もしも左に曲がれていたら
「もしも左に曲がれていたら」
いつもそう思う。
私は通学に京阪電車を利用している。というのも大学の最寄駅が京阪電車の終点、出町柳駅だからである。
しかし、最寄駅とは名ばかりで、駅から大学までは20分ほどの徒歩を要する。
そして何より私の気分を害するのは駅の改札の存在、である。
出町柳駅を利用している方は分かるだろうが、あの駅には改札は一つしか無いのだ。
そして、改札を出ると道は二手に分かれる。
右を曲がれば、私の通う某私立大学。
左を曲がれば、京都大学
に通ずる。
渋々右を曲がる度に私はいつも思う。
もしも左に曲がれられていたら、私の人生はどれほど変わっていただろう、と。
死ぬ気で努力していれば、もしかしたら私にも左に曲がって然るべき理由を得られたのかもしれない。
死ぬ気で努力していれば、鴨川でchillってる大学生集団も、騒ぐ大学生集団も、冷笑しなくて済んだのだろうか。
あるいは、努力はほどほどに、元から右に曲がることしか考えてない人生を歩んでいたら、鴨川でchillってる大学生集団も、騒ぐ大学生集団も、冷笑しなくて済んだのだろうか。
たらればは尽きない。イージーに掴めたかもしれない幸せへの羨望は消えない。
これは努力しなかったことへの罰なのか、それとも必要以上に高く飛ぼうとしたことへの罰なのか?それは今でも分からない。
7/15日夜19:00近くの現在、雨が降っている。鴨川の流れがいつもよりも激しくなっている。川からポコっと出てる岩々をピョンピョン飛んで対岸へ向かおうとする小学生か中学生の集団が見える。川に落ちるのが怖く無いのかと橋の上から水面を見つめてみた。以外にも川底が丸見えの部分もあった。しかし、その大部分は激流のせいで底が見えなくなってきた。浅いはずのその川が、足が付くはずのその川が、ひどく恐ろしく感じられた。雨は強まるばかりだった。
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