私が書きたいTRPGシナリオって何かなぁと考えていた
お酒飲んでないです。気圧でぐろっきーになってます。死にそう。なんで記事書いてる?変に頭がぐらぐらしてるから頭回したくて……。
シナリオ書いたたぶんキッカケ
私はシナリオが好きだなって思うときシナリオの「構造」を好きになります。
起承転結等の流れ、情報の出し方やその量や各情報量の均等さ又は偏り、伏線の有無や回収のされ方、ギミックがあればストーリーとの絡み方、システムのルールや世界観が利用されているかどうか。
正しさとかではないです。この辺に着目して「好きだなぁ」と思ってシナリオの感想を述べたり考えたりするときに言語化するので、だんだん自身にもそのアイデアがストックされたり、やってみたいなという気持ちになっていったのだと思います。
シナリオを書くときに大体考えていること
だから私のシナリオは「こんなセッションをして欲しい」とか「このシーンが見たい」とか「こんなキャラクターが登場したらかっこいいだろう」とかじゃないんです。
「インセインのハンドアウトって神経衰弱に似てるし、そういう遊び方したら面白いんじゃないかな!?」くらいのノリです。
タイトルとかテーマが先の時もあるんですけど、その時もそれをいかに達成できる構造を作っています。
「面白い構造」「遊べる程度の強度の構造」は意識しているので、プレイヤーの動きは想像している印象はあります。
戦闘がこのラウンド超えたらちょっとダレるなぁ(経験則)とか、私がプレイヤーだったらこういうことGMに提案してしまうし、シナリオ上困るから予防線張っておこうとか。
最近考えなおしたキッカケ
3/30に冒険企画局主催のテブラプレシナリオ相談会に参加させていただくことになったのですが( https://t.livepocket.jp/t/teburaplay )、時間も限られているし、どうせなら苦手な部分を主軸にシナリオを書いて添削してもらおうかなと思ったわけです。
苦手分野としては
没入感の高い演出 ⇒プレイヤーがゲーム戦略的に考えるのでなく、キャラクターの思考や感情を考える場面を設置したい。
キャラクターの交流(交流によりキャラクターが自己を振り返ったり、関係を深めたりできる)を目的としたシナリオ。
で、自分の中で参考図書(シナリオ)を決めて読んだり、シナリオを書いたり、たまたま時を同じくして流れてくるTL情報を見ている間に、「そもそも私のシナリオって、どんなセッションを目指しているのかのシナリオデザインが甘くない?」と思ったのです。わりと「GMプレイヤー、遊ぶ君たちの楽しいと思うセッションにしてくれや……」と思ってる節はあるんですけど……。
シナリオの目的ちょっと考えた
私(GMまたはプレイヤーの立場)にとってTRPGって「相手と楽しく遊ぶゲーム」なんですね。
「一緒にお出かけしてこのメンバーで行きたいところ、行ってもいいところにフラッといって、楽しかった、また遊ぼうって言いながら帰る」
「美術館に行ってそれぞれ作品を鑑賞して、後ほどカフェでお互いどの作品が好きだったか話す」
「友達の家に行ったら自分の持ってる本が本棚に入ってるから感想を言い合う」
これと方向性は同じ。自分と相手の楽しめる距離感を共有するものです。
自分のアバターを作り、コミュニケーションを図りながらゲームクリアを目指すことは、本の感想を言い合うという、自分のお気に入りの本に対する「好き」という気持ちを尊重しながら、相手の「好き」を尊重し、もしかしたら何か新しい発見があるかもしれないという状況に、どこか似ている気がします。
相手と楽しく遊ぶって何だろう
楽しいは人によって定義がわかれる話だと思いました。また、「楽しい」では漠然としすぎていて、「楽しいシナリオを書こう!」だと、答えは出ません。なんだ、私は何(これは汎用性の高いゴールを指す)を目指してシナリオをデザインするのがいいんだ……。
各自GMとプレイヤーが勝手に楽しくなってくれる箱庭またはシステムまたはシチュエーションを用意する。(つまり枠と余白を用意する)
たぶんコレか?これだろうか。
楽しみ方が人それぞれなら、その人たちに合わせて味付けしてもらうのがいいのでしょう。たぶん。ソースとか醤油とか塩とかは置いておくので。テクニック的な話で言うとフタリソウサや、最近の同人CoCのハンドアウト指定におけるキャラ付け、ロールプレイのフックとかは枠として上手なのかなぁとか最近考えました。
アバターや絵画や本を好きになること
これがもともとテブラプレに持ち込もうとしてた内容ではあるんですよ。例に挙げた「美術館のあと好きな絵画を語る」「本棚の本について感想を言う」時に、肝心の「絵画」や「本」が好きである必要がありますね。
感情は必ずしも好意じゃなくてもいいんですが、コミュニケーションの時に何かの感情を持っておくと興味を持って話題に取り組むことがしやすいです。
というわけで自分や相手のアバターに「愛着」があるといいなと思います。
これは没入感と交流要素を用意することでアバターに命や表情が入ったように見えてきて、愛着を入れていただけたらなと思いました。
(アバターに愛着を持つ必要性をいろいろ考えた結果これかなと落ち着きました)
過度な没入感と交流要素は、それはそれでこれがゲームであり、相手との楽しめる距離感を共有するものであることを忘れてしまいそうになるので塩梅は考えたい気がしますね。
この辺はまたテブラプレ明けにもう一回自分でも考えたい話です。
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