星空に包まれ、ほっとする
私は星空が好きだ。
知識があるわけではないし勉強をする程でもないけど、星空が好き。静かな夜の中、ひとりで星空を見上げるとほっとする。大丈夫だ、と思える。
学生まで住んでいた北海道では、子供の頃は毎年家族でキャンプに行っていて、夜になると家族4人でキャンピングチェアを並べて吸い込まれるように深く美しい星空を見た。寒い寒いと言いながら流れ星を探し、無限に続くように感じられる時間を過ごした。
星空が好きなのはあの頃からかもしれない。
上京して東京のど真ん中に住むこと9年目。都会でも意外と星は見える。私の住むエリアは都心のど真ん中だけど、住宅街なのでそこまで強い光害は受けないようだ。ただ、空が狭い。建物と建物の間から夜空を覗き込む。
前職の頃は忙しすぎて、歩く時も下ばかり見ていた気がする。空を見上げた記憶があまりない。
3年ちょっと前に転職してからは、よく空を見上げるようになった。
私はひとりで色々なことを考える時間が好きなので、ランチの時間も同僚を誘わず好んでひとりで出かける。ある時同僚に「たまにねこみみさんがひとりで外を歩いているのを見かけるけど、上を見ていることが多いよね。大丈夫?」と言われた。
一般的にはひとりでランチに行くというのは寂しい行動のようで、それを心配しての言葉だったのだと思うけど、私はそれを言われたときに「ああ、私、無意識に空を楽しめるようになったんだ」となんだか嬉しくなった。
星空写真家のKAGAYAさんを知ったのは、ちょうどコロナ禍に入った頃だったと思う。KAGAYAさんはTwitterで様々な星空の情報と美しい写真を発信してくれる。
彼の美しい星空の写真に感動して、彼のエッセイを買った。
これが心底素敵だったのだ。
写真の素晴らしさはもちろんのこと、彼が星空写真家になるまでの幼少期からのエピソードや、その写真を撮るまでの過程にまつわる文章、そのすべてが美しかった。
美しいものを撮ることができる人は、そもそも感性が繊細で美しいのだと思った。
コロナ禍ではそれまでの生活が一変し、もともとひとり遊びが好きな私でもそれまで以上にひとり遊びの時間が増えた。本格的な双眼鏡を購入し、在宅の仕事終わりに気が向いたときは双眼鏡を首から下げて近くの川のほとりまで星空観察に行くようになった。
大丈夫。
生きていると本当に色々なことがあって、仕事に追い詰められたり、失敗を悔いたり、人間関係に疲れたり、ひとりでいることに怖くなったり、将来を思って不安になったりする。
だけど星空を見上げると、そこにはいつも壮大な宇宙がある。星の位置は変わるけど、そこに星空があることは変わらない。私がどうなろうと、この大きな宇宙に包まれているのはきっと変わらない。
それを確かめて、ほっとする。
星空の世界展
横浜のそごう美術館で、KAGAYAさんの写真展が開催されている。ちょうどいろいろあって心が疲れていたので行ってきた。
想像以上の点数が展示されており、各エリアはテーマごとの写真がまとめられていた。映像エリアもあった。
これまで見たことのある写真も多かったのだけど、やはり大きな画質のいいものを目の前で見ると迫力がちがう。
そして、さらっと簡単に撮ったかのように飾られているその1点1点が、どんなに大変な思いをして星空写真家としての執念で撮られたものか、私は知っている。(エッセイのエピソードから)
美しい星空の写真を撮るということは、こちらがいくら時間をかけて準備しようがコントロールしきれるものではない。その瞬間にしかない空と自然の織り成す素晴らしい場面を逃すまいと、すべてをかけてこそできること。
そうやって生まれた写真は、せわしなく生きていると見失いそうな私たちが生きるこの世界の美しさを教えてくれる。こんな素晴らしいものがある世界で生きているんだと思い出し、人生について考えたりする。
こんな風に何かに熱中して、それにすべてをかけて生きていく人生に憧れる。
だけど、やっぱりラクしたいし寝たいし美味しいもの食べたいしお金はほしい。そんな邪念ばかりの私がこんな生き方をできるわけがないな。
でも、いいなあ。
そんなことを考える。
きっとみんな、どうやって生きていくのが良いのか迷いながら生きているんだろう。
せっかく北海道から東京に出てきて、私がやりたかったことはこんなことだっけ?と何度考えたか。今の仕事は好きだしすごく意味のあることをしているけど、私ってこんなもんか?
ずっと思っている。
そうやって悩んで考えて試して失敗して、少しずつ人生が素敵になっていけばいい。
本当に素晴らしい写真ばかりだったので、星空に少しでも興味がある人や、忙しい毎日に疲れてしまった人にぜひ訪れてほしいと思う。