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ある歌人神官がみたかもしれない大正
今回は小ネタです。葦の舎あるじの孫娘タツ、すなわち私の祖母が持っていた写真、撮影時期はいつで写っているのは誰なのか、考察してみました。答えは、はたして。先にいっておくと、わりと中途半端です。
証明写真サイズのちっさな写真
「ある歌人神官がみた明治」では、私の父方の高祖父(4代前の先祖)、“葦の舎あるじ”が書き残していた歌集『随感録』を読み解いている。
葦の舎あるじの戦前・戦後の写真を、私の祖母タツは何度か引っ越ししながらも、ずっと保管していたようだ。
当人は認知症を患い、それら写真の詳細はもうわからない。
ただ、明治期の写真もあったおかげで『随感録』の歌の裏付けができ、150年前に生まれた先祖を身近に感じられているところだ。
さて、その数々の写真の中にひときわ小さな写真群がある。
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記念切手くらいというか、証明写真に近いというか、写っている人物の顔はギリ、判別できるかどうか。
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左下2枚は印画紙が違うが、残りはほぼ同時期に撮られたものではないかと思う。
同じ2人組が写っているように見えるものもいくつかある。
手がかりは背景にありそう
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当時(が、いつなのかわからないが、大正にしても昭和にしても)カメラは高級品で、そんな気軽に日常スナップを撮るようなものではなかったはず。
で、この2人が写っているのは、宗像大社辺津宮の心字池とそこにかかる太鼓橋でほぼ間違いない。
2023年5月に宗像大社辺津宮を参詣した際の写真に太鼓橋が写っていた。階段の数は違うものの(後述)、拡大すると欄干は酷似している。
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白黒写真は、本殿を背に鳥居側に向かって撮ったと思われる。扁額が向こう向いてるし。
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なにより、宗像市が発表している「第1章 史跡「宗像神社境内」の調査成果」というPDFの50ページ目に、ちょうど同じアングルで太鼓橋を撮った写真(171.太鼓橋)がある。
同PDFによると、この太鼓橋は「大正6(1917)年3月 改造」とのことだ。
今の橋と、昔の写真の橋を比べると階段の数や幅が違うのは、おそらくその大正6年の改造によるのだろう。
ということは、この写真はそれより前に撮られたと考えてよいのではないか。
大正6年なら、葦の舎あるじは44歳。福岡住吉神社の宮司をつとめていた時期だ。
撮影時期をその頃と仮定して、被写体に当てはまりそうな人物を考えると、どちらかひとりは明治35(1902)年に生まれた第二子、葦の舎あるじの長男の可能性がある。13~14歳くらいだから、たぶん黒っぽい服装のほうかな。
もう一人のことは残念ながらわからない。親戚か、友人か。
ただ、その人の身内にカメラを持っている人がいて、何かあって田島を訪ねてきた。せっかくだからと辺津宮を案内して、記念に写真も撮った…という仮説はたてられそう。
短髪にしているのは、徴兵で兵役につくかついたか、その挨拶だったのかもしれない。着ているのも軍装っぽい感じがする。
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で、あるなら、この写真は大正時代の葦の舎あるじの家の可能性がある。田島の家とはっきりわかる昭和28年に撮られた写真があるのだが、その庭や建物とよく似ているのだ。
答え合わせは今のところできない。考察もおそらくここまで。
撮影時期はおそらく大正6年3月以前
写っているひとりは葦の舎あるじの長男かもしれない
大正時代の田島の家が写っているかもしれない
やや消化不良気味ながら、ここまで迫れたのならあとは想像でもいい気もする。
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