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【ことば雑考】『ヤマノケ』考
2007年2月5日 2ちゃんねるオカルト板 「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?157」(通称「洒落怖」)にて 書き込まれ 現在もなお 色褪せない ネット怪談として 語られている 『ヤマノケ』
怪異・化け物の 襲撃に遭遇し その後 解決のオチも 無いままに 終焉する 後味の悪い 話としても 知られる 有名な ネット怪談の一つとして 君臨する
筆者は これまで 『禁后』および『巨頭オ』の 考察区域に 畏れ多くも 足を踏み入れてきた
その内容は それぞれの話の中に見られる 「奇妙な語(ワード)」に 焦点を当てた いわば 一介の 言葉遊び好きによる 拙い考察であったが 今回も 性懲りもなく そうした言葉の考察に 着手しようと 思い立った
何を考察するのか?
ずばり 『ヤマノケ』最大の 謎フレーズである 「テン・ソウ・メツ」の 意味についてだ
これまで 「テン・ソウ・メツ」の考察が 全くなされなかった という訳ではない
しかしながら その説に筆者が 納得いかず 肯んじ得なかった事も また事実だ
しばし この「テン・ソウ・メツ」の 新説を求めんとする 考察に お付き合いいただけると 幸甚である
最初に 断っておく
考察とは 己の持ち備えたる または 入手したる 情報を駆使して 理論の骨組みを 築き上げる 知的娯楽の一種である
「話自体 どうせ 創作なんでしょう? そんなものを 考察して 何になるの」 「作者は そんなところまで 考えていないと思う」 などといった意見は 何ら価値は無い
その事を ご了承 願いたい
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『ヤマノケ』あらすじ
本筋に入る前に まず 『ヤマノケ』の 大まかなストーリーを スケッチしておこう
本編の要約を 以下に箇条書きで 記してみる
・ある男性が 娘を連れて ドライブへ 出かけた際 ある山道にある 未舗装の脇道へ 入ったところ エンジンが止まってしまった
・仕方なく その晩は 車中泊することになり 娘が寝入り 男性も寝ようかと 考えていたその時 奇妙なモノが 聞こえてきた
・それは 「テン・・・ソウ・・・メツ・・・」という 声らしきモノであり すると 謎の異形の存在が 近付いてきた
・体は白 一本足でケンケン移動 両手をめちゃくちゃに振り回し さらに胸部あたりに 顔があり 頭部が無かった
・ニタニタと笑う その化け物から 娘を守るために 怒鳴ると その存在は 遠くへ去って行ったが その直後 娘が「はいれた」と繰り返し つぶやき始めた
・ダメ元でかけた エンジンがかかり その道中 目についた 寺へ駆け込むと 住職が対応し 寺へ泊ることとなった
・住職によれば その化け物は「ヤマノケ」という 女に憑く存在で 49日経って このままであれば 二度と正気には戻らない ということが知らされる
・書き込み時点で 1週間が経過しているも まだ 娘は元に 戻っていないことが 語られ 「遊び半分で山には行くな。」 と結んで 本編は終わる
はじめに 確定事項がある
今回 メインテーマとなる 「テン・ソウ・メツ」について 本編では最初 「テン(ケン?)・・・ソウ・・・メツ・・・」と 表記しており 「ケン・ソウ・メツ」の 可能性も 示唆されている
もっと言えば 「テン・ソウ・メツ」は この順番ではなく 「ソウ・メツ・テン」「メツ・テン・ソウ」 である 可能性すら 察せられることになる
だが 話が進むにつれて 「テン・ソウ・メツ」の フレーズが 固定化している事から考えて ケンではなくテンで間違いないという事 そして テンを 毎回 頭に置くという事は 「テン・ソウ・メツ」の ワンフレーズごとに 一区切り・一呼吸が あったはず と見る方が 自然であろう
よって 以降の考察では 「テン・ソウ・メツ」に 則って 進行していくことを 了解して欲しい
では早速 「テン・ソウ・メツ」の 考察に 取り掛かろうか
と その前に
これまで 各所で 展開されている 「テン・ソウ・メツ」が表す その意味についての いわば定説の確認 いや 大々的な定説批判を 行わせていただく
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これまで「テン・ソウ・メツ」の定説
はて?「テン・ソウ・メツ」の定説とは
それは 「テン・ソウ・メツ」が 「転・操・滅」と 表記出来る というものである
定説いわく 「転」は「乗っ取る」 「操」は字の通り「操る」 そして 「滅」は滅ぼす すなわち「死に至らしめる」 をそれぞれ示しており これは ヤマノケの性質を 表した言葉である と
人は つながりに 全く関連が 見出されない時 微細でも 結びつきが見られると それを 支持する 支持したがる 傾向にある
この説も そのような形で広まり 「テン・ソウ・メツ」の 言葉の解釈として ほぼ確実に 挙げられる説として その知名度を 確かなモノとした
だが待った
この解釈は 果たして 妥当と 言えるのか?
怪異にとっての「フレーズ」
ここで 妖怪や幽霊といった 怪異的存在について チェックをしてよう
怪異的存在が 何らかの 「決まったフレーズ(言葉)を繰り返し言う・唱える」 という性質を 持っている場合 それは どのような 傾向にあるか
一に曰く 高知に伝わる 妖怪「古杣」(ふるそま)は 木を切る音 気を挽く音 木が倒れる音 など"音"だけが 聞こえてくるという 怪音怪異であるが 一部では 木が倒れる前に 「行くぞー行くぞー」と 声が発せられると 伝わる地域もある
一に曰く 岡山県には 夜中に通りかかった人に 「味噌をくれ」と呼びかけて 柄杓を突き出す 「柄杓岩」 と呼ばれる 奇石伝説が 残っている
一に曰く 昭和50年代に 爆発的に日本国内で その目撃報告が 広がった 「口裂け女」は 「ねぇ私キレイ?」と 問いかけてくる 怪女として 知られており こんにちに至るまで 多数パロディ化され なおかつ イジられ続ける 存在となっている
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ごく一部の例ではあるが こうして見ると お決まりのフレーズを 用いる怪異の フレーズの特徴が 浮き彫りになる
それは 何かしらの「要求」をすること 更に言えば こちらへ「接触」を図る というものだ
典型で言えば 「わたしメリーさん」 であろうが 「おーい」 という呼びかけや 亡者御用達の「恨めしや」との唱えなど すべては 対象者と結びつきを 持つ為の所作となる
これを 踏まえて これを見るに
「テン・ソウ・メツ」 なる言葉に 妖怪の性質を 解説する意図が 果たして あるものなのか?
そもそも 「失礼ながら私 こういう者です 以後お見知りおきを」 などと 自らの特性を 教授しながら 来襲する怪異など 寡聞にして 存じ上げない
そう考えると 自らの性質を 宣言しながら 近付き遊ばす 「テン・ソウ・メツ=転操滅」説は セオリーとして まず 考えにくいという 結論に至るほか無い
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怪異存在「ヤマノケ」の分析
では 「テン・ソウ・メツ」の 意味を知るためには?
別の手段を 取るしかない
ならば その手段は 何か?
ヤマノケ そのものの分析に 当たる事だ
果て そうは言ったものの ヤマノケは その発祥が ネットであるがゆえ 文献より 採取出来る 妖怪の類ではない
ヤマノケの その特徴的な容姿と 腕をばたつかせる動きは 洒落怖の方向性を 確立させたと 言っても過言ではない 怪異「くねくね」を 模倣した デザインである事は 間違いない
では それ以上の 探究は いかにすべきか
ズバリ これまでの 民俗学による 知見と資料から その痕跡を 手繰り寄せるしかない
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山の神とヤマノケ
まず 本編を見てみると ヤマノケは 山の妖気や邪気の集合体 というような 説明がなされている
実は 民俗学的には 「山の神」にも 類似した 性質がある とされている
里に住む農民にとっては、山中はいわば別世界であって、怪異が跳梁する空間とみなされていた。
(略)
山中の精霊の集合体が山の神だとする信仰は、自然崇拝の形で、農民・山民を問わずいだかれてきており、この場合は女神というより男神に具象化されているのである。
ここで 山の神とは 「女」では なかったか? と疑問を感じた 有識者は 多いことだろう
実際 日本の 山の神信仰において 「山の神=女神」 とする考えは 非常に多い
この事には 様々な説が 唱えられている
例えば 猟師が 獣を仕留めた時 そして 女性の出産時に見られる 大量出血という 共通点から 結び付けられた とするものがある他 諸説が 唱えられている
だが 山の神信仰 ひいては 山そのものの信仰から 考えると その歴史は 古代にまで 遡らなければならない
日本の「蛇」信仰
日本における 信仰体型は 「蛇」に始まる と言われている
蛇は 世界各地でも 重要な動物として 善くも悪くも 重んじられた 存在だ
\しょうたい/
— けものフレンズ3@公式アカウント (@kemono_friends3) December 31, 2024
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首が 胴体から 切り離されても 接触すると 噛み付いてくる という 特徴から 執着が強く そして 強力な毒物を持つ 動物として 知られ また 繰り返される脱皮は 不死のシンボルとして 神聖なものと 解釈されている
何より 「長すぎる」(フランスの詩人ジュール・ルナール「博物誌」の一節より)との 皮肉にも あるように 手足が無く 細長い異形であり その姿は確かに 現実離れ と言うほかない
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蛇が 日本の信仰の中に 強く残っているのは 揺るぎない 事実だ
注連縄が 雄雌の蛇の交尾を モチーフにしたものである事は 有名であるが このほか 神器として 知られている 「剣」が 細長い蛇の 胴体から 見立てられている事 更に 「鏡」というアイテムが 蛇の古語である 「カカ」と そのギラリと光る目から 「カカの目」(カカメ) すなわち 「鏡」(カガミ)になった とも言われている
中国伝来の「鏡」が「カガミ」と訓まれた理由は、鏡が古代日本人によって「蛇(カカ)の目」つまり「カガメ」として捉えられたからではなかろうか。
(中略)
鏡は蛇の目の模擬物としてこの上ない諸条件を備えているものとみなされ、信仰の対象、至高の宝器にまで高められていったのである。
その蛇が 山の神信仰と どう繋がるのか と疑問に思われる かもしれない
そこで 蛇に対する信仰が どのような 広がりを なしていったかに 着目する 必要がある
蛇の仕草として 有名なのは 鎌首をもたげ とぐろを巻いた 威嚇の姿だろう
この とぐろを巻いた 姿が重要だ
とぐろは 円錐の形状として 解釈され この形をしたものも 神事などの 儀式において アイテムとして 重要な役割を 担ってきた
そのような例は 笠などに その名残を 見ることが出来る
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もう お解りだと 思うが 蛇をモチーフとした 円錐の形状が 山そのものに 向けられたのである
要するに 山は 古代蛇信仰によって 見出され また 蛇それ自体を 山の神と 見なした というわけだ
蛇のトグロを巻いている姿勢は、いつでも敵を襲うという気迫と尊厳を内に潜めているものであって、それは見る側の人間にも不気味さと共に、一種の冒しがたいものを感じさせるのである。
(略)
円錐の山はトグロを巻く蛇のイメージに重ね合わされて、『日本書紀』には伊吹山の神は蛇として記され、『日光山縁起』にはこの山の主もまた白蛇の姿で示現すると説かれている。
更に 山の神の 関連として 「田の神」も 欠かす事が 出来ない
全てではないが 山の神と 田の神が 同一の 存在である という信仰も存在する
時期によって 山の神が里へ降り 田の神としての 役割を担い 時期が過ぎると また山に帰る という輪廻交代の 信仰がある
この田の神も その正体は 蛇であると 言われている
作物や稲を荒らす ネズミを 駆逐する 存在として 蛇は 田畑にとって 重要な 益たる存在であった
ネズミを 追う動物というと 一般的には ネコが イメージされるだろう
実際に 田畑のネズミを 駆除したネコを 祀っている 地域もごく一部あるが 大元の信仰は 蛇に 向けられていた
先に 蛇の古語は「カカ」である と述べたが この言葉は 田んぼの守り神である 「案山子」(カカシ)にも かかってくる
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日本における 案山子のイメージとして 強く浮かぶ 1本足デザインは 蛇体のモチーフの 名残とも 言えるのかもしれない
民俗の中にみられる「カカシ」に共通するものは、蓑笠を着せ、手に箒・熊手をもたせ、また「カカシ」を山の神として祀っている点である。
蓑・笠・箒は、私のみるところではいずれも蛇を象徴するものである。
(略)
カカシが単に雀や鴉を追い払うための人形に過ぎないものならば、山の神にまでたかめられるはずもなく、カカシの本質はやはり人を超えた祖神としての蛇、また鼠・蛙を餌とする田の守り神としての蛇であろう。
ヤマノケも 1本足の妖怪として 描かれているのは こうした カカシの イメージも あっただろうか
こうした例から ヤマノケの本質が 「山の神」である事の 証と 見なす事も 充分に可能となる
加えて 柳田國男が 主張した 「妖怪は神の零落した存在である」(『民俗学辞典』) とする定義も これを補う事になる
この説は 妖怪研究が 飛躍的に進歩した 現代となっては 妖怪の全てを 解明する 方程式とは 到底 言い難くなったものの 追究する上では 重要なロジックの 1つである事に なんら変わりはない
河童(カッパ)は 川の神の落ちぶれた存在である との説もあり 山姥(ヤマンバ)も 信仰が衰えた山の神だ という説などが あるのだ
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ヤマノケと仏教
ここまで見ると ヤマノケは 日本の古くからの信仰 言うなれば 神道的な 存在と見る事も 出来るだろう
だが 今一度 シナプスの 逆流を 促して欲しい
本編にて ヤマノケを 取り払う 役目として 登場したのは なんだったか?
それは 神社ではなく 寺院だったのでは なかったか
ヤマノケには 49日内に 離れなければ 元には 戻らない という性質が 本編で 語られている
これは 「四十九日」といった 日本仏教にて 馴染みの深い性質が ヤマノケに 備わっている事の 一例として 見る事が 出来るだろう
だが 今一度 考えてみて欲しい
寺院というのは 基本的に 悪しきものを祓う といったような場所 ではなく 死者の供養を 受け持つ場所である
極端に言うと 神道は 日本人式八百萬神の 生成システムを 担っているが 仏教(特に日本仏教)は 死後および死者に基づいた 生者の心理的関係の 構築を促す 役割を有する 宗教もしくはイデオロギーだ
という事は 本作において ヤマノケは 単なる神ではなく 何らかの死者の姿として 解釈されている という事情が 読み取れなくはないか
では その「何らかの死者」は 一体 どのような 相手なのか?
ここで 1つ 仮説として あげるとすれば それは 山で死んだ人々 特に 山で命を落とした 坊主たち ではないだろうか というものだ
もっと 露骨に言うと 戒律を破り 罰を受けた 坊主たちの 存在が 関わっているのではないか と思われる
ここで 思い出して ほしいのは ヤマノケが 女性ばかりを狙う という点だ
ヤマノケは 各所での その解説で たびたび 性欲が強いだけの 変態的な妖怪として 紹介される事が ままある
おそらく そうした点を フューチャーしたのが 『ヤマノケ』とは 別に存在する 『もう一つのヤマノケ』という 物語であると 思われる
こちらは 明らかに 『ヤマノケ』をベースに 独自の設定強化と 一層の後味の悪さを 濃縮させた 派生的作品となっているが 新たな「ヤマノケ」の 知見を得る情報は 残念ながら 見出せない
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少しずつ 軌道を 修正する
修験道などに まつわる霊山などは 女人禁制 と言って 女性の立ち入りが 禁じられている ケースが多い
この事は 女神としての山の神が 醜い顔をしている為 嫉妬して 攻撃してくるから とする伝承由来や 修験者が 男性ばかりなので 異性の存在が 修行の妨げに なってはならない とする現実的意向などが 理由として 考えられている
後者については 特に 山に寺院を構える 僧侶にとっても 同様の意味を 有する
禁を犯し 罰せられた坊主の 悪しき怨念が 禁を破る事への執着 そのアノミー(無秩序・無連帯)となって 女性を襲う という事態に 繋がっている との解釈も 出来なくはないだろうか
過去 その地で どれほどの 修行僧が 破戒に 踏み込んでしまったかは 解らないが その集結した怨霊が 落ちぶれた 山の神によって 吸収され ヤマノケという妖怪に 変貌を遂げたのでは ないだろうか
蛇と女
更に 女性を狙う という点では 実のところ 山の神 そのものの性質としても 見出す事も 出来る
既に 山の神は 元々「蛇」であった事は 触れたが かつて古代には 蛇巫(ヘビフ・ダフ)と 呼ばれる 女性が 存在していた
蛇巫とは 字の如く 「蛇神の巫女」であるが それは 神である蛇と交わり その神の子を生むという 重大な役目を 担っていた
これを見ると 零落し 信仰が衰えた 蛇神が 自身の証を残す為 誰構わず 女性を 蛇巫として 求めている という解釈も 成り立つ事が可能だ
その事が 余計に 山中で彷徨う 死者の念と 結合し 強力なものと 変質していった と考える事も 出来はしないだろうか
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新「テン・ソウ・メツ」考
以上が ヤマノケの 大まかな スケッチである
ヤマノケは 山での死者 特に 禁を破った 僧侶たちの 怨念をまとった 零落の山の神 それが 本稿での 大まかな解釈だ
これを踏まえて 議題を 初めに戻そう
「テン・ソウ・メツ」とは 一体 何を言い表して いるのか?
ここまで 述べ散らかして おいて なんだが ハッキリと これだ! と断言出来るような説を ここで展開する事は 出来ない
その代わり 考え得る仮説を 提示してみたいと思う
「ここまで我慢して読んだのにどういう事だ!」「答えが出ないのなら意味が無いだろう!」「踏めば助かるのに」
そう仰らずに 寛容な心持で 読み進めて いただきたい
第一説
「滅相もない」 という用語がある
「滅相」とは 仏教由来の言葉で 「因縁によって生じた 一切のものが 滅び去る事」 を表している
これは すべてのものは生まれて そして 永遠に続く事なく いずれは 消えてしまう という 諸行無常の思想を ベースに置いた ものだ
滅相 という言葉は 業が尽きて 解放された事を 意味すると共に そのものが 死ぬ事を 表す言葉としても 使用されていた 経緯がある
そこから 「死ぬ事はあってはならない」との意味から つまり 「あってはならない事」「とんでもない」 という意味で 「滅相もない」の語が 生み出されたと 考えられている
この滅相 という言葉を 漢字で逆にすると 「相滅」となる
ここで 「滅相の二字を前後逆にする」事を表す為 その頭に 「転」(反転させる事を意味する)を 置くと すなわち 「転相滅」 という言葉が 仕上がる
これは いわゆる 字謎式の 変換技法であるが 咒(まじない)の意図で 使用される 表記の仕方と 捉える事が 出来るのでは ないだろうか
これは以前に 筆者が 『巨頭オ』考で 用いた方式と 同じである
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つまり 「テン・ソウ・メツ=転相滅」と 言語化する事で 因縁は決して消えない事 怨念が今後も 続いていく事を 唱えた 呪文である との解釈が 可能となるのだ
落ちたる山の神の歪んだ威厳と 暴走する亡者の念が 集約された フレーズである という事が この説の 軸となっている
第二説
もう一つは ヤマノケに 蓄積された 坊主たちの 怨念の矛先が 特に 存命の 僧たちに 向けられた 憎悪であるとの 解釈によるものだ
「殄滅」(テンメツ) という おおよそ 一般的には あまり 聞き馴染みないであろう 語がある
これは 「一つ残らず滅ぼす」 という 意味を持っている
その 殄滅の二文字を 挟んだ形で 「僧」の字を 間に加えると そのまま 「殄僧滅」(テン・ソウ・メツ) の言葉の並びになる
殄滅は 仏教用語ではない
ただ そのあまりに 強烈な語彙と 僧の字を 殄と滅で 囲い込む事によって 幽閉するが如く 僧全てを滅する という凄まじい 恨みを 呪文として 唱え続けている とも言えるだろう
この説の 最大の要点は 少女に 憑依した事が 単なる 手段であり 主たる目的では なかった という事に尽きる
余説
以上が 主だった筆者の 新説である
当然ながら 「テン・ソウ・メツ」に ついては まだまだ 検討の余地が 山のように 投棄されている
ある経文を 部分的に 繰り返し 唱えているのではないか との意見もあり その可能性も 全く否定は出来ない
現時点で その該当する 経文が 特定 出来ていない為 保留と なっているに 過ぎない
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結語
これにより 「テン・ソウ・メツ」 及び 補足としての 「ヤマノケ」の 考察を 一旦 締めたい
ヤマノケ そのものの 全体像を 把握する 広域の考察に 至ってしまったが これを以て ヤマノケの 後進の考察の 一助となってくれれば 幸いだ
冒頭でも触れたが 近年では こうした 意見・考察に対して 「作者はそこまで 考えていないと思う」 というような 冷徹を気取った コメントが 多く見られるように なっている
考察とは 塗り絵に似ている
自分の知り得た情報や 蓄積した知識によって どれほど その世界観(キャンバス)に 独自の色彩を 塗布する事が 出来るかを試みる 娯楽の一種だ
筆者は 楽しみ方の 1つとして 考察 という方法を 受け入れている
ある意味では それが 健全と言える オカルトの 楽しみ方である とも思っている
正解を 求める事が 本筋ではなく 世界構築の域が より拡大され 更に展開されていく事を 願うだけだ
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