ストーリープレイング創ってみた
ここに記す創り方はあくまで筆者個人のやり方であることをご留意ください。また、ストーリープレイングは物語体験に注力したものなので、体験の好き嫌いというものはどうしても生じてしまうものです。単なる方法論頼りにはならず「誰に遊んでもらいたいかをイメージした作品創り」をすることが最も大切かなぁと考えております。
また、大前提として「この記事を読むよりも実際に遊んでみた方が圧倒的に早い」ということを申し添えておきます。何故なら、作品ではないこの場に書けることは実際に作品に込めたエネルギーのほんの一部分でしかないからです。
1、ストーリープレイングの分解
まずストーリープレイングを創り始めるにあたり分解を行う必要があります。そのジャンルに求められているものを知らなければなりません。
詳しい分析の内容はネタバレになる可能性が高いため伏せますが、ストーリープレイングはそのまま訳するなら「物語のあるごっこ遊び」辺りになるかと思われます。つまり、より純粋な物語体験に重きを置いたジャンルと言えます。
この"より純粋な物語体験に重きを置く"とはどういうことかについてですが、解釈にはかなりの幅があるように思います。しかし、ストーリープレイングはマーダーミステリーから派生したジャンルですから、マーダーミステリーとの比較をすることで自ずと見えてくるような気がします。
ストーリープレイングとマーダーミステリーの最も大きな差はなんでしょう? 個人的な分析の範囲ではゲーム性の有無かなと考えています。
マーダーミステリーには基本的に勝敗、もしくは成否があります。これはマーダーミステリーが「事件の犯人を見つけ出す(もしくは真相を解き明かす)」という構造を取る限り、制作者がどのようにジャンルを解釈しルールを記載しようとも逃れ得ない構造のように思います。この場合、プレイヤーたちの話し合いはあくまで「目的の為の手段である」と言えるでしょう。
ではストーリープレイングについてです。
ストーリープレイングで重要なのは"物語体験"ですから、ゲーム性は必須ではありません。かといって「絶対に排斥すべき」というわけでもありませんが、それはあくまで「物語を味わう上で必要となるゲーム性」であるべきでしょう。
次は「物語体験とはどこにあるものか」を考えなくてはなりません。これを一般化するのは若干難しいような気がするので、あくまで自分の感覚でものを言わせていただきます。
物語体験の所在。
それはキャラクターとしての"葛藤"です。
キャラクターとして何が正しいかについて思いを巡らせ、悩み、決断する瞬間にこそ、その世界にキャラクターとして存在したような重みを感じることができる気がしています。
この決断に勝敗は要りません。
むしろ、勝敗も善悪もないからこそ「何が自分たちにとって幸せな結末であるか」をキャラクターとして深く考えなければなりません。
その決断がどれだけ望まないものであっても、何か自分たちの力ではどうしようもない理不尽によりそうせざるを得ないのだとしても、そこにキャラクターとして悔いを遺さないこと、そうして話し合うこと自体がその瞬間にキャラクターとしてその世界で生きることになります。
こうして分解していくと、どうやら私にとっての物語体験とは「結果を得る前の決断や葛藤、そこに至るまでの話し合い」にあるような気がして来ました。これらが結果を得るための手段ではなくむしろ目的として存在することが、ストーリープレイングのストーリープレイングたる意義なのかもしれません。
【仮定】ストーリープレイングは「決断や葛藤、そこに至るまでの話し合い」こそが目的?
2、ストーリープレイングの創り方
それでは実際にストーリープレイングを創り始めてみましょう、と言い出すと「おいおい肝心の分析がまだ仮定止まりじゃないか」と誰かにツッコミを受けるかもしれませんが、そこは諦めていただくほかありません。何故ならそこには仮定の先にある"正解"は存在していないからです。
ここで正解を得ぬまま仮定の先に踏み出すことが怖い人には申し訳ありませんが、創作活動とはほとんど「自身の仮定を立証するための研究」でしかありません。もっと恐ろしいことを言うと仮定が乱立するばかりで正解のない荒野に最後まで立ち尽くして終わる可能性すらあります。
自分なりの正解に辿り着ければ僥倖。
そうでなくともそれが当然と言えます。
話題が逸れたので戻します。
ストーリープレイングにおいて必要なのはプレイヤーが物語体験を感じるための「決断、葛藤、話し合い」としましょう。それらを構築しなければなりません。また、それらを邪魔せずスムーズに遊ぶことができるシステムも必要です。
まず取り掛かるべきは「葛藤」でしょう。
これはストーリープレイングにおける「おもしろポイント」そのものです。実際にはその前にギミックについて考えておくとよりおもしろポイントが際立つのですが、ストーリープレイングにおいて必須かと言われるとそうではない上に、これを組み込んでおもしろくするには多少の運も絡んでくるので割愛します。
何故必須ではないかと言われると、上手く組み込めなければ最悪物語体験の阻害要因にさえなるからです。少なくとも、解き明かすべきギミックが増えていくとプレイヤーの思考が分析的になり過ぎてキャラクターの視点から乖離することが多いように思います。そのため、ギミックを入れるならば大きいものを1つ、最大でも2つ程度までに収めるのが適切かなと考えています。
話を戻し「葛藤」についてですが、これは「自分なら何について悩みたいか、もしくはプレイヤーに何について悩んでもらいたいか」を考えて盛り込むのが良いのではないかと思います。
個人的には自分とプレイヤーの両側面から詰めていくのが良い気がしますが、それぞれのやり方を選び取っていただくのが適切に思います。
おもしろポイントとなる「葛藤」が出来たら次は「それがプレイヤー同士のコミュニケーションによって成立しているか」について考えなければなりません。ストーリープレイングはマーダーミステリー同様プレイヤーが話し合いをすることを前提とした遊びですが、ストーリープレイングはそれがより目的化されているように思います。
そのため、如何に「葛藤」が存在していてもそこにコミュニケーションの必要がなければ意味がありません。「葛藤」に対するコミュニケーションのタイミングはどこでも構いません。選択そのものに対してでも良ければ、選択の結果に対する説得に焦点が当てられていてもOKです。
ここまで出来たらあとは「葛藤」に至るまでの道のりを創り始めます。この道のりはマーダーミステリーのハンドアウトをシーン毎に切り取っていったようなものです。そのキャラクターたちに起こった出来事について1つ1つ自由に話し合ってもらうのです。そうして自分たちの過去をじっくりと創り上げてもらい、最後の「葛藤」で感情移入できるような土台を用意してもらいます。
この道のりに関しては可能な限り余白を大きく取って「プレイヤーたち自身で創り上げた思い出を持って帰ってもらえるような内容」にするのが個人的には好みです。それがプレイヤーがキャラクターを演じる価値になる気がするからです。
そして、シーンの分割が済んだらそれらを円滑に進行するためのトリガーを設定します。トリガーはGMがいる場合はなくても構いませんが、GMレスならば重要です。可能な限り世界観に溶け込んだ言葉で、かつ「シーンを進めよう」と思わなければ口から出ないようなものを選びます。
実際のところこのトリガーの設定が「葛藤」を除けば最も重要だとさえ言えます。何故なら、これが上手くいかなければプレイヤーは物語の世界を歩くことができないからです。そのため、このトリガーの設定は慎重に吟味すべきなのです。
3、シーンとトリガーの具体例
先ほど述べたシーンとトリガーについてより具体的に説明してみることにします。設定はとある有名なガンスミス一家のお話にしましょう。
ゲームの好きな方は気付いたかもしれませんがこれはあるテレビゲームの一幕を私の解釈で切り取りストーリープレイング化したものです。
ネタバレを避ける為にどのゲームのどのシーンとは言いませんが私はこのガンスミスのお話がとても好きなのです。有名なお話なので、検索してみると見つけることはそう難しくないはずです。
実際には「男性の視点」と「娘の視点」に分割する必要がありますが、簡単に表してしまうとこんな感じです。男性は全てを知っていますが、娘はきっと自分が人を喰う瞬間でさえも熱に浮かされ夢の中にいるような感覚でいるはずです。
男性が娘を撃ち殺すことを躊躇っているうちに娘は自我を失い男性を喰い殺します。しかし、きっと彼女はそれを夢として認識するでしょう。
選択権は男性にしかありません。
刻々と迫るタイムリミットを前に、娘の手と拳銃を強く握りしめます。やがて決意をして娘を連れて小さなシェルターの中に身を潜めるのです。
そこでならきっと、
男性の決断を誰も邪魔できないでしょうから。
4、何故2人用が多いのか
何故現状のストーリープレイングには2人用が多いのでしょうか? それはおそらくコミュニケーションの密度に関係しています。3人以上になるとどこかしらで「自分にとって関係のない話」が登場する可能性がありますが、2人であればその可能性は極めて低くなるはずです。(話し手に会話のキャッチボールの概念が存在しないなら別ですが)
2人用は「2人用である」というだけでコミュニケーションの構造上のアドバンテージを持っているのです。しかしこれはあくまでコミュニケーションに関することだけであり、もしゲーム的な要素を盛り込もうとするなら多少の工夫が必要になりますし、アドバンテージがあるというだけでおもしろくなるかと言えばそれもまた別の話です。
2人用は2人用であるが故に片方がコミュニケーションをやめた途端不成立となりますし、特にストーリープレイングではキャラクターになりきった話し合いそのものを目的とするプレイヤーも多いため、設計する際にはそうならないようにキャラクターの行動原理の方向性や話題の内容を吟味しなければなりません。
そのため、多くの2人用はそれぞれのキャラクターに与えられた情報に差がありつつも基本的に協力し合う関係となっています。同じ力で対立し合う場合は囲碁や将棋のように会話を必要としないゲームだと成立しますが、コミュニケーションを前提とするのであればそれが本当に成立しているかどうかについて考えなくてはなりません。
5、創ってみた感想
この半年間で3つほどストーリープレイングを創ってみたのですが、個人的にはまだまだ開拓余地があるなぁという印象です。それと同時に、その開拓余地を使うことがニーズに合っているのかも考えなくてはならないなと感じています。
あるテストプレイヤーさんに「ストーリープレイングを遊ぶならキャラクター同士のいちゃいちゃをもっと楽しみたい」と言われ、それが一般的なニーズであるかはさておき、個人的にもなるほどなと思いました。個人的にストーリープレイングを遊ぶ際もキャラクター同士の話し合いの中に物語体験を強く感じますし、そこを深く追求した作品を創る意義はあるように思えました。
前述した通り、謎やギミックが増えると話の焦点がキャラクターのことではなくより俯瞰的で分析的な内容になっていきます。それ自体も楽しませる要素には違いないのですが、ジャンルのニーズと離れ過ぎてしまい楽しみを損ねるなら、ストーリープレイングという分類をしない方がスムーズに遊べる可能性は否めません。
そのため、基本的には謎やギミックは増やし過ぎずに強いものを絞って物語に落とし込む。これが重要かなぁと感じています。
ともあれ、冒頭にも申し上げましたが最も重要なのは「誰に遊んでもらうことをイメージしているかどうか」のように思います。私が創る際にイメージするのは多くても10人程度、少なければ特定の2人に向けていることもあります。これを公表することが作品へのネタバレに繋がる可能性もありますのでこの場では申し上げませんが、そうしたゴール地点からの逆算ができると創作中も迷うことがなく非常にスムーズです。
以上、簡単にですが個人的な範囲にはなりますがストーリープレイングの創り方でした。
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