Buddies感謝祭の映像を見て『Nobody's fault』についてもう一度考えてみました。
みなさん、どうも。
ネコ派の犬好きです。
いよいよ発売されましたね!!!
櫻坂46 6th Single『Start over!』
『Start over!』についても言いたいことはたくさんあるのですが、今回はタイトルの通り、櫻坂46 1st Single『Nobody's fault』についてもう一度考えて、僕なりの解釈を記していこうと思います。
実はこの記事、昨年の12月から温め続けていたテーマなんです( ˶'ᵕ'˶)
と言いますのも、『Start over!』のType-Aに収録されている2022年12月に開催された、Buddies感謝祭でみなさんお馴染みTAKAHIRO先生が『条件反射で泣けてくる』と『Nobody's fault』の見どころ解説。
僕自身も2日目に参加し、この『Nobody's fault』の見どころ解説を聞いたのをきっかけに、この曲をもう一度よく聞き、当時のグループの状況などからこの曲について自分なりの解釈をし直していました。
TAKAHIRO先生の話を基に考え直していたので、どうしてもその映像を見ていない人には伝わりにくいなと感じていて、晴れて特典映像として収録されたこのタイミングで公開しようと思います🎉🎊
では、さっそく。
⚠️これより先はTAKAHIRO先生の見どころ解説を踏まえての考察になるので、まだそちらを見られていない方は特典映像を見てからの方がいいかもしれないです⚠️
⚠️これは完全に僕の個人的な考察なので、僕が的外れなこと言ってたら、"自分は違う解釈をしたんだ"という皆さん自身の解釈の確立にご活用ください。⚠️
歌詞考察
1番Aメロ
改名して世界を変えようなんて自惚れだ
欅坂の世界はまだ続いていて空は汚れている。
その空の色は宇宙が見えない青色、つまり燻んだ青色ともいえる。
欅坂時代には燻んだ青色は悲しみの色と表現していることから、改名に対してや欅坂46が最後の方うまくいかなくなってしまったことに対して悲しみを抱く人についても肯定していると個人的には感じる。
1番Bメロ
空の色が燻んでしまったのは自分たちのこれまでの道のりやその中でついてきた嘘(グループを守るための嘘を含めて)のせい。
それでも改名してこれから新たな夢を見たいなら、自分たちの内面や意識から変えるしかない。
1番サビ
Nobody's fault の意味は「誰のせいでもない」
欅坂時代の『黒い羊』の「全部僕のせいだ」に対するアンサーソングともとれる。
このブロックで伝えたいことは
「誰かのせいにするな」ということだと思う。
ではなぜこのブロックの最初は
「No! No! No! 誰かのせいにするな!」
じゃなくて
「No! No! No! 他人(ひと)のせいにするな!」
なのか。
思うに、この他人(ひと)が誰なのか特定できているからなのではないか。
改名の理由となった特定の誰かはみんな共通認識で、それは黒い羊で「全部僕のせいだ。」と言っていた欅坂の世界での主人公「僕」である。
みんなが改名せざるを得なくなってしまった理由を「僕」のせいにしようとしていた。
そこで訴える。
「鏡に映ったお前は誰だ」お前自身じゃないのか?誰も他人事じゃないぞ!と。
改名せざるを得なくなった状況に対して絶望してるのはお前が信念がないからだ!
そして
「誰かのせいにしても一つが残る椅子取りゲーム」
本来、椅子取りゲームというのは参加する人数より椅子が一つ少なく、毎ターン「一人が残る」ゲームである。
いわばこの残った人が黒い羊でいうところの除け者になる。
しかし、残っているのは椅子である。
つまり、椅子取りゲームで除け者を作ろうとしても全員に椅子は用意されていて、誰も除け者にはならない。
それでも誰かのせいにしたいなら孤独を選びな!
つまり、再出発しようとしている櫻坂に必要ないという強いメッセージが込められていると感じる。
また全員に椅子、いわばグループでの居場所が用意されていることから、これからは除け者を作らず全員で強い信念を持って突き進んでいくんだという強い意志も感じられる。
2番Aメロ
いつのまにか大人になっちゃったということは、
大人や社会への反抗を謳っていた欅坂からは確実に時が流れているということ。
欅坂時代の中に言い訳や逃げの理由を探そうとするな!というメッセージのように感じる。
2番Bメロ
これはもうこのままだと思います。
生まれ変わりたいならやるしかねえってことです。
2番サビ
欅坂から改名したとしても世間からのイメージはそう簡単には変わらない
それでも生きる強さを信じることが大切であるというメッセージ
Cメロ
木々が集まってできている森のようにグループはメンバー全員で成り立っている。
木々が集まればどこかに影はできてしまう。
しかしだからこそ光を感じることもできる。
森で影ができるのは仕方ないことなのだから、グループ全体の中でうまくいかないことがあっても自分のせいにせず、そのグループを構成している自分のことを受け入れるべきだということ。
誰のせいでもないってことは唾を吐く相手はいない。
だからといって天に唾を吐いてもその唾は自分に降りかかるだけ。
ラスサビ
1番サビを繰り返して、強調している。
以下、Buddies感謝祭でのTAKAHIRO先生のお話を軸に書いております。
Nobody's faultのポーズ
尖塔のポーズ
Nobody's faultのイントロでの印象的なポーズ
この指と指を合わせるポーズは尖塔のポーズと呼ばれ、「大きな自信」を表しています。
ただ親指と小指は合わせていないため、まだ完全な自信ではないことが暗示されている。
パフォーマンスでは、この尖塔のポーズが逆さ(逆三角形)の状態でメンバーも下を向いている状態からイントロがかかり、
だんだんとこの状態になる。
TAKAHIRO先生曰く、これは欅坂の物語の続きを表しているらしい。
尖塔は教会の建物にもよく見られるものであり、教会の象徴である鐘を想起させ、誰鐘の続きということ。
これは個人的な解釈なのだが、
最後の方うまくいかなくなってしまい失いかけている自信を取り戻す決意を表す尖塔のポーズであり、
これからやっていくぞ!という戦い(戦闘)のはじまりであるデビューシングルのスタートである。
このポーズ、アウトロでは
センターの森田ひかるが尖塔のポーズの中に目を入れている
MVでは右目。
デビューカウントダウンライブ以降は左目になっている。
ちなみに、初パフォーマンスとなったラストライブではMVと同じく右目だった。
では、この「右目」「左目」が表す意味は何なのだろうか。
ホルスの目
古代エジプトのシンボルである「ホルスの目」では「右目」は"太陽神ラーの目"と呼ばれ、ラーは自らを崇め敬わない人間を滅ぼしたため「破壊」を意味する。
一方、「左目」は月の象徴"ウアジェトの目"と呼ばれ、月は欠けても再び満ちることから「再生」を意味する。
MV撮影時はもちろん櫻坂としてのデビュー前
つまり櫻坂としてのデビューを境にして、
デビュー前は「破壊」を意味する右目
デビュー後は「再生」を意味する左目
になっている。
TAKAHIRO先生曰く、これは森田ひかるの意思で決まった。森田ひかるは櫻坂としてデビューして「再生」を望んだのである。
そしてTAKAHIRO先生も森田の意向を尊重し、これ以降、櫻坂の振り付けを考えるときには「再生」を意識しているらしい。
プロビデンスの目
そしてこの三角形の中に目があるのは、欅坂46のデビュー曲『サイレントマジョリティー』のMVに登場する目のオマージュであるとTAKAHIRO先生が打ち明けていました。
これは、「プロビデンスの目」と呼ばれる、目が描かれたキリスト教の意匠であり、プロビデンスはキリスト教の摂理という意味で「万物を見通す神の全能の目」を意味している。キリスト教といえば教会。
尖塔のポーズとも繋がりますね。
誰鐘の続きを表す尖塔のポーズ。
誰鐘は愛の救世主を探す曲でもあった。
もしかしたら、森田ひかるこそが「愛の救世主」なのかもしれない…。
そういえば、誰鐘の2番サビの頭「愛の救世主」のときフォーメーションの真ん中にいたのも森田ひかるだったような……
では、このへんで失礼します🌸
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