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亡人との想い出話など②

前編:


2018年にSAQITANさんと初めてお会いしてから、しばしの時間が経っていました。

その間、twitterでは雑談的なやり取りをたびたびしていました。
マメなご返信を頂いていて、前回の飲み会で私がやらかしていた狼藉にも関わらず、SAQITANさんは優しい方だなぁ…と思っていました。

2度目にお会いしたのは、つい先月、2021年11月8日です。

その直前に、共通の友人稲葉氏が会ってきたらしく、ドールコミュニティに関するLINEが来ました。
それまで1ヶ月くらい稲葉氏から何度か飲みに誘われていたのですが、私事で忙しくて伺えていなかった私は、その日ちょうど仕事が一段落したところでした。

飲みにいこうや、と稲葉氏を誘ったところ、SAQITANも呼ぼうやと3人で飲みに行くに至りました。
SAQITANさんが闘病中でいらっしゃることは、稲葉氏伝いで何度か伺っていたことがありました。

この日は大阪駅前第一ビルにあるアットホームな居酒屋さんに行きました。
少し遅れて来られたSAQITANさんは、確かにご病気をされている様子ではありました。

私は、3年前の初飲み会のときに無礼をお詫びしましたが、あんなんはどうでもいいと割と軽い感じで流して頂きました。

SAQITANさんと稲葉さんとお話していたのは、ドールコミュニティの興亡とか、SNSでの”バズ”の限界とか、そんな話題だったと思います。
あれだけSNSで多く拡散されて、立派なドールの写真を撮って、コミュニティで名も知れているというのに、そこに胡坐をかかない謙虚な方・探求心のある方なんだな…というふうに感じたのを覚えています。

そこで私から話題に出したのは、9月にSAQITANさんが公開されていたこのお写真についてです。

トルソータイプという下肢のないタイプの素体で撮られた作品です。
元々私も、こういったサブカル性癖業界でいう「ダルマ」の属性は知っていましたが、自分の中での立ち位置はニュートラルで、特に萌えというか好意的に捉えたことはありませんでした。
しかし、この作品を拝見して、その性癖に対する「イイ…!」という感覚を初めて覚えました。
健康的な身体と麗しい流し目、そして透明な椅子濃しに見えるシリコンの断面。そのアンバランスさが、私にとって、禁断の扉を開いたように美しく見えたのです。

こういった審美に対してインパクトをもたらされたのは個人的にすごいことだと感じていました。だから、せっかく対面でお会いできたのだから、それに対してSAQITANさんにお礼を伝えたいと思っていたのです。

興奮交じりでミーハーにそれを伝えた私に、SAQITANさんは「まぁ、僕らの世代ではよく見かけましたから」と、取るに足らないことかのように答えられました。

そして、趣味コミュニティに新規参入してくるユーザーたちは、自分達がとっくに通過した内容を繰り返していてつまらない、というような話や
(私にとってはわかるようなわからないような…という感じだった)

写真がバズっても写真集を買う人はごくわずかだし、とバズることに対して達観したような話(弱小無名の私にとっては理解しがたかった)

共通の知人が何人かいるというような話、
(今から呼ぼうかと言われて、その共通の知人は私の大昔のバイト先の副店長だったので、なんか気ぃ使うから嫌やわと断った)

そんなお話をしたことを記憶しています。

SAQITANさんは、向上心が高く、謙虚で、それでいて達観している方なんだな…すごいな……と感じました。

それから、2軒目に行きました。
北新地駅前にある、リーズナブルな立ち飲みバーです。

一軒目の居酒屋の店主さんも合流し、SAQITANさんと稲葉さん、私と店主さんと別れて話していました。

SAQITANさんは、病気を患われてから煙草を始められたそうで、稲葉さんは飲みの場なら分けてもらって吸うとのことでした。
私は喫煙はしないのですが、面白がって分けて分けてーと分けてもらいました。

銘柄は覚えていませんが、メンソール系でした。
SAQITANさんはライター代わりに小型のチャッカマンを持ち歩いておられて、なんでやねんと私たちはそれを笑っていました。

分けてもらった煙草を吸ってみるなんて悪ぶった中学生みたいだと私も自分の事を笑って、煙草を肺に入れるとふわぁとなるの気持ちいいとSAQITANさんから教えてもらって、うまく吸えない私はやっぱり中学生みたいだと自分で笑っていました。
めっちゃエモいやんと笑いながら写真を撮りました。手前が私で、奥がSAQITANさんです。

そんなこんなで、私は終電で帰るからと雨の中、北新地から阪急梅田まで走って帰りました。



〆の話。

これが、私とSAQITANさんとの想い出です。
一緒に飲みに行っていた稲葉さんから訃報を聞いたとき、あのとき何の話したか覚えてへんわと稲葉さんは言いました。
私は多少覚えていて、忘れていくのは寂しいと思いました。だから、記録しておこうと、noteを開いた次第です。

正直なところ、実感や悲しさは覚えませんでした。
もし私が死んでも、趣味コミュニティやネットの繋がりには連絡がいかないと思ってたから、こうやって訃報が届いたことはすごいなぁ、と思いました。
SAQITANさんが所有していたドール製作元の社長さんからも弔辞がツイートされていて、すごい方なんだなぁ、とも思いました。

それでもこうやって想い出を振り返ったとき、同じドール愛好者のコミュニティのちっぽけな弱小無名ユーザーである私にもフランクに接して下さって、謙虚な良い方だったんだなぁと思いました。

さて、ここまで想い出をしたためて、一番印象的だと思ったのは、このエピソードです。

“SAQITANさんの所有されるドールは、シリコン製なので、経年劣化をしていくと。 彼が一番気に入っていたアンナちゃんというドールが劣化をしていくのがつらいと、そういったお話だったと思います。 私も可愛がっているしゅねという名前のドールがいて、経年劣化のために工房に送り返して新しい素材で再形成してもらったことがありました。 そのとき、再生産された「しゅね」は、同じ造形をしていたとしても、それは果たして私の可愛がった「しゅね」自身かどうかなのか…… と、悩んだことがあったと話したら、SAQITANさんと、わかる―――!!と初対面ながら頷きあったことを覚えています。”

永遠の命を得た彼は、経年劣化を恐れることなく、愛するドールと余生を過ごすことができるところへ旅立てたのならいいなぁ…と私は漠然と思います。
そういう場所こそが、形あるドールを愛するドール愛好家にとっての「天国」なのかな、と。

最期の時までドールオーナー全てが幸せであることを祈っておられたSAQITANさんへ、謹んでお祈り申し上げます。


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