さくら。

今回はバンタンの話関係ないです。


今年で愛犬さくらを亡くして6年になる。
癌だった。
毎年健康診断を受けて、何か少しでも気になることがあると病院に連れて行っていたのに、癌に気付いた時は手遅れだった。
幾つもの病院を周り、他県の設備が整った大学病院にも行ってみたが完治は難しいと言われた。
そして、癌と診断されてちょうど半年後。
母の腕の中で、家族全員に見守られながら眠るように逝った。

わたしは今でも悲しい。
これを書きながらも涙が止まらない。
6年経った今もあの子を亡くした悲しみが癒されることはなく、思い出話をしようとすると涙がとめどなく溢れてしまう。

さくらは、ずっとずっとずーっと犬を飼いたいと願い続けてきたわたしの、待望の念願の愛犬だ。
ウエルッシュ・コーギー・ペンブロークの女の子。
4月1日生まれで、誰からも愛されるようにとさくらと名付けた。
さくらは本当に可愛くて、ピンッととんがった大きな耳もアーモンドのような瞳も、短い足も丸いお尻も、形作る全てが世界で1番可愛い子だった。
人見知り犬見知りで、ドッグランに行っても他の子とはなかなか遊べず、家族の傍にいるのが何よりも好きな子だった。
休みの日には家族で車に乗って遠出したり、ペットと泊まれる宿を調べては旅行にも行った。
食べることが大好きで、その中でもアイスクリームが大好き。
家族の誰かが何か食べていると必ず横に来て、短い手でちょいちょいとおねだりしてくる。
お散歩に行くと知らない人からも「可愛い子ね」「綺麗な子ね」と褒められ、コーギーオーナーさんからも「今まで見てきたコーギーの中でもとっても可愛い顔してるわねー!」と、たくさんたくさん褒められた。
間違いなく世界で1番可愛い、わたしの妹。
大好きで大好きで堪らなくて、ずっと一緒にいたいと思ってた。
死ぬ時も一緒が良かった。
ほんの僅かな時間でも、さくらを1人にしたくないと思っていたのに。

あの子は逝ってしまった。

わたしは一緒に逝ってあげられなかった。


さくらが天国に行って、しばらくは何もする気になれなかったし毎日泣いてばかりいた。
それなのに、今わたしは働いて、ご飯を食べて、笑ったり、楽しみを見つけたりして、生きている。
その事実が時にわたしを失望させる。
あんなに一緒だよと言ったのに。
大事で大切で愛するあの子を失ったのに。
わたしは今日も笑っている。
さくらがいないのに。


早く逝ってあげなきゃと思う。
なのに、バンタンの最後を見届けたいと思う。
さくらを1人にしておけないと思う。
なのに、今度発売のポケモンが楽しみだと思う。
さくらが淋しがってないかなと思う。
なのに、ディズニーハロウィンに行きたいと思う。

この矛盾に時折押しつぶされそうになる。
楽しんでることが、生きていることが悪いことのように思う。
あんなに辛くて悲しかったのに、今笑って生きてる自分に愕然としてしまうのだ。

誰かを失う悲しみは癒えることはない。
いつまでも悲しいままで、その悲しみに慣れるだけだ。
涙を零さないように、我慢強くなるだけだ。
だからわたしは今でも悲しいし、淋しい。
さくらが逝ってしまった瞬間を忘れることはないし、繰り返し思い返しては泣いて泣いて、ひたすら恋しくなるだけだ。

この先も、わたしは悲しみと日常を繰り返して、笑って生きていく自分と悲しくて苦しい自分を繰り返して、そうしていつか人生を終えるのだと思う。
それが1年後なのか、5年後なのか10年後なのか、30年後なのか、もっと先なのか分からないけれど、早くその日が来ればいいと思う。
さくらと過ごした時間以上に、さくらがいない時間を過ごすことが辛くてたまらない。


でもわたしはまだ死ねないから、


さくらは待っててくれるかな。
遅いよ!待ちくたびれたよ!って怒るかな。
それともようやくまた会えたね!って喜んでくれるかな。
会いたいな。
ふわふわの体を撫でたいな。
ちょっと重たい君を抱き締めたいよ。
大好きだよ。

ずっとずっと大好きだよ。
もうちょっとだけ、待っててね。

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