【言葉遊び空論01】マカロニ体・マカロニック
マカロニ体 あるいは マカロニック と呼ばれる 文体の技法
余程 厚みのある レトリックの辞書でもなければ その項目の 掲載すら 危うい
マカロニ体(以下この呼称で統一する)は 紹介する文献によっては 「多言語文体」だとか 「雅俗混交(混淆)体」だとか 和訳されている
元々は欧州で 「自国語の単語にラテン語の語尾や格変化を加える文体技法」 だったようだが 現在では 「自国語と他国語を交ぜた文体技法」 というところで 落ち着いている ようである
「自国語をラテン語っぽく見せる」 という点に限れば 現在それは 『雪隠ラテン』『ピッグラテン』『ドッグラテン』などと 呼ばれているようだ
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ところで 「自国語と他国語を交ぜた」文章 とは一体?
アイテム欄で 魔法のカルタを選択してから メルヘンなラーメン屋に入り パプリカのオブジェを ランドセルに詰め込んだら ノルマは達成され ラッコのメダルが 獲得出来る
この文章 アイテム→英語 カルタ→ポルトガル語 メルヘン→ドイツ語 ラーメン→中国語 パプリカ→ハンガリー語 オブジェ→フランス語 ランドセル→オランダ語 ノルマ→ロシア語 ラッコ→アイヌ語 メダル→イタリア語 が それぞれ語源となっている外来語で 構成されているが マカロニ体だろうか
いや どうも こんな 『ルー語』の多国籍変種の ようなモンとは 違うらしい
どうやら 「自国語と他国語を交ぜる」 というのは 「自国語の文章の中に他国語を併用する」事ではなく 「自国語と他国語を混成・融合する」事を 意味しているようだ
「油ぎる」と「エネルギッシュ」を合わせた「油ギッシュ」や 「乙女」と性質を表す「~チック」を合わせた「乙女チック」 なんて言葉が シンプルなモデルだろう
この例から マカロニ体は 「とある言語っぽい語呂に変化させる技法」 とも言えるが そうなると ネタ例は いくらでも見つかる
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昔 見た事がある漫画では 外国人のセリフだという事を 表現する為に 「~するネンコ」(当該キャラはロシア人) といったような措置を とっていた
このような ある言語に特有の語句(主に接頭語・接尾語)を 付属するという手段は 「ソーセージマルメターノ」(イタリア語っぽい)などを見ても お解りの通り 常套手段であるようだ
(※お笑い芸人:バカリズムの 『トツギーノ』も イタリア語っぽく 変換させたネタのようには 見えるが 当人の意図が 事実としてそうであるのか 単に語感的な面白さを 表現したモノであるかは 定かではない)
文章全体の発音が 他国語に似ている というタイプで言えば 「ようちょん切れるハサミだ」(韓国語っぽい) 「主電源消すと部屋くらいねん」(ドイツ語っぽい) 「麻布十番で十手持った女子の温かい肌襦袢」(フランス語っぽい) などがあり 特にこの方面で 『ドイツ語っぽく便意を伝える』 というネタは 完成度が高い
ハイル! フンデルベン! ミーデルベン!
ヘーヒルト ベンデル! フンバルト ヘーデル! ベンダシタイナー!
フンデルト モレル ケッツカラデルド! フンベン モルゲン!
モーデルワ イッヒ アーデル ゲーベン! ワーデル!
「梅雨有蛙並個性可愛的英雄」「我望求愛嘴広鸛」のような『偽中国語』は 音声ではなく 表記が他国語っぽく見える という事で 特殊な例ではあるが 充分に マカロニ体の条件は 満たしている
(※「夜露死苦」は 『当て字』であって この範疇ではなく さらに余談だが 似非中国人の表現として のらくろにすら 既に見られる 「~アルヨ」といったモノは 博士言葉・老人言葉・お嬢様言葉などの 『役割語』と呼ばれる表現法であり マカロニ体とは異なる)
このような 音声的マカロニ体 に対して 表記的マカロニ体 とでもいう意味で アルファベット圏では RをЯ NをИ などに置き換えて ロシア語っぽく見せる 『偽キリル文字』 という技法まで 存在している
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挙手
他国語っぽく聞こえる 音声的マカロニ体 という例では 「What time is it now?」→「掘った芋弄んな」 というモノも あるのではないか?
なるほど 大変に良い質問
「新聞くれ」を早口で言うと「シルヴプレ(お願いします:フランス語)」に聞こえる 「群馬に行く」を早口で言うと「グッモーニング(英語)」に聞こえる というような 「他国語のとあるフレーズが自国語のように聞こえる」「日本語であるセリフを言えば他国語のあるフレーズとして通じる」 といったモノも 多く見られる
だが 先に述べた通り マカロニ体は 「とある言語っぽい語呂に変化させる技法」に 主体があると思われるし その本質は 明確に 「作為的な言語の変形」だ
(そもそもマカロニ体は 自国語主体の技巧であって 「似せている対象の言語に対しても何らかの意味や内容が通じさせる」 というような意図は 一切考慮してはいない)
「とあるフレーズが他言語のとあるフレーズに聞こえる」 といった類の例は マカロニ体 というよりは むしろ 『語呂合わせ』もしくは『空耳』のジャンルに 属するモノと 考えれば ある程度 落ち着くのでは ないか
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『レトリック事典』(佐藤信夫他著) 『日本語の文体・レトリック辞典』(中村明著)では マカロニ体の例として 双方とも 「イワンコッチャナイゼヴィッチ・イクライッテモダメダネフスキー理事」(井上ひさし『ブンとフン』)を 挙げているが 納得いかない
マカロニ体の例を 文学作品から 引用するなら もっと良い題材があるはずだ
英文学者:柳瀬尚紀が 初めて個人で全訳を完遂 という 偉業を成した 究極の言葉遊び文学作品 『フィネガンズ・ウェイク』(ジェイムズ・ジョイス著)は どうだろう
輪(わ)っか無(な)いで困(こマ)ルコとでもアルンスタかね、寝室(ねむろ)は見(み)ルカらに怠慢廃(たいマンスタ)れ、対馬(つしま)の余波音(ヨハネ)のコノートどろき!
──編(あ)む捨(す)てる訛(だ)むの徒結(アダムす)びな挨拶(あいさつ)を、やあ、あんたかい!
恋(こい)は発条(ヴァネ)サというものの、ステラれ姉妹(しまい)がふたりでに情(ジョウ)ナサン男(おとこ)に憤(いきどお)ったのは、まだだった。
原著でさえ 難解かつ理解不能 と言われた文体を 尊重しつつ また独自の造語技巧を 駆使して 翻訳した労力は 賞賛に値する
また挙手
翻訳された モノではなく 日本人の手による作品では こういったモノはあるか?
答え:勿論 当然 問題なく ある
柳瀬尚紀が この『フィネガンズ・ウェイク』の 翻訳にあたって 最大の原動力となった 歌人:加藤郁乎の 歌集に 見出す事が出来る
その真骨頂は 歌集『牧歌メロン』(加藤郁乎著)を見よ
冥途いん長火鉢のそれ者でギリシャる
印度らむ零度に今々しき照れぱしい
異化なるfin againも恋茄子に音ちる
これらに 見られる技法は 「他国語の自国語化」 とでも言えるだろう
「ダジャレと大差ないではないか」と 訝しる人もいるだろうが この他 「セザンヌるかな」「アルパカな長恨歌」「おはつにエヴァがる」 といった言葉からは 安易にダジャレとは 括れない躍動を 感じられはしないか
マカロニ体の本質である 「言語の融合」「言語の変形」を 縦横無尽に 編み出すセンスは見事であり 加藤郁乎ほどの マカロニ体の良材を 他に知らない
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