チャット文化の弊害なのか世代のせいなのか
今日はTwitterで目にした呟きから思ったことをつらつら書き残しておこうかと.
…学生相手に日頃やりとりをしているので「…ああ…確かにそういう学生いるわ!」となっていました.また,noteの記事にも詳細がまとめられていました.
「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」という質問に対していろいろ想定しながら289文字も返信をしているとは,このライターさんは何て親切な方でしょう…もしわたしが同じメッセージを受け取ったら,反射的に
「これだけでは答えようがない、要・追加情報」
…って返しかねない…(こういう自分本位な質問にはもらった文字数以上の回答をしたくなくなるという天の邪鬼な思考回路なもので)
実際,大学で担当している教科でコメントペーパーの中味だけメールで送りつけてきた学生に「これは何のために送ってきたメールですか?」とだけ返した前科有り(もう何年も前ですが).状況としては,学生に課しているコメントペーパーを学校の学習システム経由で提出させることが多いのですが,設定した〆切を過ぎるとそのシステムからは送信できない,でも事情次第では〆切後でもメールで送っても可能であれば対応すると伝えてある…(突然の体調不良とかもありましょうしね)…そこに前置きも言い訳も,宛先すらもなく送りつけられてもね…という.
結局その学生は前置きなどをつけて再送してきたので「最低限,これが何の意図で送るメールであるか書いていただかないと次からは対応できかねます」(そもそも〆切過ぎている事態を救済して欲しいというメールなわけですから)と改めてメールに返信しましたけれど,果たしてその後はどうやって社会で生きているかな.
そしてnoteの記事にも紹介されていましたが,こういうやりとりが発生するケースに年齢はあまり関係ないかなと思う次第(若い人の方が経験が浅いので目に付くかも知れないけれど).
表題の「チャット文化の弊害なのか世代のせいなのか」についてのわたしの結論は「コミュニケーションで相手の負担を減らす配慮」の欠如,無知なのかなと.
わたしもかつてそうだったし.
例えば誰かと待ち合わせをするときのメッセージとして「"いつでもいい"とか"ご都合に合わせます"というのはNG」と教えてくれる先輩がいて下さいまして.「その答え方では,誰かにあなたの都合の良い時間帯を想像・配慮してもらう負担を無言で強いていることになるから,少なくとも案を一つは出さないとね」と言われて(叱られて?)からは「今月で絶対ダメなのは△日と○日,おおむね平日夕方が都合つけやすいけれど,週によっては土日の午前中でもOK,それ以外でも調整可能な日はあります…で,そちらのご都合いかがでしょうか」といった類の返しをするようになりました.まあコミュニケーションは相手があることなので,これが正解とは限らないけれど.
それなりにつきあう必要のある先輩や仕事関係者には「先に候補日を出して欲しいです」と明確に伝えることもあるし,やりとりが改善されなければつきあいの必要度合いに応じて静かに関係をフェードアウトすることもあるし,いきなり関係を絶ったこともある.
これまで人生の途中において,必要以上に察しようとして疲れてしまったことがあるので,察することは頑張らない.上手に人間関係が続かないこともあるけれど,そういうこともあるよね,といろいろの折り合いを付けています.