【言葉遊び空論03】ハナモゲラ

 ハナモゲラ と呼ばれる 言葉遊び もしくは 一種の芸当がある

 知名度は そこそこに あると言っても 良いだろうが これ程 至極厄介な 言葉遊びも そうあるまい

 なぜなら ハナモゲラは 各人によって 捉え方 具体的に言えば イメージする手法に 対して かなりの差異(ズレ)が 生じているからだ

 その差異は ハナモゲラを 知る者達は おろか ハナモゲラに 興じる者達の中ですら 巻き起こっている有様である

 それ故 それらの多様な例から 一括した ハナモゲラの要諦を 説明しているケースは 揚子江を遊泳する シロナガスクジラほどに お目に掛れない状況である

 由是観之(これによりてこれをみるに) ハナモゲラの 本質は 一体 何であるのかを 今一度 探る必要がある

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 「虚構におけるハナモゲラの自己完結性」(『定本ハナモゲラの研究』序)の中で 作家:筒井康隆は 「SFを書く必要」から ハナモゲラに着手したと 振り返っているが 「SFにおける異星語は地球上の言葉であってはならない」 という信念から メスを入れている関係からか どうも 当人にとって ハナモゲラは ”地球語の影響から離脱した表現"と 解しているらしい

 「地球語からの離脱」 これは おそらく 想定されたハナモゲラの条件としては 最も厳格なモノだろうと 思われる

 しかし実際に 筒井康隆の言う 「地球語からの離脱」は 可能なのか

 言語学者:千野栄一は 下記の如く喝破する

もし、ハナモゲラ語なる全くでたらめな言語を使うにしても、文の基本的な構造を表現する部分は私たちの知っている言語、すなわち、日本語であるに違いなく、ハナモゲラ語なるものを使える個所は限られているはずである。

 話者がたとえ どこの国のモノでもない言葉と称して デタラメに喋って見せたとしても その言葉は性質上 母国語を脱し得ない

 それ即ち 「地球語からの離脱」など 不可能と 断じざるを得ず 地球語から離脱した言葉である事を ハナモゲラの条件に 設定する事は 相当に 無茶だと言える

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にいどゆう インスタグラム アカウントより)



 こういう反応が 来るかもしれない

 「地球語からの離脱は 不可能であるにせよ それはあくまで 性質から観測した問題であり 見聞きする側にとっては さほど 気に留める部分ではない
 例えば 無作為(ランダム)な 文字の配列による言葉なら 素人にしてみれば 表現上 全くデタラメな あるいは未知の言語と 捉えられても おかしくはないはずだ」

 なるほど もっともな意見である

 しかし そこには 別の問題が 浮上している事に お気付きだろうか

 例を出そう

 ボタンを押すだけで 自動的に いわゆる"ハナモゲラ"が 短歌調で 生成されるという ハナモゲラ短歌自動作成サイト「みんなのはなもげら」

ひなさへば ただりたせしき かぜふくに
          ふなとかへずり わびきぞさごの
かぎさはに かのちはるする けきえつつ
          かたえしなけの なけてはふのみ

 歌人:笹公人は 著書『ハナモゲラ和歌の誘惑』の中で これを「スグレモノ」と 評価するモノの 「何首か作っただけで飽きて」しまう と苦言を露にする

 ここに ハナモゲラに対する 「全くデタラメ」 という要素の問題が 浮き彫りとなっている事が お解りだろうか

 考えてみれば 単に 「五七五七七の字数分に合わせて文字を無作為に配列させる」という やり口において
「■△■■ ■△△■△■△ ■△△△■ ■■■△■△△ ■△△△■△■」
 などといった 記号の無作為な配列とで 一体何の違いが あるというのか

 自動生成による ハナモゲラ短歌に 「虚しさが残る」(笹公人談)理由は ここにある

 ハナモゲラは 一見 "デタラメ"と 言えなくもないが 実の所は 「ある決定的な"ルール(暗黙の前提)"を持った表現技法」 なのではないか



 ハナモゲラの持つ 「ある決定的なルール」

 そのヒントとなり得る例を 同じくハナモゲラ和歌の 分野から挙げる

みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ
           すぎかきすらの はっぱふみふみ

 これは タレント:大橋巨泉が かつて パイロット万年筆の CM内で披露した アドリブのセリフ いや "短歌"である

「みじかびの」はすぐに「短い」を呼び起こすし、「きゃぷりきとれば」は「キャップをとれば」に通ずる。「すぎりょびれすぎかきすらの」あたりもオノマトペ調のナンセンス言葉のように見えながら、「過ぎる」という動詞、「ちょび筆」という名詞、「すぐ書く」とか「すらすら書く」とかいう連想は普通の日本人なら直ちに思いうかぶはずである。また「ふみふみ」も当然、手紙(文)を暗示する言葉だ。(中略)この歌は案外、短歌という詩型のもつ、リズムと音韻と意味との関係の、伝統的な本質を示したとも言える。

 歌人:岡井隆は かように語るが 非常に高く評価している様が 窺える

 ここで重要なのは デタラメと思われた文字列から 何かしら結びつくイメージを 呼び起こすという "解読的な鑑賞"を 行なっているという点である

 笹公人も 呼応して曰く

なんとなく和歌のように聴こえるというところが「ハナモゲラ和歌」の最重要ポイントである。(略)音のニュアンスを頼りに歌の解釈をしようと試みるのもハナモゲラ和歌の特徴である。

 この 「音のニュアンスを頼りに歌の解釈をしようと試みる」事を 逆手にとり ドラマー:小山彰太は 「ヘラハリ和歌」と称する ハナモゲラ和歌の 技法を 体系化している

【言葉の技法】
1.ひしゃげんの法
日常語をゆがませる技法(例:空の鳥→しょらぬつり)
2.てんごろんの法
日常語を転換し二・三転させる技法(例:ヨーロッパ→パツヨロ→ぱっちょろ)
3.はしょりんの法
日常語を省略化させる技法(例:いそぎんちゃく→ぎょんちゃ)
4.ねばこねんの法
複数の日常語を繋げる技法(例:しゃらくさいお前ら→しゃるめら)
【表現の技法】
1.すだれぼかしの法
 あからさまな表現を避ける技法
 例:朝が来た 太陽が出た 真っ赤っか 今日は快晴 雨は降るまい
 → あがたきさ いうでたよがた つつまかか きはかせはいい あはるめはまい
2.はくちへんげの法
 脱力的な表現をする技法
 例:しろがねも こがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
 → へれけのむ けこににてみを にょりじんの あせれろちゃくり けぬじきぬのん
3.もろすどおしの法
 比較的明瞭な表現をする技法
 例:「ポーランドに旅した際日本語の至極堪能なるガイドのハンナ嬢に」
 → さてました ですかここゆく もしあんな なんじくるする ささそれするか
4.じざいうつりの法
 ある対象になりきって詠む技法
 例:「ヨーロッパの旅にて 我らの意志薄弱ぶりを
   我がドイツのマネージャー、ホルストになり代わり」
  → けっへれほ うんぜいのっほ どっほりひ ぐうぜるあっほ いっひとっほほ
5.からげよみの法
 鳥瞰的に全ての対象を詠む技法
 例:「山下氏宅にてバーベキュー・パーティがあった 星降る静かな夜 皆心地よく酩酊し
   焼け残ったトウモロコシを眺め 虫めらの囁きを耳にしつつ」
 →ばべきゅれら すたふりすぐる のこりびの やけびもろこす ころもおとよぐ

 「言葉の音から解釈(イメージ)する

 ハナモゲラを 理解する上で この命題は 重大な核心部であると 断言できる



 先に 「言葉の音から解釈する」事は ハナモゲラの核心と 言った

 だが その一方で 「過剰な解釈もしくは解読をする」事に ついては 待ったをかける 必要がある

 過剰な解釈や解読とは 要するに 「具体的な事物や事柄へ結びつける」「明確な意味ある事象に置き換える」 事を指す

 笹公人は 先の著作内で 多くの歌人らに 題を提示した形で (全文ひらがなの)ハナモゲラ和歌を 詠んでもらい それについて自身の"解釈"を 多く述べているが 「漢字に直」したり「~~している光景」「~~をイメージ出来る」といった具合に かなり具体化している

 この鑑賞の仕方を 全否定するつもりは 毛頭無いが あまりに このような 過剰な解釈・解読を施してしまうと それは単なる"翻訳"になりかねない

ワフィ ユゥートゥ リラナ
ワフィ ルプー ルラナ セアヴィドゥ
ラフィ マニュ ルティニ
ラフィ マニャ ルファナ マニワフィドゥ
ユムゥナ エナ トールゥーン リーラナ
エナ ルプー ルラナ パドゥウィードゥ
バーリュ エフィーリートゥーラ
バーリュ ルプー ルファンナ ウィ二ウィナドゥ

 例えば 漫画・ゲームなどで 登場する 架空言語は 言うなれば 「現実に存在しない言語」では あるモノの だからといって 「全く意味を持たない」訳ではなく それには 緻密な対訳が 構築されている

何かがおきる
何かはじまる すぐ側で
誰かが見てる
誰か待ってる その先で
だから 世界が回る
世界が動く 君の手で
ココロがおどる
ココロがゆれる 君の目で

 因みに これは 『風のクロノア~世界が望んだ忘れもの~』の中の 挿入歌の一部であり 本編では 前者の「クロノア語(?)」で 歌われている

 ハナモゲラの 過剰な解釈・解読は 翻訳作業と変わらない上 これでは 「ハナモゲラは異国語・架空言語に等しい」と 捉えられかねず ハナモゲラ そのモノの意義を 喪失させてしまう 危険性すらある

 と言っても あくまで これは "過剰な"解釈・解読に対して 触れた注意に過ぎず 解釈自体は否定しない



 もし 解釈 という言い方で 表すとすれば 問題は 「ハナモゲラにとって最低限解釈される事とは何か」 となるかもしれない

 『左右柱対談 タモリvs坂田明』より 引用してみる

タモリ:ヘメラミネロって言いたいわけだよな。
坂 田:コロモシタひとつの状況がムネハレシするんだ。
タモリ:そりゃ大賛成だな。ムレロケッてるしね。
坂 田:アメのサネコケタと言った中学の卑猥な教育がいかん。
タモリ:へえー、中学からねえ。
坂 田:ひどいのになると小学校からサネハシタだもん。
タモリ:ズルズル?マンチョビレ?
坂 田:マンチョビレ、ハタコソノだよ。
タモリ:メサマロウシルのベチャペロ。
坂 田:そう、アカのハラベショハラマッチャ。
タモリ:ウワー、ほんと。ルーシタレコケチョソマビレ。
坂 田:結局、モベンチョかなあ。
タモリ:サネのウラから鳩が飛び出す。
坂 田:つまりコネココネコネコノコオコゼノコだよ。
タモリ:ベサツのサレモケとか、タータのヘッタとか言ってるけどね。

 もう一つ 2ch(現5ch)に 古くからある コピペネタ

こんばんは。
エルマ族のケムチャといいます。
エルマ族の中でも優秀な、ハスーイの末裔ですよ。
この前、友達のクレセロとジャッフンーの大会に出たんです。
それで決勝までいったんですが、決勝で凄い面白いことが起きたんですよ。
なんと最終ババウのときに、クロセロがケウェーウをシャイツwwwww
しかも相手チームもハジャエをロッキンスマールしてたしwww
セルニャじゃないんだからwwww
まじうけるwwwwwナハウwww
ハユイwwwケスwwww
やべwwww母国語でちゃったwwwバスwwww

 「意味が解らなくてモヤモヤします 誰か意味を教えて下さい」

 と言った 勘違い屋の エンカウント率が 格段に増えそうではあるが 勿論 ここで 言われている 個々の"意味不明な言葉"に (後者こそ 部族という設定を置いてはいるが) そもそも 意味は無い

 チンプンカンプン・トラニャーニャー とはいえ それでも 「何やら ~~についての事柄を 喋っているように 見える」 という感覚は 抱いているに違いない

 これこそが ハナモゲラの 神髄!!

 先に引用した 笹公人の 「なんとなく和歌のように聴こえるというところが(ハナモゲラ和歌の)最重要ポイント」を 核心部と明言したのは ここに由来する

 ハナモゲラは このような 「それっぽく聞こえる」事に 重きを置き 解釈するのは 「意味」ではなく むしろ 「雰囲気」の方である

 雰囲気を解釈する と言うよりも 雰囲気(それっぽさ)を感じ取る と言った方が 正確かもしれない

 記憶に蘇る ラーメンズの『日本語学校』 冒頭で 交わされる 意味不明な セリフのやりとりにも この類と見て 良いだろう



 「それっぽさ」を感じ取る

 パントマイマー:マルセ太郎は ハナモゲラという概念ではなく まさに 己がパントマイム という芸において それを実演して見せた

マルセの考え方では、国会中継というのは質問する方も答える方も、もうなぁなぁで出来てる。だったらセリフなんて要らないんじゃないか、言葉なんか要らないんじゃないか。

 タレント:永六輔の 非常に解りやすい この解説の直後 マルセ太郎は デタラメながらも 抑揚や音の高低などを駆使した"口調"によって 『国会中継』を 再現してみせた

検事は検事、弁護士は弁護士というのが、なんか形式になってきて、証人が呼ばれてもその証人も同じように形式になってきている。言葉が通じなくても言ってる事が解るという。

 同じく 永六輔の この明快な解説の後に ここでは 更に 「検事役をドイツ語/弁護士役をフランス語/証人役を中国語」で割り当て 『裁判』を 再現してみせた(当然 ここでの ドイツ語などの外国語は デタラメに喋っている)

 千野栄一が タレント:タモリのハナモゲラに 言及した際の内容は そっくりそのまま マルセ太郎のパントマイムにも 当てはまる

これこれしかじかのことを示しているという口上がありこれが一つのポイントで、聴取者はこの言葉でまずイメージを築き上げる。そして、ゼスチャーが更に伝達の不備を補い、状況の理解を促進させ、言語による伝達の負担を軽くして、ついにはデタラメな言語を話しながら、分からせる

 言うなれば デタラメな言葉に 何やら意味がありそうに 見せるには そう見せる為の 想定のお膳立てが 必要という事だ

 それは 何も アクションだけではない

 けめせ奸穴のひらまけてはなく、媾翫に猥ぬられた。
 「みねはれたか。け」
 そも婢の研のらけてか。起てか。妖奮の濡れ子の陰たまままちばけると、淫実にか核かとけめた。ほのめらかんだ妖むらかんだ媚の襞をそろれはけて嬉桃亀の嬌は紅姦の臭いられにまとらないぞ。

 筒井康隆の書いた "ポルノ"文章であるが ここでは 「漢字のチョイス」が なるほど それらしさを 醸し出している事を 成立させている

意味不明な架空の単語使って議論しようぜwww
・お前らシャペリーの法則についてどう思う?原発問題を解決できると思うんだが
・いや、それよりアルトロンの矛盾を使ったほうが良いだろ これ応用したら放射能も消せると思うし
・なんで日本はカントラバリ効果を用いて地震の予知をしなかったのだろうか…
・少し前からピロロヒリス現象が起こっていたのにカントラバリ効果が使えるわけ無いだろう



 先に マルセ太郎の『裁判』では 検事・弁護士・証人それぞれに 外国語が当てはめられていたが その当該外国語はデタラメである と言った

 このいわゆる 「インチキ外国語(フェイク・ランゲージ)」と 呼ばれるモノは 最も ハナモゲラの印象を強くしている ジャンルの一つであろう

 コメディアン:藤村有弘の インチキ外国語芸は 類稀なる威光を 放っていた

 落語家:立川談志をして 「タモリにゃ悪いが、ケタが違う。」と 藤村有弘を絶賛し 「"ニセ語で表現する"のではなく、"本物を疑音に似せる、という「芸」を演る"と表現したほうが正確である。」とまで 言わしめたほど

 なお藤村有弘 ある時 ピアノを弾いて見せるが 立川談志が「これ何の曲」と聞くと 「メチャクチャなんざんす」と 返したとか

 何故 デタラメに喋っている言葉が その外国語に聞こえるのか

 これも 千野栄一が 簡潔に解説してくれている

 何々語らしさとわれわれが感ずる要素はいくつかあるが、まずその第一はイントネーションである。
 それぞれの言語には独自のイントネーションの型があるので、上手にイントネーションのパターンをまねれば、ある程度その言語を想起させることができる。(略)
 しかし、イントネーションだけで言語を特定することは困難であり、そこでさらに、その言語にある特徴的な音を入れることにより、その言語らしさを出している。(略)
 それぞれの言語には独自の音の結合のパターンがあり、この結合の仕方で、その言語の与える印象は全くといっていいほどちがってくる。

 言語学的にみると 「イントネーション」と「音の結合」によって その言語のように聞かせる事は可能 という事だ

 これは先の 「デタラメに喋って見せたとしても その言葉は性質上 母国語を脱し得ない」 即ち 「日本人が喋れば日本語にしかならない」 という論に 繋がる

 片鱗は既にあった

 ジャズピアニスト:山下洋輔が 『面白半分』にて それを記す

 それは「日本語の物真似」である。正確には「はじめての日本語を聴いた外人の耳に聴こえる日本語の物真似」を言う。(略)
 「実は変なことを考えた」とやや顔を紅潮させて彼(筆者注:中村誠一のこと)は言った。「生まれてはじめて日本語を聴いた外人にそれがどう聴こえるかを考えたんだ」そしてやってくれた。正座した。
「いやあ、あれこれました。おや、それこれ、あしたとてますか」ペコペコ頭を下げたりした。それは他のどんな言葉でもない、まぎれもない日本語だったのだ。

 因みに 出来が良い訳では 全くないが 筆者独自に インチキ外国語を 作成した痕跡が 以下の通り

【音の印象だけでその国の言葉っぽく】
フランス語:デュコセール シェノンドゥ エヴォーレ
イタリア語:エレ ディア-ノ ツェ コルフェッサ
ドイツ語:ツィヒ ノイヴァント ダン ドルテリッヒ ヴォルーゲン
ロシア語:ズヤ シェートフ コモヂェー ドゥチリョーム ニェーボルゴヴィチ
【それぞれの国の言葉のイメージ】
フランス語:破裂音が無い・常に空気が抜けていく・エの母音が多い
イタリア語:メロディやリズム感がある・ラレロやノでよく終わる
ドイツ語:濁点が多い・打楽器っぽい・破裂音が目立つ
ロシア語:母音アがあまり無い・モゴモゴ言ってる・長い



 ここで一つ 外国語という 繋がりで 「外国語のセリフあるいは歌の一節が日本語に聞こえる」 といった いわゆる「空耳」に 触れておきたい

 とくれば 言わずと知れた 誰が言ったか 知らないが 言われてみれば 確かに聴こえる 『空耳アワー』の お時間が やってまいりました

Judas Priest『Sinner』より
CURSE AND DAMN YOU. ALL YOU FALL BY THE HAND OF THE SINNER
(母さんが言う「こういうパーマは変だ」と死のう)
Prodigy『FIRE』より
When I was a youth I used to burn Cali weed in a Rizla, a Rizla, a Rizla, a Rizla
(変なオッチャン言うた『ヨシャ、もう1回 飯島にしよう』『ほかにしよう ほかにしよう』」)
At The Drive-In『Sleepwalk Capsules』より
Fau Fau Fau Fau Faulty Tower
(ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!)

 バラエティ番組『タモリ倶楽部』を 代表する1コーナーにおいて 空耳とハナモゲラの関係に触れた という報告は聞いていないが ハナモゲラのイメージを 「インチキ外国語」よりも こちらの「空耳」の方で 捉えている人は多い

 問題は 「日本語以外で 歌われている歌詞が 日本語の様に聞こえる」 という その性質が ハナモゲラに通ずるのか という点だ

 以下に例

教科書に出てくる言葉を必殺技っぽく
・ビルトイン・スタビライザあああああああッー!!!!!!!!
・フォッサ・マグナァァァーッ!!
・浸!透!圧!
・垂直!二等分線!!!!
・アリィ!オリィ!ハベリィ!イマソカRYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!!!!!
魚の名前を逆に読むとMSっぽくなる
・ギナウ
・ビエ-マルク
・ログマ=ロク
・バサ-キセ
・Gアーマー

 何の変哲も 無かったはずの言葉に ほんの少し 工夫を凝らし その"語感"だけで 全く異なったイメージへと 変貌させる という この手のネタは たびたび見掛ける

 この 「異なったイメージへの転換」は 空耳の要因である 「異なった言語(外国語→日本語)への転換」と 同型の原理と見て 良いだろう

 何より こうした 「異なったイメージ・言語への転換」は 前述した ハナモゲラにおける 「それっぽく聞こえる」という 特性と変わりない (共に "互換性"とでも 言えるか)

 この解釈においては 空耳も ハナモゲラに属する と考えて 問題は無さそうだ

You got me mad now.
(歪みねえな)
Like embarrassing me huh!?
(最近だらしねぇな!?)
How do you like that, huh?
(あんかけチャーハン?)



 ハナモゲラの本質とは何か ここまでで ある程度の解明は 出来たはずだ

 一言で表せば ハナモゲラの本質は 「擬態」である

 それは 意味の擬態…… 音声の擬態…… 性質の擬態…… 等々様々あるだろうが 強調すれば 「擬態言語」(言語に基づいた擬態)とでも言える

 ハナモゲラ(ヘラハリ)和歌も インチキ外国語も 空耳も…… それらは全て 「擬態」がもたらした 表現妙技である

 ところで こうした"擬態"をエッセンスとした ハナモゲラにおいて これまで述べた分野に比して 遥かに 発展途上のジャンルがある

 ずばり ハナモゲラ文字

 これまで 取り上げた例は セリフや単語の 「音声」が主体であるケースが 大多数を占めており また 筒井康隆のハナモゲラポルノの例などは 読まずとも それは 既存の「文字」を主体とした ケースであった

 「文字の形状が既存のある文字のように見える」 即ち 視覚性ハナモゲラたる ハナモゲラ文字は 難航しているのであろうか はたまた 見向きもされていないのであろうか あまり 開拓されてはいないように思える

 とは言え 探せば 断片的に 見出す事は可能だ

 パフォーミングアーティスト:小林賢太郎は 『ない』の中で 存在しない ひらがなの50音を披露した

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 そして 『伝染るんです』(吉田戦車:著)に 登場する傷(※キャラクター名)は 「新しい字を発明」したと それを表記し 更にそれを 発音してみせる 荒業をも見せつけた

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 更に 芸術家:徐冰は 「偽漢字」という 実在しない漢字だけで 書かれた 作品本・印刷物を 世に送り出した

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 少なくとも ここでは 「ハナモゲラひらがな」「ハナモゲラ漢字」の 原石が地中から 顔を覗かせている(不思議と「ハナモゲラカタカナ」は 見られない)

 そんな中で 2013年3月28日の 朝日新聞19面において 画期的な記事が掲載され 話題となった

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 デザイナー:小阪淳による 「疎通」と題された"作品"

「世界なんて意味を見いだせないことのほうが多いのですから、世相を表す新聞にだって意味が見いだせない部分があってもいいのではないかと思います。わかることよりも、わからないことのほうが素晴らしいと感じる時もあります」
バベルの塔、原発、暗号などとさまざまな解釈が出ているが、「正解」はあるのだろうか。この問いに、小阪さんはこう答える。
「あらゆる推測すべてが正解です。私は、ご覧になられた皆さんに正解を教えていただいているわけです。とてもありがたいことです。それは今回の作品だけでなく、本シリーズ全体を通して言えることでもあります」

 ハナモゲラの「擬態」という面も含め まさに 前述した ハナモゲラ文字の 理想的モデルを表現した 実に見事な作品である

 惜しむらくは 複数回 同じ疑似文字を 使用している点で あろうか もしこれが 全て違う文字で 構成されていたのであれば 真に完璧なハナモゲラ文字作品であると 最低でも ここにいる若干一名から 賞賛を得られたであろう (使用している疑似文字は24種類と見られる)

 拙いながら その試みは 筆者自身で 模索中である



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 最後に一つ 触れておくべき事

 ミュージシャン:中村誠一 演目『フリー落語』

 世の中には、このお…………何商売と言いましても迷いてえものがございまして、三日四日帰らない、さて親御さんは御心配でございまして、
 「お前というものはいったい何をしているんだい」
 「だって寒いもん」なあんてんで、
 話にもなにもなりはしませんが、だいたい落語てえものは、洒落てえものが重要で、一階へトントントンと上がると、そこが四畳半であったりしまして、
 「馬鹿だねえ、お前は」
 「何が」
 「だって、そうじゃあないか、あたしてえものがありながら、お前は全然だらしがないじゃあないか」
 「番頭さん、こっちへ入っておくんなさい」
 河童野郎を引背負って、三日四日帰らない、それじゃあしょうがないと言うので、これを夫婦にする。四方が丸くおさまって、大岡いらねえ、細工は棟りょう仕上げを御覧じろなあんて、馬鹿なことを言っている。

 同じく 中村誠一 小説『幻の戦士・鈴唐毛の馬慣れ』

 いつもの所に、いつもいる様に、鈴唐毛は困っていた。
 「なんて暑いんだ」と言った時、カモメは飛んだ。水絣の着物がよく似合うこけ脅しは、する気もないがスルメもかんだら味が匂うのだった。
 「飛ぶんだ、ペニス」と言った時、飛行場の隅には、四次元の科学と枕の馬慣れが鈴なりになって、いけずうずうしく甲冑探りをしていた。
 「なんてこった」ボアキスドールは言った。
 「悦楽の恋は、もうありません事よ。それはボアキスドールさん。あなたの越権行為ですわ」フローレンスは、その美しい眉をくもらせていた。
 「まあいつかは、そうなるにしても、後手鎌利のキルスミは、村イラクでしかないのです」
 「まあ!なんて事を!」
 呼びこみの歌声は、星座に映えて、人道の無牛はカリスマの夜だった。

 フォークシンガー: 三上寛 フォークソング『ひびけ電気がま』

飛んで行くのか片目の赤トンボ
キンタマは時々叙情的だ
泥沼の奥底はペンペン草の肉欲だ
赤いマムシの阿弥陀籤だ
命は神の八百長よ
希望の道は下水道だ
地球は言葉の天ぷらよ
洗濯バサミにはさまれた太陽で
俺たちゃ明日を何で決める 何で決める
楽しいボクラの買物かごに
ひと山幾らの堕胎児が
ひびけ電気釜!
輝け納豆よ!
燃えろ不幸せよ!
殺すな俺を!

 原理は至ってシンプル

 一文 もしくは 一文節ごとに 前後の脈絡を無化し 断片的なフレーズを 連結させるという 共通の形式を備えている 作品らである

 『定本ハナモゲラの研究』の中で 紹介されている為 これらも "ハナモゲラである(ハナモゲラに類する)" という 見方がなされている事は シャーロック・ホームズに依頼するまでもなく 充分 推測出来る

 今回 あえて これらのようなタイプに 言及しなかったのは 「もっと適切なカテゴリーとして扱えるのではないか」 との思惑を抱いたからである

 言う通り "もっと適切なカテゴリー"に 位置づけられた時 また改めて 取り上げる

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