エール
私の人生はお別れの多い人生で、たまにそれを忘れてしまうんだけど、だからこそ思い出した時にはどこかに記憶を置いておこうと思う。
悲しい記憶だけど、確かにそこにいて、けれどそこからはもう遠く離れてしまっていて、振り返ってはたまに忘れてしまったりしていて。
私は別になんの宗教も持たないし、そういった類いのものは信仰していないけど。
その存在を言葉にするとしたら、
「神様」の様な存在だ。
ずっと遠くからただ私を見つめる、この世にはもう存在しない人たち。
私の記憶は、昔からもう二度と戻らないと分かって生きているからか、仕方ないと諦めた事も多いからか、元々ぼんやりと薄い。
だからかその大事な強い記憶たちも、どんどん遠くなり、薄くなり忘れていく。
大人になり、大丈夫な事も増えた。
大人になり、自由も安心も増えた。
大人になり、守れる事も増えた。
大人になり、忙しい毎日が増えた。
けれど、ふと、分からなくなる時がある。
こちらであってるのか、ふと、分からなくなる時がある。
今手に持ってるものが、いつまであるか、分からなくなる時がある。
子どもの頃。
夕暮れの少し肌寒い時間。電柱の光で伸びた足元の影をじっと見て立ち尽くした時。
季節の変わり目で薄い上着の上から腕をさすりながら涙で前が見えず心許無く睨んでいる時に。
ふと戻る瞬間がある。
そんな時、ふと視線を思い出す。
どこかの記憶で、ぼんやりした存在になってしまった存在に出会う。
あんた何してんの。
ほら。帰ろう。
出来る。出来る。頑張れ。
明日やってみな。
そう笑いながら近くに来て、背中に手を当ててくれる存在。
その時、どんなに温かかったか。
どれだけ安心したか。
ほら。ここから見てるから。
そう言って泣きながら歩き出した私を、
遠くから声も忘れてしまった存在が、私に向かってずっと手を振って言ってくれる。
その時どんなに心強かったか。
そんな存在を思い出す。
生きる事に意味などないのかもしれない。
生かされてる事なんて、自分の存在なんて、特に意味などないかもしれない。
自分が勝手に感じる昂りや、
伝えたい気持ちなど、
誰かに必要とされる事や
誰かの気持ちを守る事、
誰かを笑顔にする事や
自分を大事にする事も、
何も意味がないのかもしれない。
でも
こうやってまた何かを繋いでいく事を。
誰かが渡してくれた何かを。
繋いでくれようとした存在を、
私は大事にして生きていこうと思う。
誰かに生きてくれた事、生まれてきてくれた事、笑ってくれた事、泣いてくれた事をありがとうと伝えれる様に。
その存在を覚えていれるうちは、まだもう少し頑張ろうとそう思う。
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