機が発売するとテレビで知った時に〈面白そうだなぁ〉と父がいる場所でボソッとこぼした。ただ、その時父は〈高ぇな〉と言ってお茶を啜っていたので、お願いしたとしても買ってはもらえないだろうと思っていた。そんな近くの人に聴こえるような声量で呟いてはいなかったので、父の耳にはそれは聴こえてはいないはずである。だから、特に期待もしていなかった。そんな中で、この光景である。
本当なら、「うわ、やった!!!」ぐらいのリアクションをするべきなのかもしれないが、その時に玲が思ったのは、「……どうしようかな、これ」だった。確かにあの時、「面白そうだなぁ」とは言った。言ったけど、「欲しい」とは言っていない。普段ゲームをやらない玲にとって、ゲーム機をもらったところでそれをずっと使うことに望みを持たせることは、結構な絵空事である。百歩譲ってそれを使ってゲームをすることとして、玲が好むのはテトリスやぷよぷよみたいなパズル系ゲームである。しかし、ゲーム機と共に入っていたのは、世界的に有名でプレイヤーがたくさんいるRPGのソフト。正直、一ミリも興味が湧かない。もらったところで、ソフトを起動させて名前を「ああああ」と設定する気力すらも無い。ことわざ辞典に載っていた「宝の持ち腐れ」ということわざは、このクリスマスプレゼントのためにあるのかもしれない、そう思った。
今日は月曜なので本当なら学校だが、一昨日から冬休みに入っている。なのでこのまま布団に潜り込んでいても、誰にも文句は言われない――だが、このまま二度寝する気持ちにもなれなかった。モヤモヤした気持ちにどうしようも無くなって玲が自室から下の居間に降りると、両親はまだ出勤前だった。
〈……おはよう〉
そう呟きながら玲が父の顔を視ると、少し得意げな表情をしている。けれど、こちらを視ずに朝刊をめくっている。照れ隠しとかそういうのでもなく、新聞を読んでいる時はいつもこちらと眼は合わせない。それが父・龍生という人間の癖である。
〈んー〉と唸り声にも似たような受け答えで息子の挨拶に応え、父は朝食の味噌汁を飲んだ。テレビを観ながら食事をすると行儀が悪いと玲には言っていたくせに、自分は新聞を読みながら食事しているのはどうなんだろうとは思うが、それを指摘することであれこれと小学生に対してするようなものじゃない屁理屈をこねさせることを起こしたくないので、それは言わない。
〈あれ?早いじゃん、もう起きたの〉
母・京果がこっちを向いて自分の予想外の起床に驚く。手にはトースト、上にはスライスチーズが乗っかっている。そして、こちらはとても満面の笑みである。
〈……うん、起きたら横にプレゼントあって、開けたら目が覚めちゃって。ありがとう〉
〈そう、良かったねぇ、サンタさん来たんだよあっくんの元に。あっでも、お礼を言うのは私じゃなくてサンタさんにしないと。プレゼントはサンタさんからなんだから〉
そういう母の優しさが、その時の玲には辛かった。俺知ってるんだよ、サンタがそこで新聞を読んでいる人間なんだって。でも、まだ息子がサンタの存在を信じていると思っている両親には、そのことは言えなかった。ましてや、そのプレゼントで喜ぶことすら出来なかったことも。
〈うん。でも、どうやってお礼言えばいいんだろう〉
〈……ここで上向いて、元気に「ありがとうサンタさん」って言えばいいさ。それでサンタさんには伝わるから〉
父がボソッと答える。「サンタさん」がそう言うのだから、そうなのだろう。
〈ありがとー、サンタさーん〉
少し埃のかぶった蛍光灯に向かって玲が叫ぶと、父は満足気に首を振り、それでいい、それでいいと返した。後々、クリスマスにはその自己満足な顔を何度も思い出すことになる。
〈そんなことより、ご飯食べるの?パンしか無いけど〉
こんな早く起きてくるとは思わなかったわけなので、母は玲の食事の用意をしていなかった。玲がコクンと頷いて、母がおもむろに立ち上がろうとしたその時、父が間髪入れずに待て、と言った。
〈玲、今お母さんがどんな状態か、判ってるよな?〉
玲の視線が、母のお腹に向けられた。
〈――お腹に、赤ちゃんがいる〉
この頃、母は妹の小梢を妊娠していた。小梢の誕生日がバレンタインデーの少し後なので、妊娠八ヶ月辺りである。相当にお腹が大きい。元々手足がすらりとしていて細身の体格なので、そのお腹周りの大きさが余計に目立ってアンバランスな姿になっていた。
〈そう、お母さんは今動くのが大変なんだ。小三だったら、朝ごはんぐらい自分で作れるよな?お兄ちゃんになるんだから〉
父の眼が、ジーっと玲を見つめていた。
父の顔は地味だ。大きい特徴と言えるものが無く、モンタージュを描こうとしたらきっと困る。母は比較的眼が大きく、猫目のような特徴的な顔のパーツを持っているので、説明がしやすい。そんな両親から生まれた玲は、人からは「優しそうな顔」と言われる。言い換えれば、「あまり特徴的な顔じゃない」ということだ。まるっきり父の顔の特徴を受け継いでしまった。小梢はと言うと、母の猫目には及ばずとも、眼は大きい方だと思う。その事実を思う度、彼は自分たち兄妹と両親との血の繋がりを感じるのだった。
そんな大きい特徴の無い顔だからこそ、真顔が一番不気味に見える。ジーっと見つめられると、妙な威圧感がそこに起こる。その頃の玲には、そんな「威圧感」なんて言葉のストックは無かったので、ただただ「怖い」という印象がそこにあった。逆らうつもりは無かったが、従わないとまた面倒なことになることだけは、子供ながらに感じていた。だから、頷いて自分でトーストを作る外に選択肢は、玲には無かった。今となれば、疑問の浮かぶことではあったのだけれど。
母は〈やってみる?〉と形の上では自主性を促すようなことを投げ掛けててくれたが、心の中では「だったら、あなたがやってあげればいいのに」と思っていたんだと思う。でなければ、こっちを向きながら目線だけは父の方に向けるなんてことはしなかっただろう。あの時に色々気付いてしまったから、その後も度々母がそんな顔をしていることに気付いたのだった。
それから年が明けて冬休みが終わり、三学期が始まった。
終業式から一週間ぐらいしか経っていないのに、玲は自分が周りより大人になった気分でいた。自分は、サンタクロースの正体を知っている。他の同級生は、そんなまやかしにずっと惑わされているんだ、幼稚だなぁ――物凄く、気が大きくなっていた。だから、言ってしまったのだ――サンタクロースの正体は、自分たちの両親だと。
既に朧げな部分もあるが、朝のホームルーム前に仲の良かったクラスメイトの女子に〈玲くんはクリスマス何貰ったの?〉と訊かれた時だった気がする。その時に、〈ゲーム機をお父さんに買ってもらった〉と答えたら、〈え?玲くん家サンタさん来なかったの?かわいそう……〉と驚かれた。
玲はキョトンとした。玲には、自分のどこが「かわいそう」なのか判らなかった。ただ、「サンタクロースが両親で、その両親にクリスマスプレゼントを買ってもらった」だけなのに。だから、その間違いを正さないといけない。自分は「かわいそうな子供」じゃないと言わなければならないのだ。〈違うよ?お父さんがサンタクロースなんだよ。ユカちゃんの家だって、お父さんとかがプレゼント買ってるんだよ?〉
そう言ったすぐだった。その女子は信じられないモノを観たかのように眼をかっ開き、そして大声を出して泣いた。うわぁん、うわぁぁぁん――。
それを観た周りの女子が、彼女の周りに集まる。どうしたの?――玲くんがひどいこと言うんだもん――女の子を泣かすなんて、魚住くんサイテー!――ひどい言われようだった。俺は、ただ真実を伝えたかっただけなのに。
その後、担任の先生に呼ばれて空き教室で話を訊かれ、玲は自分の言ったことを正直に話した。その先生は玲の言ったことに苦笑いした。その先生は確か三十代くらいで、幼い子供の父親だった。今思えば、その先生も子供にクリスマスプレゼントを渡したのだろう。だから、「サンタクロース=自分の両親」の方程式が繋がってしまった光景を語られて、〈うわぁ、それはキツイなぁ〉と言ってしまったのだ。ある意味、「親が子供に一番知られたくない事実」「子供が知りたくない事実」なのだから。
その先生は苦笑いしながらも、〈玲の言ってることは正しい。でも、それを言うのは今じゃないと思うぞ。帰ったら、ユカに謝らないとな〉と玲に言った。どうして自分が謝らなきゃいけないのかと腑に落ちなかったが、そうしないとクラスの中で除け者にされる。女子の繋がりを甘く見てはいけないと、日頃のクラスの空気から感じてはいたので、やむを得ず玲はそうすることになった。
教室に戻る。視線を一手に受ける。その中には、侮蔑に近い眼差しを向ける者もいた。きっと彼女から事情を聴いて、同じようにショックを受けたのだろう。それが男女混ざった眼差しだったのが、玲には印象深かった。それだけ、自分は罪深いこと――当時のボキャブラリーだと、「いけないこと」をしたんだろう、と思った。夢を観てる人って、案外いるんだな。
ごめんなさい、と泣かせた彼女に謝ると、彼女は泣き腫らした眼でキッと玲の方を睨みつけた。
〈サンタさんは、いるんだよ。玲くんの家はサンタさんに選ばれなかっただけなんだよ――だから、玲くんはかわいそうなんだよ〉
もう、反論するつもりも無かった。自分はかわいそうな家の人間、それで片付ければそれでいいのかもしれない。でも、サンタはいるけどいないんだよ――そう思いながら、玲はそうかもしれないね、ゴメンとまた謝った。
その後、一部のクラスメイトからは敬遠され、友達からは散々そのことについていじられまくるが、中学になるとみんなそれぞれ真実を知ったのか、その空気も霧散した。そして、高校ではそのことについて知る人はあまりいない。小学校時代のクラスメイトが数人同じ高校に進学している程度である。高校になっても、玲の「みんなが思っていることを言っているだけ」という性格はずっと変わらず、須藤幹嗣の言ったような「嫌われ者」のポジションは、ほとんど玲の定位置のようなものになっていた。そして、それは玲にとっては不本意なことであり続けた。本当は感謝されてもいいはずなのに、どうして自分はこんなに非難されるのだろう。自分は「正しい」はずなのに。
そんな中で、宇都薫の死が起こった。玲が薫の死に接した時、一番最初に感じたのは衝撃では無くて、「呆気無ぇなぁ」という人の命の儚さだった。こんなに早く同級生との別れが訪れるとは、玲にも予測出来なかった。
魚住玲にとって、宇都薫はその「サンタの正体騒動」の目撃者の一人であり、薫を見るたびに、彼が自分を蔑んだ眼で見つめるあの時の光景がふと蘇るのだ。おまけに――いや、今はこんな話どうでもいい。
目の前にいるのは、自分の父と同じくらいの年齢であろう年かさの刑事と、それよりは十歳ほど若い男の刑事。名前は綿貫と東堂と名乗っていた。そうか、この人が――玲はそう思った。
「まず伺いますが、あなたと宇都さんはどんな関係でしたか」
「小学校からの同級生ですね。他にも何人かいますけど」
綿貫刑事は口をとんがらせて数度頷いた。東堂刑事は、玲の受け答えを手帳に書き込んでいるようだった。
「ほう、ということは宇都さんのことはよく知っているんですか?」
「他のクラスメイトよりは前から彼のことを知っているって程度で、そんな深くは知りませんね。中学はクラスも違いましたし」
クラスの顔触れはそのまんまとはならなかったものの、中学校は小学校時代のクラスメイトがそのまんま進学していたので、周囲は見知った顔ばかりだった。その中に薫ももちろんいて、玲が二組、薫が四組と分かれた。とは言え、小学校時代の繋がりが消えたわけでは無いので、大半の人間が小学校時代の繋がりと中学校からの新しい繋がりを融合させながら中学校生活を過ごしていた。玲もまた、その一人だった。薫が本当のところどうだったのかは、玲は知らない。
「そうですか、では再び高校でクラスメイトになった時、どんな気持ちでしたか」
「宇都も青葉受けたんだ、と驚きました。てっきり、アイツの頭だともう少し上の高校受けるんだと思っていたんで。結構勉強出来たんですよ、ああ見えて」
綿貫刑事は玲の話を止めるように、右手で待ったをかけた。
「申し訳ない、私たちは生きていた頃の宇都さんを存じてはいないので判らないのですが、中学でもそれは有名だったんですか、勉強が出来たというのは」
「ええ、まぁ。俺と同じクラスだった奴がボヤいていたんですよ、『また宇都に勝てなかった』って。そいつも勉強出来たんで」
小学校時代の頭の出来と中学校時代の頭の出来は比較対象にはならないが、玲の知る限り、薫は小学校から「出来た方」と言われていた。中学校でもそう言われるくらいだから、自頭がそこそこ良かったのだと思う。
「なるほど、それでこの高校に入学した時に驚いたと。ここもそれなりの進学校だとは思いますが、それより上だと横浜東洋とかでしょうか」
「そうです、東洋とか蓮沼とかそこら辺に行くのかと思ってました。刑事さん詳しいですね」
「娘が君と同じくらいでね。高校の話は受験とかで色々耳にしてるんだ――それで、高校に入ってからの交流はありましたか」
記憶をたどるまでも無い。この三年間の薫との記憶は口に出せるようなことが存在しないからだ。少なくとも、この人たちに言うようなことは。
「無いですねぇ、そんな人に言えるようなことは何にも。まぁ、ちょくちょく話をしたりはしてましたけど、さっき言ったようにそんな深いことは知りませんよ」
思わずヘラヘラとした口調になった。却って疑われそうだが、それでもいい。別に疚しいことをしていたわけじゃないのだから。職業病なのか、二人とも少し渋い顔をしているのは、少し気になった。
「そうですか。では最後に魚住さん、あなたは宇都さんが亡くなった時、どちらにおられましたか」
年かさの綿貫刑事が玲に訊く。これが俗にいう「アリバイ確認」というものか。もちろん初めて受けたが、いざされるとドキッとする。特に疚しさは無いのに。
「あの夜は……恋人と会ってました。溝の口のノクティで一緒にご飯を食べてて、それで十時前には解散して家に帰ってました。うち、門限が十時なんで」
「その恋人というのは、同じ高校の方ですか」
「そこまで言わないといけないんですか?結構プライベートなところだと思うんですけど」
思ったよりも不満げな声が出た。アリバイを証明するためとは言え、自分の中のデリケートな部分を汚い手で触られる感覚がして、嫌だったのだ。
「いや、失礼。こちらも情報を少しでも得たいのでね。差し支えなければ教えていただきたいんですよ」
ここで嫌と言ったら、きっと自分は疑われるのだろう。そんな疑われて痛くもない腹を探られることは、玲には不本意でもあった。ならば「正しいこと」だけを言うまでだ。
「まぁ、別の学校の人ですよ。これ以上言えることは無いですし、その人に迷惑掛けたくないんで、これで終わりにしてほしいんですけど」
二人の刑事は目配せをして、これ以上収穫が無さそうなことを確認し合っていた。どうやら、そろそろ解放されそうだ。
「では、また何か思い出したことがありましたら、こちらにご連絡をお願いいします。お疲れ様でした」
渡された二人の名刺を前にして、玲は少し考えた。最後にちょっと爆弾でも落としておくか。
「あの、事件とは関係無いんですけど、綿貫さんって娘さんいたりします?」
突然の質問に、綿貫刑事はキョトンとした。横の東堂刑事はその先輩刑事の方を向いた。
「もう卒業しましたが、上の娘はここに通ってましたよ。確か、生徒会長をしてたらしいが……それが、どうかしましたか?」
「いえ、何か高一の時の生徒会長と同じ苗字だな、と思って。それだけです」
そう……ですか、と不思議そうな顔を綿貫刑事がしたのを横目に、玲は席を立った。扉を閉める時も、彼は首を傾げていた。
〈うちのお父さん、刑事なんだよ。だから、小さい頃はあまり遊んでもらえなかったんだよねぇ〉
付き合った初めの頃、彼女がそう言ったのを思い出す。その時は写真も見せてはもらっていたが、あまり気にも留めていなかった。それが、今こんな形でその父親と顔を合わせることになろうとは。なるほど、眼が似ている。
眼――あの時もそう思った。教室へ戻る途中、一昨日の土曜日のことを思い出す。さっきの聴取の時に語ったように、玲は金曜日に彼女とのデートをした。クリスマスの予定を決め、とてもとても楽しいひと時だった。それは正しい。ただ、それには続きがあった。
その翌日、玲は新宿に母親のお使いで家電量販店に出掛けた。小梢のクリスマスプレゼントを買うためだ。玲がサンタクロースの正体を知ったあの時に母のお腹にいた妹も、来年の二月で九歳――学年で言えば、小学三年生である。小梢はサンタクロースの正体をまだ知らないのだろうか、それとももう知っているのだろうか。もし、自分と同じように偶然知ってしまったなんてことが起きていないといいのだが――シスコンなんて言われるほど溺愛はしていないし、どちらかと言えば生意気さに腹が立つが、それでも血の繋がった者として妹には少しは幸せであってほしいと、兄心では思っている。どうせアイツのことだ、自然と仕組みは判っていくだろう。そう思いながら、母親から持たされた所持金でシルバニアファミリーの家を買った。どうやら、小梢の読んでいた雑誌の記事に載っていたそのご所望の品に○がされていたらしい。やっぱり、知っているのかもしれない。
どう見ても男子高校生にしか見えない人間が小学生や幼稚園児の多くいるエリアで見た目とは不釣り合いなものを抱えて、レジに並んでいる――その姿は傍から見たらさぞ滑稽だったろう。別に疚しいことをしに行ったわけじゃないから、堂々としていれば問題は無かった。それでも、「俺何してるんだろう……」と思わないでは無かった。そんな時だった。
見覚えのある顔を遠くに見た。まだこちらの存在には気付いていない。別にバレても正直に言えば良いだけなのだが、ここでこの姿を見られることにいきなり恥ずかしさが生まれてきた。頼む、こちらには向かって来ないでくれ。そんな思いを抱きながらレジに並んでいると、その人物の側に誰かが寄ってきた。相手は背中を向けているので顔は見えないが、背格好から何者かは察しはついた。二人は仲良さそうに喋っている。こんな形でプライベートを知るのは、何だか罪作りに思えた。そりゃ都会に住んでいるのだから、こんなこともあるだろう、けれども「いけないこと」のように思えたのだった。
その二人は玲から遠ざかり、彼の視界から消えた。脅威が遠ざかる感覚がして、ホッとした。そうこうしているうちにレジの番になり、会計を済ませる。プレゼント包装は一つ上のサービスカウンターで行うらしく、出来上がるまでには大体一時間くらい掛かるらしい。こんな時期だから他にも包装の依頼が立て込んでいるのだろう。それに了承し、玲はどこかで時間を潰すことになった。
スマホの時刻表示を見ると、午後一時過ぎ。ちょうど書き入れ時のため、どこもかしこも飲食店は混雑している。そんなに空腹では無いが、何かお腹に入れておきたい。当ても無く、新宿東口から南口のルミネ1方面に向かうと、Flags入り口付近にたい焼き屋があった。七八人並んでいるが、そんなに時間は掛からなそうに見えたので、玲はそこに並んでカスタード入りのたい焼きを一尾飼った。玲の三つ前のお客さんがあんことカスタードをそれぞれ五尾ずつ買って少し時間が掛かったものの、玲が買い終わるまで大体十分程度の時間だった。
近くにベンチも無いので、通行の邪魔にならない端によけ、たい焼きを食べる。しっぽのカリカリ具合が好きな玲は、真っ先にしっぽに喰らいついた。やはりカリカリして美味い。
少しでも時間を潰そうと、いつもよりゆっくりめに食して再び店に戻る。店を出てから大体三十分ほどしか経っていなかったが、戻るまでの時間を考えたらちょうどいい時間になるだろう――そんな道すがらだった。こちらに向かってくる、さっきの二人の姿を遠くに観た。手なんか繋いでいて、冷やかされに行っているようなものだ。とは言え、今ここで冷やかす気持ちは起こりはしない。週明けの学校で訊いてみることにして、今はバレないように二人の姿を眼に留めることにした。
あの二人はまだ玲に気付いていない。じりじりと距離は縮まる。チラ見するように二人の姿を眼で追う。もう二人の顔がある程度はっきり認識出来る程度にまで距離が近付くと、最後に気付かれないようにしながら、二人を横目に見て通り過ぎようとした――のだが、それは叶わなかった。玲側にいた相手と眼が合ったのだ。
見覚えのある顔の方は車道側を観ていてこちらには気付いていなかったが、その相手の方は玲の姿を眼にすると、静かに少し眼を大きくして、こちらを見つめた。ただ立ち止まることは無く、そのまま玲の横を通り過ぎた。
見られた、どうしてここに――そんな言葉が、相手の表情からは読み取れた。見られたも何も、自分はあなたのことは知らない。だから、玲には相手が見せたその表情の意味があまり判らなかった。ただ、その眼差しにはどこか既視感があった。店までの道すがら、己の記憶をたどる。そして、気が付いた。あの眼差しは、自分があの日向けられた眼差しだ。サンタクロースの正体を暴いてしまって、みんなに白い眼で見られた時の、あの眼――となると、次第に違和感が生まれる。どうして、アイツはあの人と一緒にいたのだろう。それも、あんなに仲睦まじそうに。そして、いつもとは違う格好で。それが、玲には判らなかった。と言うより、判ろうとすることを避けた。
小学校の頃の、蔵での記憶が蘇る。あの時の「秘密」が、彼をそうしてしまったのだろうか。それとも、彼が生まれながらにして持ち合わせていた天性のものなのだろうか。もういなくなってしまった今となっては、それを訊くことさえ叶わない。ただ、偶然街で見かけたあの時の彼を生んでしまったのは、きっと自分なのだろう。玲には、そう思えた。
「薫……ごめんな」
そうとなれば、あの人に訊かなければならないことがある。
「あなたが薫を殺したんですか?」と。
知りたくはない、けれども知らねばならない。幼馴染みの、あの「宇都薫」を生んでしまった人間として。
雪は既に止んでいて、後はもう融ける運命にある。
あの日の記憶も、雪と一緒に融けてしまえばいいのに。
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