見出し画像

星の川を渡ったところ

不安定な日だ。

こういう日はなかなか言葉にならない。

生きるって?死ぬって?

どうして…

ぐるぐる回っても答えは出ないから。

昨日は、仕事でモヤモヤする事があった。

久々に晴れた七夕だったが、空など見上げず下を向いて帰った。

別に相手が悪い訳じゃない。

私の要領の悪さは自分で分かっているし。

だけどそこに含まれる少しの悪意に傷ついたんだと思う。

じゃあその悪意が悪いのかと言えば、そうでもない。

だって人間だから。

感情があって、考えがあって、そこに怒りがあって、悲しみもあって普通なんです。

傷つく方も、傷つける方も、大きく外れない限り普通。

ただ、今日はなんかダメだった。

いつもは流せることも、今日は無理だった。

たまたまなんとなく見た、上司や社長の表情を思い出して、勿論それは私に向けられた言葉や表情ではなかったけど、そういうのも含めて気持ちは下へ下へとむいてしまった。

私は昔から、人とうまくやれない。

だからかなんなのか、あまり結婚願望はなく、子どもが欲しいと思った事がない。

結婚してる方を見ていて、幸せそうだと微笑ましいし、小さな子が可愛いし、お付き合いする時は真剣なので、結婚が絶対したくない!とか、子どもなんか産みたくない!とかでもない。

でも一人が好き。平穏な静かな時間が好きなのだ。

それを共有できる人が、自分が生きてる間にいればそれは幸せだなぁ。

子どもも、パートナーもご縁があったら、素敵だなぁ。

ぐらいの温度である。

子どもの頃から、ずっと。私の幸せはそういうものなのだ。

そんな話をして妹は『別に良いと思う。お姉ちゃんはお姉ちゃんやから。私は分からない事は理解したいと思うよ』というまっすぐな言葉をくれた。

とてもありがたかった。

けれどやはり周りには理解されない事の方が多い。

女の幸せ。女の価値。独身でいる事に鼻で笑われる事もある。

でも、私は知ってる。

誰かを当てにすると言う事は、その誰かの重荷になるという事を。

別々の人間が、一つになる事は不可能で、誰かに幸せにしてもらうというのはかなり危険な考えであること。

幸せとは日々のささやかな温かさを感じる必要があり、理解できずとも思いやりを持ち、常に横たわり続ける問題を無視せず、一緒に協力し、お互いの能力を持ち合わせて解決し続ける事が必要だと言う事を。

そして、それはとても身体や心がヘトヘトになると言う事を。

一人でいるよりも二人でいる方が難しいこともある事を。

沢山いればそれだけ大変だという事も。

その日々はとても地味であり、お互いは擦り減り、時には暗く途方もなく長い道のりで、けれどその中のお互いが持ち合わせた温かく仄かな光を抱え続ける事で大きな光に変える事が出来て、その分幸せが大きい事も。

でもきっとそんな話をしても白けてしまい、言い訳や頭でっかちと捉えられ、またあなたの幸せの為に〜と言われ話だけが長くなり、そしてそれはきっと親切心(だと本人は信じて止まない)だろうし、そこには色々な考えや経験があるのだから、良い事だけを聞き入れ、気にせず、今の時代でよかったよ。なんて思う様にしている。

そんな時はあえて何も言わずニコニコしている。

一生懸命説明をして分かってもらえない時程、虚しいものや辛いものはないし。

ただ。そう言った事は少しずつ心のどこかで澱のように積もっていくのだ。

ゆっくりと底へ。

『じゃあ何の為に生きてるの?』

その言葉が、ゆらゆらしている。

価値観や、生きてる時代の違いもあるんだろうけど、ふと、そういや、なんで生きてるのかな。と思った。

確かに生き物としては、どうなのだろう。なんて。

どこかでずっとゆらゆらしている。


母が亡くなった時、私は思った。

『自分で面倒見ます』と無理を言って拾ってきた猫を飼ってもらったので、その寿命を見届ける事、そして妹がまず成人するまでは頑張って生きよう。と。

私たちの置かれている状況はかなり微妙だったのだ。

離れてはいけないと思った。

人は時にとてもシビアで、そして残酷だから。

がむしゃらに生きていたらいつの間にか時は経ち、猫は頑張って20年生きてくれ、妹は結婚した。

それを友達に話したのを覚えてる。

猫が死ぬまで、妹が成人するまで、就職するまで、結婚するまで。

それを聞いて、

そうやって人は生きていくのかもしれないね。って友達は言った。

この世界で家族なしの一人で生きていくのはハードモードだから、私は見届けないといけないと思った。

でも、その時を迎えて、ふと、あれ?私は何したら良いんだっけ?と、なった。

母が亡くなった時も思ったけど、私一体何すれば良いんだっけ?って。

その時、なんとなく引っかかっていたものが、存在を大きくしゆらゆらし始めた。

あんな場所にあったっけ。

底へ沈んだはずの存在は、どこか分からないけどすぐそばで引っかかていたみたい。

ゆらゆらしている。

ずっと。

昨日はたまたまよくある事で怒られて、モヤモヤして家に帰り、ふて寝して。

よくある事だから、涙なんて出なくて。

そのよくある事は、自分が不器用だからよくある事であって。

あの小さな悪意はその不器用から来る苛立ちであって。

自分は特に才能もなく賢くもないから、ただただ布団に潜り込んで目をつぶって、そして、母が亡くなった時もこんな事してたな。って。思い出して。ただただ。

ただただ目を瞑って。

そうただただ目を瞑って。

そして夜中に目が覚めた。

友達のM君が、もうすぐK君の誕生日だね。ってグループLINEでK君の動画を送ってくれたのだった。

このグループLINEは、M君の幼馴染や、そのバンド仲間などのグループで、私だけほぼ関係ないのだが、M君が招いてくれたので、私もそこに存在している。

M君とK君は幼馴染で、私とは昔のバイト仲間である。

K君は同期で話している内にとても仲良くなり、そして幼馴染であるM君とも仲良くなったのだ。

そして、K君は13年前にバイク事故で亡くなった。

優しい子で、見た目はカッコいいのにとても真面目で地味な性格だった。

どれくらいカッコいいかというと、M君のお姉ちゃんやうちの妹が写真見て、『うん。やっぱりK君ってカッコいいな。』と言うぐらいである。

優しさはどれくらいかというと母がべた褒めするぐらいである。

ある時。

うちの母が入院している時、うちの猫が体調を崩して倒れた事があった。

K君はバイトを休んでくれ、動物病院へ車を出してくれ、その後、家を経由して母の病院まで私を送ってくれたのだった。

私は母と会わせたかったが、母は抗がん剤の副作用が顔にも出て、お風呂も決まった日しか入れないので、とても恥ずかしがり、会わずにK君は帰ったのだった。

母は『色々してもらったのに悪い事したね。本当ごめんね。』と何度も謝っていたが、『K君の父親も同じ病気やったから、気持ち分かるよって言ってくれてたし、気にしてないよ。大丈夫よ。』と言っていた。

そしたらメールが鳴った。

K君からだった。

『雨降ってるけど傘持ってる?分からなかったから、病室の前に傘置いてるよ。気を使うと思うからそのまま声掛けずに帰るわな〜』

急いで病室のドアの外を見ると、そこに傘が立てかけてあった。

うちの母はその日からべた褒めであった。

そんな心根の優しい子で、音楽が大好きで、コツコツとずっとベースをやり続け、父親が亡くなってからは、母親を安心させる為に警官になろうとしていた所だった。

その動画でK君がニコニコしながら、ベースをひいていた。

幼いM君が歌って、幼いK君がベースを演奏してた。

とても可愛らしく微笑ましい。

拙い演奏だけど、一生懸命頑張ってる姿があって、そして照れ臭そうに笑っていた。

なんかそれを見た途端、気持ちが溢れだしてきた。

この子はまだ自分がいつ死ぬかなんて分かっていない。

こんなに可愛い子が、何の疑いもなくニコニコ笑っている。

彼のお通夜には人が入らないくらい、沢山来たのだ。

でもこの子は知らない。

こんなに愛されているこの子は若くで死んで、私は生きてる。

ばかじゃないのか。なんで死んでんだよ。

こんな可愛い子が死んで良いはずねーだろ。しかも、最後に会話した時、酔っ払いやがって、『俺早死にするかも。お葬式は来てね』とか縁起悪い事言ってんじゃねーよ。ばか。

『私より先に死ぬとかありえないから。お葬式なんか絶対行かないから』って、言ってしもただろが。そんなしょーもない話で終わってしもて、そんな事しか話せなくて、まだまだ話したい事あったし、あんためちゃくちゃ良い奴なのに、みんなに沢山愛されてるのに、なんで死んでしまったんだよ。ばか。辛い時や良い事があったら、真っ先にいつも話してたやん。友達いないけど、君がおってよかったわって笑ってたやん、でも実際は君、めちゃくちゃ愛されてたからお通夜の会場に人入りきらなかったやん。君の方が…『生きている意味あるの?』って聞かれる私より、君の方が生きてれば良かったのに…

いっぱい気持ちが溢れだして、いい年齢の人間がひとしきり一人でオンオン泣いた。

折角晴れた七夕の夜空は見ていない。

暑苦しい布団の中で丸まりオンオン泣きながら、暑いっ!って汗だくになって布団ひっぺがえして、またオンオン泣いた。

ティッシュだらけのゴミ箱を見て、こんな姿は誰にも見られたくないとやはりオンオン泣いた。

明日ゴミの日やけど、出すの面倒だとオンオン泣いた。

でも、やっぱり君がいてくれて慰めてくれたら良いなとも思った。

どうしてみんな置いていくんだよ。私そんな強くないんだよ。と、オンオン泣いた。

でもそれはもう叶わない事だとまたオンオン泣いた。

七夕でも叶わない事なのだ。

恐らく彼にも辛い事や悲しい事、我慢していた事は山ほど沢山あっただろうに、彼がどんな気持ちでいたかよりも見える情報だけを先に思い出してしまうのだ。

人というのは、なんと身勝手なんだろう。

失うその時を知らずに生きて、失う前に優しい言葉の一欠片でもかけてやったらよかったと悔いる。

そう思ってまた生きるけど、その気持ちはまた日常に溶けて薄まり忘れて、同じ事をする。

つまらない事で人と比べたり、傷ついたり、憤ったり、悲しんだりする。

そのつまらない事は誰かにとっては、そのままつまらない事でもあるし、いや、実は重大だったりもする。

でもその事実たちはもう無くなり、彼はここにはいない、過去のその時でずっと微笑んでいるのだ。

声を忘れて、姿や顔も忘れかけて、そして傷も少しずつ小さく跡になり、その跡も薄くなったというのに、動画でしっかり微笑んでる。

しっかりとした鮮明な姿に照準が合って、とてもクリアな姿でこちらを見ている。

声は届かず、声は聞こえず。

ずっと気持ちに押しつぶされない様に、どこか気を張っていたのに。

照準のあった姿をただ見つめて。

私は夜中にオンオンと泣き続け、目は腫れた。

重い身体を起こして、不細工な顔をして、また日常を生きる。

そう思ってTVをつけたら、元総理が拳銃で撃たれていた。

現世とあの世を隔てる川はどこから流れているんだろうか。

流されるものと流されないもの、変わるものと変わらないものはどういう違いがあるのだろうか。

時代や、自分のいる場所はいつの間に変わっていくのだろうか。

浅く水の流れるこの場所から、急な流れや深く窪む場所の境目はよく見えない。

自分の足のくるぶし辺りを流れるこの透明な水は、穏やかに砂を運んで足を埋める。

不確かな事だらけなのだ。

でもせめて。

川の音は、星で作られた川はどんな音がするのだろうか。

その音は優しい音であってほしい。

綺麗な音楽のようなものであってほしい。

その人の心で聴こえるものは、最後に聞いた不気味な音をかき消すぐらいの、優しい優しい音であってほしい。

君に流れる音楽はずっと優しいものであってほしい。

身勝手な私はそう願わずにはいられない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?