【言葉遊び空論12】完全ダジャレ・畳文

 「押し倒した」 という語がある

 一見すれば 何でもない 言葉ではあるが 「おしたおした」と かな表記に直すと 興味深い事が 判明する

 ”おした”という 文字列を そのまま2度 繰り返すだけで 一文として成立しているのである

 この事に 気付いた際 ただならぬ 感動を憶えた という体験の持ち主は 筆者を除いては そう居られないだろう

 それは さて置き

 このような 特定の文字列を そのまま2度 繰り返して 成立させた文章を 完全ダジャレもしくは畳文と呼ぶ

 似たもので 畳語を 思い浮かべる方も おられよう

 畳語とは ある文字列の 繰り返しで 構成される”語”を言い 複数・継続・強調の表現(例:山々・休み休み・あるある)の他 オノマトペ表現(例:コロコロ・ギラギラ)で 使用される合成語である

 繰り返された文字列が 一単語となるのが「畳語」であり 一文・文章となるのが「畳文」すなわち「完全ダジャレ」(以降この語で統一する) である事を まず しかと腑に落とし込んで 頂きたい

 以下は 筆者が Twitterにてツイート(現在削除済み)した 完全ダジャレ一覧の改変 及び その後に創作したものや 多くの方からリプライによって寄せられた 完全ダジャレの追加一覧であるので ご堪能頂きたい

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 ところで

 ダジャレを 専科とする諸氏にとっては この完全ダジャレなるものに対して どこか首を傾げ圧し折られる思いを お持ちであるかもしれない

 イグザクトリィ!(ずばりその通り!)

 完全ダジャレは その性質上 ダジャレの構造とは 異なっているのだ

 ダジャレは そもそも一般的には キーとなる語句A(メインワードM)と その語句A もしくは 語句Aに関係する 同音・近似音の語句B(コネクトワードc)が 文脈中に並列するか あるいは想起させるかで 成立する技法であったはずだ

ダジャレ基本四原理
【同音】
  「蚊も無く孵化も無し!!」 ⇒ 可・不可:M/蚊・孵化:c
  (東京都 蚊対策)
【近似音】
  「春はあげもの。」 ⇒ あけぼの:M/あげもの:c
  (サントリー角ハイボール)
【関連同音】
  「トラだって、泳ぎたいガーッ!」 ⇒ トラ:M/たいガー:c
  (東武動物公園)
【関連近似音】
  「向かいの空き地に囲いが出来た へぇ~ ってやってみな」
     ⇒ 囲い:M/へぇ~(→”塀”を示す):c
  (林家彦六の物真似をしている林家木久扇)

 完全ダジャレは 「特定の文字列を そのまま2度 繰り返す」 もっと言えば 「一切の文字の 付加や脱漏も無く 繰り返す”だけ”」だ

 その点からすると 完全ダジャレは 分類的に言えば 「音」系(音感・リズムを主体とするタイプ)の言葉遊びではなく 「列」系(配列・並びを主体とするタイプ)の言葉遊びである

 強いて括るのであれば 回文などと 同系列の技法と 言えるのだ

 これは相当に詳しく 掘り下げんとするような者にしか ピンとも プンとも パフィンとも来ないだろう

 一先ず 「完全ダジャレ」は ダジャレとは 性質的に ちと違う というデータを やんわりと 脳髄に浸しておけば 宜しい

 そもそも 「完全ダジャレ」と 命名したのは 筆者であるが これは あくまで 技法としての 受け入れやすさを 考慮したものである



 ところが この采配に よるものであろうか 完全ダジャレへの 勘違いが 幾らか 見受けられる 現状と相成った

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 当然 多くは 充分理解された 知的な方々ではあったものの ”惜しくも沸点 いや 融点に達せぬままに 創作に踏み込んだ”有象無象が 散見されたのも 事実である

 今一度 完全ダジャレの性質について 確認して おかなければならない

 それは 「文字列をそのまま2度繰り返す」 という点だ

 これは いくら繰り返しても 繰り返し過ぎる事は無い

 先にも 触れた通り これは 「一切の文字の付加や脱漏をしない」事と 同義であり それを意図した 説明である(※元のツイートでは こちらのような 厳密な定義の方を 採用し付記した)

 だが 完全ダジャレの存在を 眼前で受信し 自作を試みたという例で

野口英世の愚痴ひでえよ
(のぐちひでよのぐちひでえよ)

 というものが 寄せられた

 しかも 思ったより多数目立ち 中には 「すぐに思い付いた!オレ天才!」などと 息巻く青二才も存在していた

 もう一度 立ち返って見よう

 「一切の文字の付加や脱漏をしない」と そう留意したはずだ

 振り仮名で 「のぐちひでよのぐちひでよ」と見れば お解りの通り 余計な文字が 明らかに 加わっている(ついでに言えば この野口英世ダジャレは かなり以前から 通常のダジャレとして 既に知られている ネタである)

 いや 上記の表六玉は まだ マシであったかもしれない

 中には 「アルミ缶の上にあるミカン とかでしょ?」などと 問うてきた 愚鈍 蒙昧 ちゃらんぽらんの 信じられない反応すら あったからだ

 ここまでくると ルールの解釈 以前の 読解力に 踏み入る領域なので 早々に 国語のトイレットトレーニングを 卒業して頂きたい

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(サントリオ・サントリオ [1561-1636] イタリアの医師)




 さて この完全ダジャレ

 先に筆者は 「完全ダジャレは分類上”回文”と同系」 といった旨を表明したが そうなってくると 幾らか 検証を要する ポイントが 浮かび上がっている

 以下にそれぞれ 例を挙げてみる

①濁音化
 「解体が痛い(カイタイイタイ)」
 「酢撒いた住まいだ(スマイタスマイ)」

②促音化
 「屈した靴下(クシタクツシタ)」
 「薄荷も初かも(ハカモハツカモ)」

③拗音化
 「至急だし杞憂だ(シキウダシキユウダ)」
 「消化しようか(シウカシヨウカ)」
 「不安齎すファンも垂らす(フアンモタラスフンモタラス)」

 ①~③は 回文でもお馴染みの 濁音化・促音化・拗音化の 許容の是非に関わる 点である

 回文では おおよそ一般的には 許容されうる

 だが ”そのまま繰り返す”という点を 厳守する というのであれば 当然ながら ①~③の問題は アウト 即ち 認めはされぬ ココカラタチサレ と相なる

 一つ宜しいでしょうか?

 畳語においては 寒々(さむむ) 重ね重ね(かさねさね)など 繰り返しとなった 後半語句の頭文字が 濁音化する事は ままあります

 繰り返すという 手法が同等である 畳文こと 完全ダジャレにおいては この畳語のように 繰り返された後半語句の 頭文字という限定で 濁音は 許容され得るのでは ないでしょうか?

 良き質疑と見る

 見解を述べよう

 畳語では確かに 繰り返しとはいえども 性質上 濁音化するという現象は 確かにある

 しかしながら 完全ダジャレにおける 濁音の是非は 濁点を付す事の出来る 全ての文字が 当然ながら対象となる

 その為 特定箇所の濁音化という事では 済まないのだ

 更に 根本的な問題として 完全ダジャレは技法として「列」系であるが 畳語の場合を考えると むしろその要は 「音」系(語の調子・リズム)ではないだろうか

 この事から まず 畳語と完全ダジャレを 同ケースとして扱う という処置自体が 不適切な面を 持ち合わせている

 よって 畳語では可である為 畳文(完全ダジャレ)でも可であろう とは 安易に断定出来ない

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 さて 

 検証ポイントは 他にもある

④長音挿入
 「物真似もノーマネー(モノマネモノマネ)」
 「『際どい』ってキーワード言って(キワドイッテキドイッテ)」

 ④も 回文では たまに見られる 許容手法である

 実を言うと 先に悪例として挙げた 「野口英世の愚痴ひでえよ」であるが 書きようによっては 「野口英世の愚痴ひでーよ」と 出来る

 そう表記がなされれば もし長音が 完全ダジャレで 許容された場合 長音表記にする事で セーフ判定へと 転換される場合が 起こり得る

 では 次の例は どうか

⑤「お」と「を」の同一化
 「お水を見ず(オミズミズ)」

 「お」と格助詞「を」が 同音である事は 日本語の中に 育ち出でたる成人の 過半数は 言われなくとも 承知の上であろう

 いっとき 童謡「おべんとうのうた」の中の 『おにぎりおにぎりちょいとつめて』は 『おにぎりにぎりちょいとつめて』が正しい なる噂の流布も話題になったが 結局はガセと決着 という余談を思い起こす

 それは それとして

 「お」と「を」

 確かに 音としては 同じである

 しかしながら 完全ダジャレが 同じ文字列の繰り返しである という定義から考えると 一目瞭然に 字形の異なる 「お」「を」の許容は 不可と言える(ただし 回文作品では たまに許容が 見受けられる)

 では それを踏まえて 以下の例は どうだろうか

⑦助詞「は」への転換
 「食み出し涙は身嗜みだ(ハミダシナミダミダシナミダ)」

⑧助詞「へ」への転換
 「気狂い慰安 僻地がいい案へ(キチガイイアンヘキチガイイアン)」

 ⑦は係助詞「は」 ⑧は格助詞「へ」 の例だ

 係助詞の「は」は 発音上「わ」と同様であり 格助詞「へ」は 発音上「え」と同様である事は 少なくとも 本稿をお読みの 諸氏にとっては 言われるまでもない 知識であろう

 先の「お」「を」とは違い 音は異なるものの 文字の表記上は 全く同一である

 この為 助詞としての 「は」「へ」使用は 完全ダジャレの定義的には 何ら問題無い と見なす事が出来る

 以上の事から 完全ダジャレにおいては あくまで「文字列をそのまま繰り返す」という 定義に則する限り 『濁音化・促音化・拗音化・長音挿入・「お」と「を」の同一化』は 定義上は不適切 『助詞「は」「へ」への転換』は 問題無し となる

 勿論 将来的に 完全ダジャレの 大衆化が図られ 寛容策が設けられた暁に 不適切とした用法が 許容される可能性は 充分にある

 それは 完全ダジャレの 普及如何に 掛かっているだろう

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 ところで

 「完全ダジャレは回文と同型の技法である」 との旨を 先に唱えたが 実は 筆者が 完全ダジャレを提唱した 直後に 「完全ダジャレであり かつ 回文となっている文章は 出来るのだろうか」 という問いを 受けた

 言葉遊びに対して かなり鋭い着眼を お持ちの方のようである

 初めて 耳にする人の中には 「そんな行は可能なのか?」と 眉を顰め 困惑の顔色を 示すかもしれない

 だが シンプルに考えれば 可能である事は すぐに理解出来る

 完全ダジャレは 同じ文字列の繰り返し である

 という事は 繰り返す以前の 単一の文字列が 当然必要となる(例えば冒頭の「押し倒した(おしたおした)」における「おした」を指す)

 つまり この単一文字列の部分が 回文になっていさえすれば 同じ回文が2度 繰り返されるだけなので 結局は 全体的に回文となるのである

 以下は それを踏まえての 筆者の試験作(当時)である

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 こうした 2種の異なる 言葉遊びの技法を 融合する創作は 他にも 幾らか 存在しており 今後も 増えていくと 思われる

 詳細は いずれ別稿にて 採り上げるだろう


 

 完全ダジャレは 同じ文字列を 2度繰り返す これが基本

 しかし そこには 「文章となる」点が 重要なのだ

 当時 寄せられた 以下の例を 見てみる

ゆで卵 茹でた孫

 「ゆで卵」「茹でた孫」は いずれも 「ゆでたまご」で 同一の文字列である事は 存じの通り一丁目

 文脈としては 「ゆで卵(を)茹でた孫」の 助詞「を」を省いた 口語的な文体となれる(「ゆで卵が茹でた孫」とする解釈も出来るが 非常に猟奇的なゆで卵である)

 ただ この用法は ややもすると 同音異語(同じ音で異なった言葉)を 単に 2語羅列したように見える より悪化すると まさに 2語羅列しただけ といった事態が 起こりかねない(無理やり文章として 読み取る事は出来る といった意見も おそらく あるだろうが)

「帝国に変える 定刻に帰る」
「境界線 今日開戦」
「鏡 屈み」

 この問題が 浮上する 原因は何か

 即ちそれは 文字列が そのままの区切りで 繰り返される事にある

 前掲の一覧の中に 「私マスカラ渡しますから」を 収めていたが これは 「わたしますから」 という文字列が このままの状態で 「私マスカラ」「渡しますから」という 変換がなされている

 辛うじて 文章となっている故に 完全ダジャレ合格ラインを 達する形となっているが 既に見た通り このやり口は 非常に危ういのだ

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 ならば 如何にすべきか

 その対応策として 行なわれる手法がある

 冒頭で 紹介した「押し倒した」や 一覧内にある「今従いましたが」が それである

 勘と察しの 良い読者であれば 既に説明の必要も あるまい

 だが便宜上 説明する

 この二文は 確かに それぞれ 「おした」「いましたが」の文字列の 繰り返しで 成り立っているが 「わたしますから」の例と 異なるのは 全体として見た時 文字列の区切りを ズラしている点である

 「押し倒した」は「おし/たおした」 「今従いましたが」は 「いま/したがいましたが」 と繰り返しの部分で 区切られている訳ではない

 これこそが 完全ダジャレの妙技なり

 この手法によって 区切りを同じくしたまま 2度の文字列を反復させた作よりは グッと ググッと 文章らしさが 引き立つ

 単なる 2語の羅列でしかない あるいは そのように見えてしまう という点は これによって 遥かに 解消される事だろう

 当然 出来映え(作品としての質)は また別問題では あるのだが



 特定の文字列を そのまま2度 繰り返す

 という風に はじめ 完全ダジャレを 定義付けたが これは 実の所 以下のように 称す事も出来ただろう

 特定の文字列を そのまま複数回 繰り返す

 「2度」ではなく 「複数回」とする事で 3度の文字列の繰り返しや 4度の あるいは 5度の といった応用が 可能となるはずだ

 勇敢なる 興味本位者諸君

 標準の 2度繰り返しの完全ダジャレは 勿論 3度や4度の繰り返しを備えた 完全ダジャレに 脳内配線シナプス祭を 巡らすのも 一向ではないだろうか

 完全ダジャレは 未知数である

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