【言葉遊び空論19】無駄口 ~引き継がれる一体化~

 1960年代を 代表する グループサウンズ『ジャッキー吉川とブルー・コメッツ』

 楽曲「ブルー・シャトー」は 大々的なヒットを飛ばし 当バンドの 代表曲としても 名高い

 それから 程なくして

 この曲を元にした とある替歌が 世に伝わる所となった

【元歌】
森と いずみに 
かこまれて
しずかに 眠る
ブルー ブルー ブルー シャトー

   ↓

【替歌】
森とんかつ いずみにんにく
かこんにゃく まれてんぷら
しずかにんじん 眠るんぺん
ボロ ボロ ボロ シャツ

 世代の方 知る方は この替歌を 口ずさんでみるのも 良いだろう

 それは置き ここで ある点に 目がいく

 最後の一節を除く 他の歌詞に それぞれ末尾に 余計な言葉が 音で重なる形で 付け加えられている事が おわかりだろう

 ひょっとすると 「ブルーシャトー」よりは これと同型の替歌が 施された 「森のくまさん」(出だし:あるひんけつ...)を 知る人口比率の方が 高いかもしれない

 このような 文中の あるメインとなる 言葉に 文脈とは 関係のない 別の言葉を 付け加える技法を 無駄口と呼ぶ

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(「see you later alligator」「in a while crocodile」) 



 無駄口は その性質上 「つけたし言葉」とも 呼ばれる

 冒頭の替歌では ”音の重なり”という 一種類の様式のみの 提示ではあったが 現代において その”つけたし”様式には その他にも 幾つかの種類が 観測されている

 以下に それを 記そう

1⃣音の連結

 語末 もしくは その直前の音と その音が 先頭に来る 別の言葉を 付属させるものであり 解り易く言えば しりとり様式である

 例えば 「恐れ入谷の鬼子母神」は 「恐れ入りました」と 「谷(東京都内の地名)」を連結させ 更に 入谷に存在する真源寺において 鬼子母神が祀られている事に 由来する

 また 「その手は桑名の焼き蛤」は 「その手はくわない」と 「桑名(三重県内の地名)」を連結させ その地の名物である 焼き蛤を付加させたフレーズだ

呆れカエルの頬かむり
 →「呆れ返る」+「の頬かむり(先の見通しを持っていない意)」
  ※蛙の目は横にある為 頬かむりをすると 見えなくなる事から

堪忍信濃の善光寺
 →「堪忍しなさい」+「濃の善光寺」

大あり名古屋の金のしゃちほこ
 →「大あり」が 国名「尾張(おわり)」に 掛かっている

成仏してクレメンス
 →「成仏してくれ」+「ロジャー・クレメンス(プロ野球選手)」
 いわゆる 『なんJ語』にある一例で 「~してクレメンス」という 表現は 多岐に渡り 派生の一途を辿っている

ゆるしてチョンマゲ
 →「ゆるしてちょうだい」+「チョンマゲ」

 その様式は 無駄口の中でも トップクラスの ユーザー数を誇る

 女優:酒井法子が 80年代アイドル期 『のりぴー語』なる 独特の言葉遣いを 流行らせるに 至ったが その中にある 「いただきマンモス」や 「お疲れサマンサ」は 実に 無駄口の入門と 言える

 小林よしのり作『おぼっちゃまくん』で 主人公:御坊茶魔の 発する 茶魔語は こうした無駄口の 宝庫であり 様々な漫画作品にも 影響を与えた

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 記憶に新しいのは 2011年

 東北太平洋沖地震の発生に 伴う震災によって 多くのテレビCMも 自粛する中で 多くの国民に 中毒症状を 振り撒くこととなった ACジャパンの公共広告作品 『あいさつの魔法。』の存在は 忘却し難い

 「さよなライオン」「おはよウナギ」「いってきまスカンク」「ただいマンボウ」など 挨拶と動物の名前を 組み合わせた フレーズが 次々と 転換されていく

 ポポポポーンのフレーズと その絶妙な加減の絵柄ばかりが 注目されがちだが ふんだんに 無駄口技法を駆使して 作られたという点を 少々 気に留めても 罪には問われないだろう

 ただ 何故に 「こんにちワン」だけ 鳴き声という 「料理のさしすせそ」において 「そ」だけが 頭文字に起用されず 「みそ」に 留められているような 扱いであるのか 不可解である



2⃣音韻の列挙

 あるメインとなる 言葉の音と 同じ音が付く言葉を 数個 列挙していく様式 すなわち 韻を踏む様式である

 「何か用か九日十日」では 「なんようここのとお」と 「カ」の脚韻 「肝心鹿島の要石」では 「んじんしまのなめいし」と 「カ」の頭韻で 成り立っている

 ※「鹿島の要石」とは 茨城県の鹿島神宮に存在する 霊石を指し 千葉県の香取神宮にもある 要石と共に 地震を鎮める あるいは 太平洋側から降りかかる脅威からの 守護を司る結界 とされている

エッチ スケッチ ワンタッチ
 → 「ッチ」韻
  筆者が 小学生の頃は 「チ」のみを 韻の主体として この後に 「貴方のお尻は何センチ」と 続ける輩もいたが 少々 蛇足気味である

驚き桃の木山椒の木
 → 「キ」韻 最後は「”さんしょ”のき」と読むのが主流
 このフレーズをもじった 「驚きももの木20世紀」という タイトルの TV番組が 90年代に 放送されていた

しまったしまった島倉千代子
困った困ったこまどり姉妹
 → 各「シマ」「コマ」韻 吉本新喜劇俳優:島木譲二の持ちギャグ

君たち元気かい? 頑張ってるかい? そうかいそうかい瀬戸内海
 → 「カイ」韻 吉本新喜劇俳優:チャーリー浜の持ちギャグ

だいぶ溜まってんじゃんアゼルバイジャン
 → ニコニコ動画を発祥とする 「真夏の夜の淫夢」ジャンルにおける 空耳ネタの一つであり 言い様によっては 無駄口的であるが ”アゼルバイジャン”の部分が 実際なんと言っているかは 今もって不明

 臼井儀人作『クレヨンしんちゃん』の 主人公:野原しんのすけの その独特の言語表現から にじみ出る 個性的なフレーズの 中においても 無駄口の使用度は 比較的高い

 よく使用される フレーズの中に 「出発おしんこ―」があり そのあとに 「ナスのおしんこー(お新香)」「キュウリの糠漬けー」「京都のしば漬けー」など いくつかの バリエーションを持つ多彩性は まさに 驚異的な表現知を有する5歳児と 賞賛せざるを得ない

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(榎本俊二『えの素』より)

 また なもり作『ゆるゆり』の 登場人物:杉浦綾乃も 無駄口の使い手であり 「罰金バッキンガム」「心配はノンノンノートルダム」「こりごり五稜郭」などといった 珍奇なフレーズが 空間座標を飛び交う

 アニメ『アンパンマン』(やなせたかし作)の 敵役:バイキンマンにでも 影響されたので あろうか(ヒント:バイバイキーン)

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 「結構毛だらけ猫灰だらけ」の表現は 地域差が若干 あるものの 古くから知られている 無駄口であり 特に映画『男はつらいよ』の 主人公:車寅次郎の 口上が有名である

 結構毛だらけ猫灰だらけ お尻の回りは糞だらけ タコはイボイボ ニワトリは二十歳 芋虫ゃ十九で嫁に行く...

 「結構」と「毛だらけ」の 「ケ」頭韻で並べ 更に後半は 「毛だらけ」「灰だらけ」で 「ダラケ」調子を 並べるという 変わり種である

 そういえば 変わり種というと 次のような例もある

 江戸の著述家:式亭馬琴が 自著にて 「平生ソレよくいふ言語」として挙げた 一節 「麻布で気が知れぬ」

 由来には 東京都港区の麻布に 六本木という地名はあるが 六本の木が あるわけではないので 「木が知れぬ」説 あるいは 近辺に 赤坂・青山・白銀台・目黒があるのに 黄がないので 「黄が知れぬ」説 がある

 もう一つ

 お笑いタレント:狩野英孝の 持ちギャグ「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」 

 言わずもがな これが 「メン」脚韻で 成り立っている事は 疑いようもない 事実である

 さて この両者で 興味深いのは 付け足し部分が メインである「気が知れぬ」「僕イケメン」の 後ろではなく 前に付属している という点である

 メインの前に 無駄口が 付与される という例は 殊の外 数を見ない

 『日本列島どっこいしょ』(堀江美都子歌)の 歌詞中にある 「さくらに茶の花埼玉県」「あの子とあの子は愛知県」「すべってころんで大分県」なども この例に 含まれるだろうか

 新たに 無駄口の名文句を 創成するのであれば ”前に置く” ここが 狙い目であるかも 知れない



3⃣関連物の並列

 メインの言葉と 性質的に 関連する言葉を 並べ揃える様式

 多くは まず 同音の 別の言葉への 変換がなされ それに見合った 関連語が 選出されている

 関連物には ”類似したもの”であるケースと ”対比したもの”であるケースの 二つがある

 類似例「何が南京唐茄子かぼちゃ」では 「何がなんだ」の音に掛かって 後に続く 「南京」「唐茄子」「かぼちゃ」が それぞれ 名称が異なるだけで 同じものを 並べた例である

 対比例「おいしかった吉良負けた」では 「おいしい」が「大石(内蔵助)」に掛かっており 「大石内蔵助が勝った」と「吉良上野介が負けた」 という対比関係で 表されている

【類似】
そうか越谷千住の先よ
 →「そうか」が 地名「草加」に掛かり 奥州街道の宿駅「越谷」「千住」と 並べられている

【対比】
ありがたいなら芋虫クジラ
 →「ありがたい(アリが鯛)」なら「芋虫はクジラ」という ナンセンスな組み合わせの対比

 日本の古い言葉遊び歌 「さよなら三角 またきて四角」では 「さよなら」と「三角」が 「サ」頭韻からなり 「さよなら・三角」が 「またきて・四角」で それぞれ対句的な 役割を担っている 重複型の無駄口と 言える

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4⃣固有名詞化

 人名 あるいは 何らかの対象物のように 擬化する様式

 無駄口には 「とんだ目に太田道灌(あった→おおた)」「池がなければ弁天様こまる(いけない→池無い)」「何を言う早見優」という 実際の人名(あるいは神名)が 使われるケースがある

 しかし 特定の何者かを指すのではなく あくまで 名前のような言い回しを施すという点で 前記の例は 当様式とは 別個であると 認識していただきたい

 かの高名な 「おっと合点承知の助」は 語調を合わせる為に「の助」を 語末に 付け加えて 人名的に読んだものであって その人物が実在していた という訳ではない

 「冗談はよしこさん」「余裕のよっちゃん」のように 前記した 連結様式や音韻様式から ひり出された例もあるが 特殊性が強いゆえに 別途の様式として ここに含みたい

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 アニメ『スイート・ヴァレリアン』(CLAMP原作)では 敵役 ストレス団が 敗北時 「失敗の助」(?)と叫んで 撤退していくパターンが みられていた

 レアケースとして

 ”動じない・ものともしない”事を 意味する 「平気の平左」という語は 「平気の平左衛門」という語が 略されたものであり この「平気の平左衛門」も 「ヘイ」韻に基づく 人名化された無駄口に 由来する

 さて

 この様式の 大物役者は なんと言っても 「」である

 『浮世草子・御前義経記』では 「いっそ気楽で吉野山」(良し→吉) 『黄表紙・高慢斎行脚日記』では 「我ら大きに気がありま山」(あります→ありま)などのように 奈良県の吉野山 兵庫県の有馬山に 因んだ 無駄口は 古くから 用いられていた

 山に限らす 「吉野」と「有馬」の地名は 「よし」「あり(ある)」という 文中で 比較的 用いられやすい 語であった為か 無駄口の使用頻度としては 非常に高かったようだ

 また 『柳多留』の 「肴売り待ち兼ね山のほととぎす」にある 「待ち兼ね山」も 大阪府にある 待兼山が元となり そのまま 「待ち兼ねる」の意味として 扱われている

 これらは 実在の山を モチーフとしているが そうでなくとも 「〇〇山」という風に 山の名前のように 見立てる無駄口様式は 数多 見受けられる

まづおらが所へ来て、一杯飲みかけ山と出たまへ
(案内手本通人蔵)

算盤の玉はづれを、しこため山と出かけて
(金々先生栄花夢)

イヤ、いただき山の鳶烏
(続膝栗毛)

もはや酒に行き着き山のほととぎす
(熊若物語)

 こうした例を 深く探っていくと 特に目に触れるのは 「ありがた山」と「ただ取る(ただ取り)山」である

 「ありがた山」については 「ありがた山桜」「ありがた山吹色」など 更に 用語が 接続されている 改造・パロディ型も 散見され 如何に 「ありがた山」それ自体が 広く流用されていたかが 伺える

 ところで このような 山系無駄口には 「~山のほととぎす」という 形式が やたら多い

 特に古くから 使用されていたのは 「ただ取る山のほととぎす」 であったとされる

 笑話集『醒睡笑』の中に 「ただ取る山のほととぎす」の一節があり この江戸初期の当時 既に 「何もしないで手に入れる」という意味で この言い回しが 庶民にも広く 通用していたと 推測されている

 前述の例にあった 「いただき山の鳶烏」は 明らかに この一節の もじりであると 考えられるだろう

 その影響力の強大さに 身を震わせる思いが するではないか

 そしてこの 「ただ取る山のほととぎす」こそが 山系無駄口の元祖である とみなされているのだ


5⃣他

 あらゐけいいち作『日常』では 「ゆるしてヒヤシンス」という セリフが 登場する

 その後に発言したセリフ 「みおちゃん頭をヒヤシンス」が 「冷やす」と「ヒヤシンス」で 掛かっている 無駄口であることは 理解が容易い

 だが 「ゆるしてヒヤシンス」は これと異なった 構造をしている

 紫のヒヤシンスの 花言葉は 「許して下さい」

 そう 「ゆるしてヒヤシンス」は 花言葉に その当該植物の名を 付け加えた 遠回しの 無駄口となっているのだ

 多分

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 無駄口が いつの頃から 普及していたかは 定かではないが 少なくとも 江戸期には 広く庶民間において 飼い慣らされていた事は 確からしい

 この時期の 文学にも 無駄口が そこかしこで 顔を見せる

負ける気遣ひなしの木さいかち猿すべり
 → 「気遣い”無し”」を「梨の木」に転じ サイカチ・サルスベリと植物の名を並べている
 (式亭三馬『浮世風呂』より)

マアそうはとらの門の金毘羅だ
 → 「”とら”ない」から「”虎”の門」に転じ そこにある金毘羅宮も加えている
 (山東京伝『傾城買四十八手』より)

 様々な 無駄口が 時代を下り 庶民の中で 広く そして 暗黙に 持て囃され 多忙を極める中 無駄口の近代の傑作が 誕生する

 それは 1960年代

 人気を博した コメディ時代劇『てなもんや三度笠』では 提供スポンサー前田製菓の商品である 「ランチクラッカー」を 冒頭で宣伝していた

 このCMにおける 「俺がこんなに強いのも ”あたり前田のクラッカー”」という 最も有名であろう 無駄口は ここにおいて 生を授かったのだ

 その後も 無駄口は 前述の 「のりぴー語」や「茶魔語」などに 代表されるように 流行語やギャグの様式として 今なお現役を 貫いている

 ところがだ

 無駄口は 音の連結や 韻の並列といった 部分のみが 目立ってしまっているせいか 安易に ダジャレと扱われ かつ 同一視されて 呼ばれてしまう 事態にすら及んでいるのだ

 それが 如何に軽薄な 見方であるかは ここまで お読みになられた 現存在方には 理解される事と期待する

 言語遊戯中枢が 鋭敏な方であれば その啓示は 降りて来ている はずである

 無駄口に 要される条件は 「音」だけではない

 今一度 音読せよ

「ありがたいなら芋虫クジラ」
「結構毛だらけ猫灰だらけ」
「大あり名古屋の金のしゃちほこ」
「さよなら三角 またきて四角」
「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」

 いずれも 拍(リズム)の調子に 上手く寄せている事が おわかりだろうか

 五音・七音 そして 七五調など 調子・リズムによって 整備されている これこそ 無駄口を魅せる上での 重大要素である

 語呂・調子を合わせる事に 起因する 言葉の開発は 日本語において 多岐に及んで 耳に入る

 例えば 「根掘り葉掘り」

 後半の「葉掘り」は 前半「根掘り」を 語呂良くするために 加えられた 本来的に それ自体 意味はない 語である(「根も葉もない」の語に インスパイアされたもの であるかもしれない)

 このように日本語では 類似する調子を 二度繰り返す事で 語調・リズムを 整えようとする 癖が どうやら あるらしい

 「なんだかんだ」「一体全体」「しどろもどろ」「にっちもさっちも」「踏んだり蹴ったり」「ああ言えばこう言う」「行き当たりばったり」等々...

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(テヅルモヅル)

 つぶさに 見ていくと 全てではないにしろ 無駄口には リズムを整える為に 語を付加させる という特性が あるに違いない

 そう考えると 無駄口の真髄は リズムにおける 語の統一化・一体化にある と考えられるだろう

 数々の無駄口が 生み出された中 時を経てもなお 知名度の残留を 許された 無駄口というのは 大部分が リズム・調子に適ったものが 大半である

 多くの技法を内包する ダジャレという ジャンルの中において 無駄口が無駄口として 独自の個性の下に 存立しうる所以は ここにある

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 無駄口は 江戸初期の頃には 一般的な 技法であった

 逆に それ以前が 如何様であったかは まるで 解ってはいない

 何しろ いつから この技法が 「無駄口」という 一見 蔑称ともとれるような 名称として 広まったのか それすら 誰も知り得ない

 江戸の御代となる前から 無駄口の技法があったとすれば なんと呼ばれていたのか はたまた 無駄口的な技法は 存在したのであろうか

 今もって 謎のままである

 将来 無駄口を 専科の一つとして その追究に身を捧げんと する者が現れるのであれば 幸いであるのだが

 そこで一つ

 日本における 無駄口の”祖先”と 思われる とある技法を ここで記そう

 時を遡る事

 なんと 記紀万葉の時代!

 筆者は 無駄口が 既にこの時代 ある”ワザ”によって その萌芽を 露わにしていたと 目している

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 それは 枕詞

 中高時代 脳天を覆い むせび悩ませられた 諸氏は 多いだろう

 かつてに立ち帰り おさらいの 意味も踏まえ 改めて 触れてみようではないか

 枕詞とは 和歌において 広く それは 広く広く 用いられた レトリック(表現技法)であり 「ある特定の メインの言葉より 前に添えられ それと何らかの 関係性を持った 五文字以内の言葉」 とでも説明出来るだろう

たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに
 →「たらちね」が枕詞 「母」という語にかかる

むささびは木末求むとあしひきの山のさつをにあひにけるかも
 →「あしひき」が枕詞 「山」という語にかかる

居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
 →「ぬばたま」が枕詞 「黒」という語にかかる

この他
「ひさかた」+「天」
「あかねさす」+「日」
「ちはやぶる」+「神」 
「うつせみ」+「人」or「世」 など 多種

 古くから 枕詞は 膨大な 好奇者をもって 追究されてきたが ”枕詞と それがかかる メインの言葉とが どのような理由でもって 関係を成立させているか”は 現在に至るまで ハッキリと 解明されてはいない

 何しろ 万葉歌の時代 枕詞は 多く使用されては いたものの 既に その関係性の由来は あやふやとなり 知る人も 殆どいなかった とさえ言われているのだ!


★★★読まなくてもいいゾーン 開始点★★★


 枕詞の 先行研究例の 要約を いくつか掲げる

朴炳植
 「日本語の起源」は「韓半島の東南部にある、慶尚道の方言である」事から、日本語は「形の変わった韓国語」であると言える。
 記紀万葉は「韓国語で読んで、初めてその意味がはっきり分かってくる」が、「従来の解釈が全部間違ったものであるわけではない」。
 因みに「読みなおさなければならないところは、枕詞だと片づけられていた部分と、誤解されているところや、注釈の不十分な部分だけ」だ。
(『万葉集の発見』より 「 」内は本文引用)
李寧煕
 万葉集は、「韓国語で詠まれたものを日本語であるという前提で
無理矢理」解釈されてしまっている。
 万葉集は、「韓・日混合詠み」だ。
 「古代韓国語→吏読で表記する→日本式吏読表記(つまり万葉仮名)に書きかえる→その漢字をそのまま日本式によむ」事によって日本語は形成されている。
(『枕詞の秘密』より 「 」内は本文引用)
金公七
 「万葉集の先行モデルが韓国側の郷歌集であった」可能性があり、その様式が「万葉集に何らかの形でその足跡を残している」と考えられる。
 枕詞が韓国語なのであれば、「後世の人に解読が困難だったのは当然のことだろう」。
 枕詞は古代韓国語を借りる際に、「漢字の音を用いて音形をそのまま受け入れる」または「漢字の義を用いて意味を訳す方式」といった借用方式を取り入れている。
(『万葉集と古代韓国語─枕詞に隠された秘密』より 「 」内は本文引用)
田中孝顕
 「日本語はタミル語のクレオール語である」。
 「タミル語が日本語のいわば母語であ」って、それによって地名や記紀の神名あるいは枕詞など「日本語語彙の語源」も、「より正確に理解できるようになる。」
(『古事記・日本書紀・万葉集と古代タミル語の饗宴Ⅰ ささがねの蜘蛛』より 「 」内は本文引用)
藤村由加
 「工夫を凝らした密度の濃い表現形態であり、同時の思想や文化が凝縮されたタイムカプセル」それが枕詞だ。
 「人は何かを表そうとする時」「別の言い方で補強することによって、初めてその実像をとらえたような気持になる」。
 しかし、その「連結のし方が、たやすく見破られるようになってはいない」のが枕詞だ。
 「朝鮮語音をあてはめ」たモノ、「漢字の字形分解」によるモノ、「中国古代の易の思想」によるモノ、もしくはこれらの複合で枕詞は成り立つ。
(『枕詞千年の謎』より 「 」内は本文引用)

 以上は 主に 日本語の源流が 異国語である事を 前提として その異国語を訳す事で 枕詞が解明出来ると 主張するものである

 うち数点は 同じ”古代韓国語”からの 解明を 試みているにも 関わらず それぞれで 訳・釈が異なっているという 謎の現象が 発生している

 また 枕詞が 異国語の訳から その意味が導き出された とはいえども それは メインとなる語の 特徴や説明となっている ケースが多く そのような 理屈っぽい一節を 何故わざわざ 歌に盛り込む 必要があるのかの考察は 希薄と言えなくもない

 更に 技巧を凝らして 枕詞を作り上げたとしても そのように手間暇かけて 暗号のような 仕上がりに 至ったというのなら 歌は既に 自己満足の域に 留まる嗜好品でしかく 広く読まれるに 値しないのではないか という 素朴な疑問も残る

高橋公麿
 枕詞は「一言一字中国の辞典から採取」しなければ、その真意を理解する事は出来ない。
 そして、枕詞とは「寝る言葉」であり、枕は「宮・陰・山・霍・淫」に関連している事も忘れてはいけない。
 枕詞は易経の陰陽思想から見れば、陰は山から下の下界「山・丘・島・川・海・沼」と数多く、「結果は男性より女性の歌が圧倒的に多い。」
(『万葉枕詞事典』より 「 」内は本文引用)

 枕詞とは ”男女の共寝” 言うなれば ”性愛”を 暗示している という事であるらしい (そもそも「枕詞」という名称は だいぶ時代を下ってから 呼ばれたものであるので それを意味の根拠とするのも 如何かと思うが)

 義不詳の文章や言葉が 実は 遠回しな性的表現である という解釈は 実のところ多く 先の 異国語説の一解釈の中でも 「解読した結果 実は とても淫らな歌でした」 と解した例もある

 ただ これだけでは さも 「俺の主砲が最大仰角」「俺のマイクで歌ってくれ!」「俺のマスケット銃がティロ・フィナーレ」などの 「俺の股間シリーズ」よろしく 細長い形状であるもの全てを 男性器に見立てるような 桃源郷に巣食う リビドーの化身者の如く 溌剌とした状況ではあるまいか

 漢典に頼るとなると 万葉歌は 「音」ではなく 「字」ありき つまり 書かれない限り 成立しないものと なるが どうなのだろうか

勝村公
 「枕詞も地名も、日本人が日本の土地に日本の言葉(やまとことば)で以て命名した」ものである。
「自然を畏敬する観念から発生した民俗儀礼」すなわち国魂・地霊を籠らせる信仰、それを「把握することにより枕詞の本質は解明できよう。」
 地名は複合動詞(気+枯れ→ケガレなど)からなり、冠水地名・崩壊地名である事を示し、それに基づいて枕詞は形成されている。
 すなわち、「《枕詞は土地の実名》であり、常用する《地名は通名》」である。
(『枕詞と古代地名 やまとことばの源流を辿る』より  「 」内は本文引用)

 異国語でも暗示でもなく 言葉そのものに意味は 現れていると解しているのが おわかりだろう

 枕詞と それがかかる言葉は 実はイコールであって 意味は全く同じ という事を 著者は説くが 土地に絡む信仰の現れとは言え ”災害”のみに 寄っているのは 些か 偏りすぎではないか という印象は拭えない

 一方 どうして その「実名」と「通名」を 並列させる 必要があるのだろうか という疑問符が 頭上に 揺らぎを 引き起こすのだが その点については 思い当たる節がある

古橋信孝
 「枕詞は基本的に讃め詞」である。
 神話などの「神聖な詞章があり、その一部が枕詞に、別の一部が地名になったと考えるほうがいい。」「そのほうが、固定的な結びつきが強いからである。」
 「結びつきだけが固定化して意味的な関係がわからなくなっている」ものは多いが、「枕詞はいわゆる被枕と一体の詞章とみなすべきなのである。」
(『万葉集─歌のはじまり』より 「 」内は本文引用)
坂田隆
 枕詞が「ことばを想起させる際には、想起のよりどころになった典拠や由来がある。」
 「既存歌・伝承・人物名」が「典拠・由来になることが多い。」
 「『万葉集』の歌には、『古事記』『日本書紀』の歌謡や伝承を踏まえた」枕詞が多く、それらの内容をよく知っておく必要がある。

※著者は ”枕詞”という用語を 使っておらず 『想起詞』『応想詞』と呼んでいる
(『ちはやぶる・さねかづら 想起詞で読み解く枕詞』より 「 」内は本文引用) 

 「神聖な詞章」や「記紀の歌謡や伝承」に 基づいて 枕詞は成り立っている

 つまり そもそも 枕詞と かかる言葉は 統合されていた表現から 分化されたものなのではないか というものだ

 誰しも 聞き覚えがあるだろう

 「ドクタースランプ」 とくれば 「アラレちゃん」
 「燃える闘魂」 とくれば 「アントニオ猪木」
 「眠りの」 とくれば 「小五郎(毛利小五郎)」
 「機動戦士」 とくれば 「ガンダム」

 等々 異名と実名がセット タイトルとして本来一括 これは 現在においても 問題なく 通用している 呼び名である

 それらは いわば 尊称 または 象徴 として その言葉が 存在している事を 証明しているのだ

 当然 これらは あくまで 枕詞の雰囲気を 喩えたものに すぎないが

中西進
 「枕詞とは情調を基とした語と語(句と句)との連合の表現」であり、「口誦文芸たるを条件として発生した」表現様式である。
(『万葉集原論』より 「 」内は本文引用)
渡部泰明
 枕詞は、「意味の流れにけっしてなじまない言葉」であり、「その異物感」を利用して、「次に登場する言葉のいわくありげな予告」となっている。
「枕詞は、呼び出す声を装い、呪文を装う言葉であり、いわれや由来を求める気分を喚起して、そこに儀礼的空間を呼び起こす言葉である」。
(『和歌とは何か』より 「 」内は本文引用)

 聴く者に対して 明白なイメージ対象を 呼び起こす 共同幻想化の切欠として 枕詞は存在し そのかかる言葉と 根源的には 何らかの形で 一体化していた 言い回しであった可能性は 充分に有り得る

 個別に 意味的関係を 探るやり方は 実の所 あまり 重要ではなかった そう考えられるのだ


★★★読まなくてもいいゾーン 終了点★★★


 さて その枕詞

 いくつかの 表現様式が 存在している

 その中の 国文学者:金子武雄が 唱える 三種の分類を 見てみよう

①意味的関係(縁語式枕詞)
 → 比喩や属性などで 関連のある言葉にかかるもの (「神風の・伊勢」「百足らず・八十」「沖つ鳥」など)

②音声的関係(同音反復式枕詞)
 → 同じ音が 繰り返されるもの (「ありぎぬの・在りて」「ははそばの・母」「八雲立つ・出雲」など)

③意味・音声的関係(掛詞式枕詞)
 → 似た音の 別の言葉にかかるもの (「梓弓張る・春」「春日かすむ・かすが」「久方の天・雨」など)

(『称詞・枕詞・序詞の研究』より)

 これを 御覧になって ハッとお気付きの方は まことに優良

 この枕詞の区分 なんと 前述した 無駄口の分類のうち 「関連物の並列」「音韻の列挙」「音の連結」が この分類に ほぼ そのまま あてはまるのだ!

 枕詞の様式は 無駄口の様式にも なり得たのである

 また 文学博士:福井久蔵は 「枕詞の起源」について 以下のように 解説している

 最も普通の説は上の部分は調を整へる為に置いたといふ説で(第一)これは大分有力な説である。日本の歌は古くは五、七調にきまつてゐた。それゆゑ五と置くべき時に七といつても都合が悪いから、調子の為に、一句を置いたのに始まつたといふ、つまり整調説である。

※この他 修飾(語を綺麗に彩る)説・重訳説(同じ意味の語で強める説)・区別説(同じ音の語を区別させる説)・釈明説(語の説明を添えている説)
(『枕詞の研究と釋義』より)

 無駄口に備わる リズム性というのも 枕詞が 典型的定型詩たる 和歌の中に 収められている 

 枕詞は かかる言葉とが 常にワンセット いわば一体と なっていたが それは 無駄口においても 事情は 全く同じであった

 この点からも 枕詞と無駄口の 共通性が 浮き彫りになってくる

 「無駄口の祖先は枕詞」である 可能性がある とする根拠は これだ

 無駄口とは 枕詞の より大衆化・俗化した 姿であるのかもしれない

 古より 血肉を震わせた無駄口は もはや ”無駄口” と称する どころではなく ”興言利口” と 言える

 ……いや これは 言葉通りの 「むだぐち」を叩いて しまったか



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