【ことば雑考】『巨頭オ』考
2006年
その話は ネットの片隅で 静かに 語られていた
2ch『死ぬ程洒落にならない怖い話集めてみない?』(通称「洒落怖」)スレ発祥の ストーリー「巨頭オ」は 現在も 語り継がれる 有名な怪談の一つだ
他の名高い 洒落怖の話が 非常に長編が多い事に比して この「巨頭オ」の全編は ショートショートの如く 極めて短い
だが 話中に登場し 通称にまで 定着した その「巨頭オ」なる 文字化けのような 不気味な字面は 相当に 読み手のインパクト欲求を 鷲摑みせずには いられなかった
スレ投下当時 ほぼほぼ 話題にさえ されていなかった この 現国テストの長文読解問題より 短い書き連ねが 洒落怖の中でも これほど認知高く 広まる怪作になろう事など 投稿者は 思ってもみなかっただろう
さて
本稿は その 「巨頭オ」についての 雑考だ
とはいえ 初めに 断りの一太刀を 申し入れなければならない
本稿で 言及する問いは 『「巨頭オ」に対するこれまでの説への意見 及び それらと異なる説と解釈の提言』 と言えるだろう
舞台や関連所在地を特定する 怪異・怪物の正体を暴く といった事には 基本着手しない
それを充分に 留意して欲しい
以下に 「巨頭オ」の 全編を 掲載するので 本題へ向かう 鉄条網を 飛び越え侵入する前に 目を通して 頂きたい
◆◆◆
既存説
「巨頭オ」は オカルトとしては 怪村 あるいは 村系都市伝説 として 扱われる事が 殆どだ (「村系都市伝説」の字面の矛盾感)
理由は 単純にして明解
これは「巨頭オ」の 最後の 「オ」に関わっており 「”村”の字が欠損したものであり 本来は『巨頭村』と書かれていた」 という説から 来ている
この 「村の字欠損」説は 今では 「巨頭オ」を語る上で 特典どころか 標準セットで 語られるほど 通説・最有力説にまで 上り詰めた
はなから 「巨頭村」と題して 「巨頭オ」の話に触れる せっかちまとめ御用達ケースも 珍しくはない (稀に 「巨頭オ村」 と表記している 理解力を 置き去りにした 例もあるが)
また 2018年 Twitter発で 「巨頭オの看板が発見された!」と 大いに話題となった事は 知る人ぞ記憶に新しいだろう
「巨頭オ」の話を存じないという 当ユーザーが とある山道脇にて 奇妙な看板を発見 それを撮影し Twitterにアップしたのだ
この場所は 直後に特定され(ここでは触れない) 現地特攻する者も 幾人か湧き上がったが このツイートの5日後 時点には 既に 看板は 無かったという
このツイートの画像を ご覧いただくと お解りだろうが 「オ」の箇所が 明らかに 何らかの別字の 一部であるかのような アンバランスな 書かれ方を しているのだ
仮に 「村の字欠損」説が 間違っていた場合 この看板が 何者かの 悪戯・詐術による ものであったとすれば その人物は 熱心な 欠損説原理主義者 もしくは 欠損説を意図的に拡大流布し 真相を隠蔽せんとする諜報的工作員 であったに違いない
この「村の字欠損」説では それに 紐づいて 次のような 説も付加している
「その村には異様に頭の大きい住人たちがいる」
時に変化球として そもそもの住人ではなく 「何らかの人体実験で頭部が肥大化した人々が隔離されている」 というものもあるが 本編中にある 「頭がやたら大きい人間?」 について 凡そは 「頭の大きい村人」解釈が 支持されているようだ
頭の大きい住人たちのいる村 よって 巨頭村 なるほど この説は 確かに 一目 筋が通っており 明解である
◆
しかし ふと疑問が 眼前の交差点を 往復してやまない
「いくら住人が 異様に大きい頭を 特徴としているとはいえ そのような 身体的特殊ぶりを 果たして 村の名前に 冠するだろうか」
一例
東南アジア山間部に居住する 「首長族」 の呼び名を 耳にした人は 多いだろう ……と判断し そのつもりで 話を進める
民族内で 選ばれた女性が 幼少時より 真鍮製のコイルを 首にまとい それを増やしていくという 「首を長く見せる」伝統を持つ事は 多方面の メディアで 紹介されている
ところで この「首長族」という 民族名
これは 外部からの第三者が 周知させる為に称した 便宜上の呼び名であって かの民族が 自らを 首長族と 名乗っている訳ではない
これは 民族の呼称に関してではあるが 事情は 地名においても そう差異はないはずだ
地名は
●地形や地質に由来するもの (鬼怒川・天使突抜・頴娃など)
●土地の生活に由来するもの (王余魚沢・重蘭窮・塩竃など)
●土地の伝承に由来するもの (戸隠・悪王子・鬼死骸村など)
●土地への願いに由来するもの (喜多方・自由が丘・和光など)
といった命名法を その原点にする場合を 主な元素とする
いくら 自分達が 特殊な身体的造形を 有していたとしても それを わざわざ 村名(いわば地名)に置くのは 極めて異質である
一見に それらしく見える 地名であっても 本来無関係な当て字であったり そもそも意味する対象が違ってたり というのが普通だ (大手町の 「大手」は おててデカスギ ではなく 「正門」を意味している というような具合)
仮に 隔絶された集落で あったとしても 尚更 そんな身体的特徴を 比較する対象(他の集落や人間)が ほぼ接触が無かったとすれば 自身では主張する程の特徴とも 思わないだろう
「巨頭村」という 名称が正しいのであれば 外部の者による 呼び名である 可能性は大いに高い
ならば 先の解釈のもう一方 「頭の大きい人々の隔離地」とすれば 外部の存在によって その地を指し示すのに 「巨頭村」と称するのは 合理に適うのでは?
ただ そうであれば 「そんな場所をあえて”村”と呼ぶ必要はあるのか?」「隔離であるなら尚更”巨頭”を強調する意味は?」 といった疑問が 次から次へと 孵化するに至る
いや 待て いや 待つのだ
この「村の字欠損」説には 根本的な クエスチョンが ある事に 気付いている 諸読者は おられるだろうか
にぅまは 考察当初から 脳裏の影で チラチラ覗いていた 違和感があたのだが 同様の意見者は お目にかかった 試しがない
それは 「なぜ村の字だけを欠損とみなすのか?」 だ
「巨頭オ」の 「オ」が 元の字の一部分 と解釈するのであれば 真ん中の「頭」は まだ良いとして 「巨」の字も 何らかの字の欠損ではないか との見解は 広く存在して 良かったはずではないか
おそらく これは 本編中の「頭がやたら大きい」と 看板の「巨頭」を 無意識に リンクされてしまったが 故に 「巨頭は巨頭のままに違いない」という 思惑によるものだろう
本編中では 看板の文字以外で 「巨頭」の単語は 全く使われていない
怪物の「頭がやたら大きい」風貌 = 看板の「巨頭」表記
という図式は 必ずしも 成立し得ない 可能性だってある
ならば 巨が 欠損の形となる字とは? 亜… 首… 目… 臣… 距…
いずれにせよ 謎は 深まるのだが
近年の新説
「巨頭オ」の説は やはり 「オ」の解釈に 誘致が施される
「欠損」説 ほどでは無いが それに次いで 狼煙を上げられるのは おそらく 「右上を向いた矢印」説だろう
「オ」は 文字ではなく矢印 すなわち 「頭の大きな怪物がこの先に現れる事を警告している」という説だ (正直言えば にぅまが 「巨頭オ」を 初めて読んで 真っ先に 浮かんだのは この「矢印」説だった)
この説が 「欠損」説の影響をも含め
「頭の大きな怪物が棲息する / その怪物がいる異界へと繋がっている」
といった「巨頭オ」解釈も そのグラデーション数値を 濃へと強めていく 事となった
ただ 「オ」が矢印は流石に無理があるのでは という意見も多く 「わざわざ右上向きであるのも不自然」 などの声によって さほどの 支持は 得られていないのが 現状と言えるだろう
そうした中
思いも寄らない 潜水艦「新説」が 水面に 浮上する事となった
2016年 「巨頭オ」の投稿から 優に10年も後
『屋根裏から変な音する。獣害に詳しいやつ来てくれ』 というスレッドが 2ch「昆虫、野生動物」板にて 立てられた
スレ主:MtOCTYeYは その後 天井扉を開け 物音の正体を 確かめようとするが 人毛のような 長い毛を発見し 直後
ここまでは 実況的に スレッドが 進行していたものの 5日間の留守を経て スレッドに 舞い戻った スレ主の書き込みは まさに 洒落怖のような 真相語りへと 一変した
以下に 以後の展開の 流れをついばむ
・弟と親父と合流し 起こった出来事を説明 すると 親父は「覚えがある」と言い 車で親父の実家へ向かう
・車中スレ主が体調を崩し始め 実家の更に山奥の寺に着き 寺で祓いが行なわれると 数体もの「頭のでかいヤツ」が出現
・その後 スレ主の先祖が かつて住んでいた集落の 『悪習』を知るが それが何故 今回 関与してしまったかについては 結局未解明
次いで その悪習の内容を 部分的に抜粋する
以上が 通称「頭巨(トウキョ)様」という話の 大まかな粗筋である
既に 察した読者も 多いだろう
『「巨頭オ」と「頭巨様」は関連がある』 というのが 前述した 近年の新説と 言えるものである
「巨頭オ」の投稿者は 「頭巨様」の悪習が かつて存在していた 村の跡地に 迷い込んでしまい 頭の大きな怪物 すなわち 「頭巨様」の 集団を 目撃した
そして 「頭巨様」の もう一つの呼び名 「御頭巨」を 反対から書き出しすると 「巨頭御」 すなわち 「巨頭オ」と 同じとなる (古い表記の為 右から書かれていても おかしくはない との解釈)
なるほど 一応の辻褄が 合わない事はない
非常に 興味深い 考察と言える
◆
だが やはり 不可解な点は タケノコの如く 次々 伸び行く
本文では 土砂崩れによる 集落の消失は スレ主の”祖先”が ”交代の時期をきっかけにして” ”別の集落に移り住んで”逃れ しばらくしてから との事である
ニュアンスの問題かも 知れないが 祖先と 称するには 祖父母よりも 遥か以前の時代である 可能性が 考えられる
「巨頭オ」の 投稿主が かの地を訪れたのは 投稿した 2006年時点から 数年前程度であり それよりも以前では 実際に 村は存在していた
「頭巨様」の集落と 「巨頭オ」の かつてあったはずの村が 同じ地であったとするならば 集落跡地に 別の村が 誕生したとしても その「頭巨様」が放置された地で 旅館も存在する程に 村が栄える事は 果たして 可能だったのだろうか
これは 「巨頭オ」の 怪物目撃の地は 以前に 投稿主の行った村とは別であり 「行った場所は間違っていなかった」と 勘違いしているだけだ という解釈で 一応は 静粛を促す事は 出来るだろう
しかしながら 最も不審たる目を ぶちこまざるを得ないのは やはり 「巨頭オ」の怪物と 「頭巨様」の イメージ差である
「頭を左右に振」る という動作以外は 「両手をピッタリと足につけ」て追いかけてくる姿と 「暴れてた」と見えるほど 「飛んだり跳ねたり」する姿には 共通性が薄い
「巨頭オ」と「頭巨様」の 本編の長短差 げに コディアックヒグマと メガネウサギワラビーの 尾の比較の如し
特に「巨頭オ」における 怪物のディテールは その文章量の為か 必要最小限に 抑えられている
髪はあったのか?
体長はどれほどだったのか(「草むら」とある為それほど大きくはないのだろうか)?
鳴き声・奇声は聞こえなかったのか?
両者を 同一のものを 見なすには まだ 確証を得たるレベルの 照合が出来ない と宣告せざるを得ない
加えて 「御頭巨」の右書きが「巨頭オ」 の解釈においても 右書きは 良いとしても 「御」を カナの「オ」に わざわざ 直してるのも 妙である
(※だいぶ ひねくれた 見方をすれば この解釈は 暗黙的に 『「巨頭オ」の看板は横書きである』と 見なしているというのも ポイント)
こうして見ると この「巨頭オ=頭巨様」説も いまだ 不完全と 言う他 ないだろう
異説と解釈
ここまで 「巨頭オ」に関する これまでの 主流説を並べ 散々っぱら 好き放題 述べてきた次第だ
だが考察において 一方的な批判に 終始するのは 単なる愚劣である
にぅま自身による 「巨頭オ」解釈を 表明しない事には フェアプレイとは 言えまい
以下より 『「巨頭オ」という言葉が何を表しているか』 及び 『その言葉からどういった背景が読み取れるか』 の にぅま見解を おそるおそる 記そうではないか
まず 「巨頭オ」という文字列のみに 注目する
前述した通り この字列は 一見すると 文字化けめいた 不気味さを 醸しているが その最大の理由は なんと言っても 「オ」の存在だ
「巨」「頭」が 漢字だという事は すぐに認識出来るが どうしても カナ文字の「オ」として 見えてしまい 才能の「才」の可能性は 無臭性と揮発性を 富ませてしまう
たはまた ネットにおいては その略式表記で 「微レ存」「申レN」「顔発ド」といった 形式の似通ったワードが とある界隈で 散見されるが 同等のモノなのだろうか とも思わせてしまう
何はともあれ このたった3文字である 「巨頭オ」の 解読を試みなければならない
一つの切欠は 「巨頭オ」と同様 洒落怖の とある話にあった
「巨頭オ」の投稿を遡る事3年 『死ぬ程洒落にならない怖い話集めてみない?28』に 以下の投稿から 数レスに渡って 語られた話だ
本編を要約すると 『東北のとある村の祭日に 天神逆霊橋なる橋を 渡った先の神社へ 「イケニエ」として選ばれ 置かれる子供の末路を 目の当たりにした男よる 「食人風習」の話』 である
この「テンジン」話の わずか3日後
洒落怖のスレッドとは 別で オカルト板内に 『【禁断】テンジンキギャクリョウキョウ【真相】』なるスレッドが 新たに立てられた
どうやら 上記の 洒落怖「テンジン」話を ベースとした 考察スレッドのような ものであるようであり 各人が 考察や ”真相”と称する 講釈を 垂れる
「キョウ」は 初発の話では 「橋」であったが そうとは限らず 正しくは 「教」だ いや「狂」だ などの説も飛び交い その漂う思考回路は 縦横無尽だ
その中で ある書き込みが 目に留まった
内容は 簡潔に言うと
『「テンジンキギャクリョウキョウ」は 江戸末期の新興宗教による 強力な 呪詛・忌み言葉である』
との事で ある回数分 唱える事で 呪いを”受ける”法らしい(つまり呪いたい相手に 何らかの形で 唱えさせる必要がある)
その威力たるや 「声に出さず、頭ん中で黙読しただけでも」 カウントされるというのだ
しかし この投稿者は
と説く
その心とは
(※この記述主は先に 「漢字でどう書くのかは伝わってないし、そもそも漢字で書くものなのかどうかもアヤシイ。」 とも書いている為 「でも”逆”はその漢字で捉えて良いのか」と 少々 感慨深いすっとぼけを 覚えそうにはなるが まぁ 置いといて)
おわかりだろうか
これ いわゆる 『字謎』と 呼ばれる 言葉遊びの技法である
字謎とは 言うなれば 漢字の意味や形状を基に その読み方や書き表し方を 組み立てる 「漢字のなぞなぞ」 と言える技法だ
前掲の内容を元に 一般風のなぞなぞを 創作すると 次のようになる
字謎の 操作パターンは いくつかに分類されるが この「テンジン」話に 見られる操作は 青いアマガエル以上に 非常に珍しい
どういう事か
『震天動田』という字謎は 「震天」すなわち「震の字の上=雨」 を 「田」に「動かす」 事から 「雷」 を答えとす
字謎には このように 「天」「動」に 見られるような 操作指示が 見られる
万葉集に収録されている 女声歌人:額田王の 通称『莫囂圓隣歌』と呼ばれる歌
この歌の前半部は 万葉集の歌の中でも 最難読との謂れ高く 現在もなお 読み方が解明されていないが はじめ2文字 「莫囂」については 「囂(やかまし)」こと「莫(なかれ)」 すなわち 「静(しず)」 と読むのが 最有力説となっている
ここでは 「莫」が 操作指示を表している事が わかるだろう
だが これら2例を 見てお解りの通り 指示する字を用いた 操作法では 「漢字のパーツ」や「漢字の意味」に 操作を施すのが 通例であり 「漢字の配置」を操作する 字謎のたぐいは 極めて稀である
少々 脱線したので戻る
「テンジン」によって 文字の配置を操作する字謎の手法 たる 新境地の如きを 目の当たりにした
ならば 「巨頭オ」を この手法で読み取ると どうなるか という 詮索の疼きを 抑圧する働きは 無駄な抵抗である
以下 操作手順
1.「巨頭オ」を ここでは一先ず この通りの 横書きと見なす
2.「頭」が意味合いとして 配置を指示する漢字 と推測する
3.「頭オ」を 「オの字を頭」すなわち「オを”先頭”に置く」と解する
4.「オ」を 先頭に置くと 「オ巨」 となる
すると どうか 見慣れた とある字が 現れた
「オ巨」 つまり 「拒」(こばむ) だ
◆
んじゃ なにかい? 拒むってえから 怪物は ”頭を左右に振ってた” なんて 言うつもりかい? そいつぁ ”首を左右に振る” の間違いじゃあ ねぇのかい? そら ちと サゲが弱ぇって もんだぁ
八っつぁん ちょいと待ちな 流石に こっちもそんな 短絡の生焼けを 配膳してはいない
この事による にぅまの考察は 以下の通りだ
「巨頭オ」の 舞台となった地は 外部の者の立入・侵入を留め 何らかの事情を隠匿する 禁則の地であった
しかし 接近を阻もうにも 単に 立入禁止などの 看板を用いた所で 好奇心に支配された 人間風情には 大した意味を成さない
そこで この地への立ち入りを ”拒む”意味から 「拒」の字を 字謎的解体を施し 「巨頭オ」という 一見 不可解な文字列となし これを 接近者に怪異をもたらす呪い と変容させた
それより 偶然にも この字謎的解体で 抽出された 「巨頭」の文字列から 「頭の大きな」怪物が 現れる怪異が 生み出された
通説では 『頭の大きな怪物が この地に存在し それを指し示す看板が「巨頭オ」』という 解釈であった
しかし にぅまの解釈では 『「巨頭オ」という看板を 仕組んだ事によって 頭の大きな怪物が たまたま 召喚のような形で現れた』 と見なす (怪物の動きについて 意図のあるアクションか 否かは 詰まる所 解らないという事を 付け加えておく)
言うなれば 通説は「怪物が先で看板が後」 にぅま説は「看板が先で怪物が後」 と逆説になっている ここが肝腎
ところで
にぅま説における 最大の謎は その地に 立ち入る外部者を 拒んでいるのは 何者なのか そして その地に 何を隠しているのか という点だ
外部からの侵入を拒む のであるから 「ここからは危険だ」という 注意喚起の為であるとは 到底 考えにくく むしろ 「決してここに近寄るな」という 強烈な拒絶と警告 だと見える
にぅま説では 頭の大きな何らかの存在は 呪化による産物である為 その地とは 本来 直接的な関係を 結んではいない
よって その地では 巨頭に関する何某かを隠す事とは 全く別の事情による理由を 持っていると 考えるのが 自然だろう
呪法を 携えている事から 何らかの宗教的関りを持つ 個人もしくは集団であり 隠しているものも その信仰に関わるものではないか との見解も 充分に可能だ
残念ながら 持ち得る情報の 限りを尽くした 本稿においては ここまでが限界である
ひょっとしたら この「巨頭オ」の舞台は その関連が いまだ示唆されていないだけで 他の多くの 体験談をも 生んでいる もしくは 尚も 語られずに 噤まれた 怪異譚を もたらしているのかもしれない
怪異蒐集家:中山市朗の 伝説的怪談『山の牧場』の 不可解さに満ちたような 未知の場所として
結語
稚拙ながら 考察を 展開した
当然ながら にぅまが 自身の説と解釈に対して 「これこそ真実・真相だ!」と 息まくつもりは 一切ない
目的とする所は ただ一つ 「考察の可能性を広め より愉しめる 一助となる事」 それだけである
オカルト 中でも 都市伝説考察の 醍醐味とは 如何に 断片的な情報から 他に散乱する記事や 既に持つ知識を導引し 統合を図り 緻密に仮説を 構築出来るか という所に尽きる
限られた記述から どこまで 深掘りが出来るか どこまで 視野を広げられるか どこまで 世界観を描けるか それが オカルトを愉しむ事の 意義に違いない
知的娯楽 としての オカルトが ここにある
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