【何者かになりたい】という若者
今どきの20代は【何者かになりたい】らしい。
ふっ…40代の私だってそう思ってたわい。
肩書きが【無職】って、ただでさえ低い自尊心がさらに下がるし、虚無感にも苛まれるのだ。
どうにかして何かしらの職業名がつかないものか。
職業名なんて自称できるんだから好きなようにつけちゃえばいいんだけど、やっぱり他者から「あなたはまさしく○○○です!」と認められる肩書きがほしい。
そう思っていた時期があったのさ。
自分にはまだ未発見の才能があるんじゃないか!?
自分の強みって何だろう?
なーんてね。
素質や頭の良さはほぼ遺伝で決まるという。
よく考えたら、両親は賢いわけじゃないし、特別なスキルを持っているわけでもない。
そんな二人の遺伝子を継いでいる私が、特別な才能を持っているわけがないのである。
そういった現実を受け入れることは、生きていくうえで重要だと思っている。
理想の結果が得られないことに向かって努力をすることは、苦しい。
今は自分の中で考え方が変わって…というよりも、考え方を積極的に変えるよう努力したことで、【何者かになりたい】という欲求はほぼなくなった。
若者の【何者かになりたい】という欲求には、まず、周囲から認められたいという承認欲求があると思うのだ。
また、他者よりも抜きん出たスキルを身につけて注目されたい、マウンティングしたいというような思いもあるかもしれん。
さらにいうと、【何者かになりたい】の根底には、自分自身の可能性、すなわち、自分はそういう存在になれる!という傲慢さがある。
若いから、あってもいいのかな。
その他大勢に混じって目立たない存在のうちのひとりではいたくない。
そんな感じか。
20代だから、自意識がめっちゃ強いもんね。
常に自分と他人とを比較して、相手より少しでも上位でいたい。
自分が他人からどう見られているのかめっちゃ気になる。
だから、他人からどう見られたいのか、それを基準に行動を決める。
それって自分の人生を生きていないよね。
でも若いうちはそうゆうひとばかりだと思うし、自分もそうだった気がする。
今はSNSで、ただの一般人が突然有名人になるという現象がたくさん起きている。
かつてテレビしかなかった時代は、テレビの中の人は特別な存在だった。
今もそうだろうけど、その特別な存在に近い存在(たとえばYouTuberとか)に、個人の努力で一般人もなれるようになった。
そのぶん、特別な存在の数も増えた。
特別な存在に対するハードルが下がった。
彼らのことはスマホで毎日見ることができる。
となると、自分もなれるんじゃないかと思ってしまう。
とあるメディアに出ていた20代男性は、何者かになりたくていろんなことに手を出しているようだった。
主に資格取得など。
青いなぁ〜!
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