
政治系垢を開設してから感じる違和感の正体
政治系のアカウントを開設して早3年の月日が経った。
ただ同時に、なんとなく感じる違和感というか温度差ともいうべきなのか、はたまた方向性の違いというものを日に日に感じるようになっていった。
今日はそれを言語化して、ここに記そうと思う。
当初の目的
当初の目的は「自分がどうすればいいか」の判断材料としての知識を得るために、情報収集の手段の一つとして開設した。
たまたま同時期にとある政治系YouTuberの生放送にちょっとしたギャグっぽいスーパーチャットを送って、それがたまたま受け入れていただけたということもアカウント開設に至った経緯である。
「SNSなんかで情報収集できるのか」というご指摘をいただくかもしれない。ただ、ーインフルエンサーでもなければ言論人でもないー在野の方でも知識量が凄まじく勉強になる方が沢山いる。
例えばリフレ派の経済系で有名なところでいくと、「フーテンの俺」さんや「ぽん沢たぬ樹(凡人オヤマダ)」さんが有名だろう。
そのほかにも、自分が本屋さんやAmazonで書籍を探していたら目に入らないようなものでも「勉強になった!」や「〇〇の分野で参考になる」といった投稿を見て、自分の新しい知識の道標を得たりするには有効であった。
「『どうなるか』よりも『どうするか』」
これは自分の中で大きな行動指針というか座右の銘的なものの一つだ。
ただ情報を聞いて右往左往するのではなく、一つ一つ自分の意志で決断して行動する。仕事/私生活に関わらず、人生において重要な要素だと思う。
新入社員時代、先輩社員に「自分で物事を決められない奴はどこ行っても使えないからな!」と何度も怒られたのも、こうした行動指針を掲げる要因であろう。
仮面ライダーWでも同様のセリフがあり、自分の大好きなフレーズでもある。
違和感の正体
しかし、徐々に日が経つと違和感を覚えるようになった。
その正体というのが、「『どうするか』よりも『どうなるか』」という自分の行動指針と真逆のスタイルでいる人たちだ。
「〇〇(言論人の名前)が頓珍漢なことを言ってるw指摘したろw」
「引用で指摘したらブロックされた」
「✖️✖️と☆☆がレスバしてる!」
「変な団体・政党が演説してる!散々言ってた割には全然人いないやんけw(写真パシャ)」
「自分だったらどうする」という当事者意識を持った行動とかけ離れていると、こういった投稿を目にする度に思うのだ。
そればかりか、自分は反論されることなく相手を一方的に小馬鹿にできるサンドバックを手に入れてはしゃいでいるか、そのはしゃぎっぷりをショーのように鑑賞するような光景だ。
もっと端的に言えば、政治・時事を”エンタメ”として消化して楽しんでおり、そのエンタメがワイドショー化していってる。そしてそのエンタメは麻薬のような中毒性があり、より強烈なものを欲しがるようになっていく。
芸能人が不倫や不祥事を犯した際、ワイドショーは一斉射撃のごとくバッシングしていく。その公開処刑とも言わんばかりの一斉射撃の様子に、人々は魅了されていく。そうした様子を「マスゴミ」と揶揄し、批判してきた層が同じようなことをしている。
「『どうなるか』よりも『どうするか』」を念頭に置き、その時の判断するための材料として知識を得たい私からすれば、ノイズすぎるのだ。
「『どうなるか』よりも『どうするか』」、つまり自分で決断をして行動するということは常に責任がつきまとうのだ。
ただ、責任そのものに対して強いストレスを感じる人が一定数いるのも事実だ。仕事であれば指示待ち族になったり、オペレーション的な作業に徹するといったものになるだろうか。
確かに責任を持たず、ショーという名の炎上を見つめてるだけの方が楽なのかもしれない。
ただ私は責任という名の重石を背負ってでも、自らの決断によって行動したい。そしてより活動的にしている人たちを目にすれば、もっと頑張ろうと自分を鼓舞する。そして努力することが好きなのだ。
そうなってくると、言論人のレスバとか頓珍漢なことを言ってる人間の吊上げ等のような無責任の極みの行為は嫌悪感を覚えるレベルのノイズでしかないのだ。
そして堕ちていく
作家の宇野常寛氏は「インターネットはワイドショーの2軍」と称し、誰かの炎上≒石を投げる行為が常態化していることに対して警鐘を鳴らしている。
しかし、もはや2軍どころではない状態なのではないだろうか。
ここまでインターネットが落ちぶれていったのも、ワイドショー的なものにしか飛びつくことしかできない怠惰な政治垢の存在もあるだろう。もはや戦犯と言ってもいいくらいだ。
影響力のない私がいくら言ったところで、どうせ変わらない。
だったらそうした人たちとの関係を絶ち、自分の家族との時間を大事にして時折知識を得るようにする方向にシフトするだけだ。
近い将来、政治・時事をワイドショー化した人とそれに相乗りして傍観した人は大きな代償を払うだろう。いや既に払っているかもしれない。
蛸壺という名のエコーチェンバーな世界に閉じ込められてしまうという代償を。
人は見捨てられた時、底へ底へと堕ちていく。
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