『言葉はシャボン玉のよう』

これは大学入試のときの現代文の参考書に載ってた論説文の一節で、今でも心に残っている言葉です。

シャボン玉をつくるとき息を吹き込むように言葉に意味を込める。ただ、周りの人からしたら周りの膜だけがシャボン玉であって、その膜に覆われている中の息、言葉でいう発言者が込めた本当の意味はシャボン玉ではない。
なのにシャボン玉はふわふわとどこかへ飛んでいって、破裂して、本当の意味が伝わらないまま、日が経って、多くの人の記憶から消えていく。


また、大学の授業でお年寄りの方の戦争についてお話を聞かせていただく機会があって、そのときに考えさせられたのは、「今いろんなところで"戦争は怖い" "戦争はダメ"って言われているけど、どのくらい戦争は怖いのかは実際に体験した人しか分からないし、言葉だけじゃなかなか伝わらない。私たちみたいな戦争の本当の怖さを知っている人たちが段々と減っていくのが悲しい。」という言葉でした。


言葉ってシャボン玉のように繊細で儚いものだなって日々思っています。

どんな意図で言葉を発しようとその意図が伝わることは稀で、だいたいは受け取る側の受け取り方によってその言葉の意味が決まるんだと思います。


言葉は時に誰かを救い、時に誰かを傷つける。

それは全て受け取る側が決めることです。


受け取る側も最大限発言者の意図を汲み取る努力はしないといけません。

だから言葉って難しいと思うんです。


時に言葉なんか使わなくても伝わることもあります。

言葉より大切なものが世の中には山ほどあります。


ただ、言葉にしないと伝わらないこともたくさんあります。

だからこそ言葉をもっと大切にしないとなと思います。



もう二度と

誰かの軽率な発言で、僕の、みなさんの、大切な人たちが傷つくことがありませんように。

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