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「無駄でどうでもいい」
他の誰かがそう断じる一方で、その「無駄でどうでもいい」を「なんとなく」とっておきたいと思う自分がいます。もしかして遅すぎる反抗期…ってコト!?と自分自身の変化に驚きながら書いています。
そもそも、私がしょぼすぎて人並みの判断ができないこともあったり、あとは欠席裁判で残飯処理みたいなことをさせられることになったりもして、言われたことを真に受けたまま粛々とやってると、いくつかの「無駄でどうでもいい」が合体して、思いがけない成果に繋がることがあります。
それに私は「無駄でどうでもいい」じゃない、新しい名前をつけ直します。
「ほくほく」と名づけましょう。
私が「ほくほく」を認識できるようになったのは復職したあとくらいからで、それまでは否定されたり、搾取されたりしていたものだったのだと思います。これからも誰かの「無駄でどうでもいい」に私にとっての「ほくほく」が隠れていることがあるだろうし、注目していけるようにしたいなと思っています。それに気づくには自分の「なんとなく」がポイントなのかもしれないと感じています。
いいオトナの人には豊かな経験や教養があるから、私がやってること自体が「無駄でどうでもいい」ものなんだろうけど、やっと自分の感覚を、誰かの価値観や評価より大切にできそうな糸口を掴んだ気がするので、「なんとなく」をスルーしないようにしていたいのです。
「なんとなく」をないがしろにしていた頃、私は怒りのもととなるようなネガティブな感情を強いエネルギーを使いながら抑圧していたらしく、怒ることができませんでした。
抑圧のエネルギーをゆるめることを覚えはじめてから、嫌なことを言われたりされたりしたような時に「キー!」ってできるようになったのです。
TPOをわきまえて適切に「キー!」するのはまだ苦手で、出した方がいいか出さない方がいいか、自分なりによく考えて「キー!」してるつもりでも、間違うことが多いです。
だけど「キー!」は「なんとなく」と同じくらいスルーしないほうがいいような感じがします。
私は自分ではなく誰かの「キー!」に反応する回路は異様に発達してしまったのですが、その手前に「なんとなく」の通り道を作ってみました。
これまで抑圧に使っていたエネルギーをこちらにまわして、「なんとなく」の回路を丈夫にできたら「ほくほく」に気づきやすくなったり「キー!」の出し所も間違いにくくなるのではないかと…ならなくてはいけないではなく、なれたらいいな~くらいの気持ちでじわじわやってみるつもりです。