米津玄師のライブは、時空を超越した宇宙的な空間だった。〜米津玄師『2025 TOUR / JUNK』2025年2月27日のツアーファイナル公演を観て感じたこと〜
東京ドームという空間が、まるで1つの宇宙のようだった。米津玄師『2025 TOUR / JUNK』2025年2月27日のツアーファイナル公演。アリーナA5ブロックの3列目という奇跡的な席から眺めた、目の前に広がる夢のような光景を、私は忘れない。入場の時に機械から出てきた紙のチケットを、私は100均のラミネートで大切に保護して、写真立てに入れておく。私の宝物。
そこには、1つの完璧な宇宙があった。1のコスモス。過去・現在・未来が同時に存在する、そんな時空を超越した空間。”M八七”のパフォーマンスの時、東京ドームは無数の星々が広がる宇宙になっていたんだけど、本当そんなイメージ。メタ的な。音楽、映像、歌声、身体。すべてが一体となって奏でられるシンフォニー、もしくは、壮大な絵画、タペストリー。儚くも美しい映画のような。そこでは、過去・現在・未来が時系列で流れていくのではなく、同時に、重なり合うように存在していた。まるで、”迷える羊”や”さよーならまたいつか!”の世界観を体現するかのように。
わかりにくい例えかもしれないけれど、米津さんの音楽は、78枚のタロットカードの物語のようだと私は思う。78枚のタロットカードには、登場人物の人生のストーリーにおける場面が描かれている。始まりのわくわく、希望、喜び、勝利、葛藤、悲しみ、後悔、敗北、傷、悪夢、恐れ、不安、争い、裏切り、勇気、愛、ギブアンドテイク、思い出、孤独、終わり、再生……ここには書ききれない人間のすべての感情や人生の節目、日常の営みが全部詰まっている。タロットカードをめくって見えてくるストーリーは、自分自身の中にある様々な可能性であり、ひとつの可能性。タロットカードをめくる時のように、私たちは、米津さんの音楽を通して、自分の中にある様々な感情や記憶、経験、出来事に思いを馳せることができる。それは、音楽との対話だけれど、きっと、本当は自分自身との対話なのだ。
米津さんのライブは、米津さんという1人の人間と米津さんの音楽の、単なるクロニクルではない。”アイネクライネ”も”LOSER”も”Lemon”も、過去ではないのだ。過去・現在・未来といった、時系列的な制約を超えた時間軸にこそ、米津さんの音楽は存在する。受け取る1人1人のなかで、今もとてもリアルに、意味を持ち続けている。それらは、過去の作品ではなく、今を生きる私たちの音楽なのである。
米津さんのライブは、とても視覚的かつ映像的、映画的で、絵画的だ。そこには、言語化できないものを補う何かがある。視覚的な表現により、音楽をただ耳で聴いて味わうだけでは得られないイメージの広がり、意味付けが生まれる それがより音楽を豊かにする。そもそも、米津さんの音楽はとても五感的だ。「胸に残り離れない 苦いレモンの匂い」という”Lemon”のフレーズ。触れ合ったときの感触や、シトラスの香り、熱い珈琲、ソーダやケーキ、クリムトやマチエール、といった、絵画的、小説的で五感に訴えてくる描写が優雅で豊かな”Azalea”。米津さんのライブは、米津さんの音楽に宿る五感的な美しさを、映像やライティングという視覚的表現や、ダンスという身体的表現で見事に再構築していた。
米津さんのライブを観て感じたのは、米津さん自身が音楽であるということ。”海の幽霊”のときの米津さんの歌声を聴いて、私は「化け物」だと思った。大学時代のシェイクスピア専門の先生が、「芝居において化け物は最高の褒め言葉」と言っていたのを、私は今でも覚えている。ここでの「芝居」は、「表現」に置き換えることができる。アーティストとしての、米津さんのパフォーマンス力と表現力は、とどまることなく進化し続けている。
米津さんには、何をしてもどこか謙虚さと気品がある。うまく説明できないんだけれど、オープンカーに乗って歌いながらアリーナを外周し、あれほどスーパースターな米津さんだけれど、やっぱりどこかシャイなお人柄を感じ取ってしまうのは私だけなのだろうか?私はそこに米津さんの人間味や美しさを感じ、親しみを感じている。大画面に映った、米津さんの黒くて大きな瞳がきらきらしていたのが印象的だった。
チーム辻󠄀本のダンサーのみなさん、本当に素晴らしかった。ダンスに魂がこもっていた。色とりどりの髪の、羽のない天使たち。羽はないけれど、私にはダンサーの方たちの背中に羽が見えた。1人1人にすごく個性があって、存在がカラフルで、美しかった。輝いていた。1人1人が違うことが、こんなにも尊くて美しいことなのだと、改めて気づかされた。時に狂気的な表情で、言葉にならないような、剥き出しの感情を表現したかのような、彼ら、彼女らのダンスに、目と心を奪われた。素晴らしいパフォーマンスを目の前で観れて、本当に感動した。胸が熱くなった。
バンドメンバーズのみなさん、演奏すごすぎた。演奏している姿かっこ良すぎた。
ドラムスは堀正輝さん。堀さんがバンドマスターだと今回初めて知った。堀さんがケガをされたとXで知った時、私は「早く良くなってくれますように」と祈った。堀さんは、なくてはならないドラムス界の宝です。ロック、ダンス、R&B、エレクトロニックのような、米津さんのジャンル横断的で多彩な、どんな楽曲にも対応する、もう職人、って感じがした。”ドーナツホール”の時、超高速でドラムを叩く堀さんの姿に私は圧倒された。どんな腕の筋力してるんだろう(私の素朴な疑問)?
ベースは須藤優さん。いつも楽しそうに、リラックスした感じで、音楽と遊ぶように弾いている姿がすごく素敵なんだよね。須藤さんを観ていると、こっちまでノリノリになってくるんよ。うねるようなかっこいいベースの音と遊び心でいつも米津さんのライブを盛り上げてくれる須藤さんに感謝だね。”海の幽霊”での、腹の底に響いてくる低音ど迫力のベース、本当にすごかった。海の深くで、包まれているような没入感があって、とっても感動した。
Keyboardsは宮川純さん。宮川さんの鍵盤が入ったことで、米津さんのライブのサウンドが更に豊かになって深みが増したのは間違いないね。
宮川さんの鍵盤の流れるような美しい音色に聴き惚れてしまったね。宮川さんは時に目を閉じながら、華麗に演奏していて本当にすごかった。”Plazma”の鍵盤ソロパートの時、私アイドルのコンサート並みに「きゃー!!」って叫んじゃったよね。どうやったらあんな高速で弾けるんだろう?
ギターは、スーパーギタリストの中ちゃん。中ちゃんは中島宏士さん。もう勝手に中ちゃんと呼ばせてください。私は米津さんのライブでは中ちゃんのお話を聴くのがいつも楽しみでしかたがないんよ。中ちゃんは、米津さんのファンのみんなから愛されていて、みんなの心の中で、みんなの中ちゃんになっているんじゃないかな。もちろん、ギターを演奏している中ちゃんも、すごくかっこよくて素敵なんよ。中ちゃんは米津さんのライブでなくてはならない存在だね。
私たちは、1人の人間としての限りある人生の中で、すべてを知ることはできないし、すべてを経験することもできない。でも、自分自身の物語を、米津さんの音楽とライブを通して新たに経験する。自分自身のストーリーを生き直す。まるで小説を読むかのように、映画を観るかのように。東京ドームに広がる宇宙のなかで、私はそれを強く感じたのだ。