見出し画像

バツイチ・子ナシ・子宮ナシ

センシティブである。
同じ女性でも、子宮の摘出に対する想いは人それぞれだろう。
その時の年齢にもよるだろうし、子供に対する想いの大きさにもよるだろう。大前提としてどの想いにも共感まではせずともそれぞれに納得はできる。

では、自分が本当にその立場になったらどうか?

なったのだ。

遡ること約12年。
私は離婚を考えていた。

結婚当時から子供が欲しいとは考えていなかった。自分の好きに生きたい。やりたい事をやりたい時にやりたい。それを子供に邪魔されたくない。そんな風に思っていたような気もする。まだ時間はあるし焦る必要もない、タイムリミットがくる頃考えよう。とも思っていた。

生涯借家で苦労した両親のもとで育ったためか、家を持たないことに恐怖心のようなものがあり、けれど収入を見れば、東京で子供と家を持つことは現実的ではない。
だから迷わず家を取った。
夫は基本的に私には逆らわないスタンスであったため、当然、決めたのは自分自身である。

けれど30代も半ばになり、本当に子供を産まなくていいのか?と僅かに自問するようになった。
特に産みたい訳では無いが、自分の持つ機能を使わないままタイムリミットを迎えることに、ほんの少しの罪悪感と、焦りを感じたりもした。

少し背伸びをして買ったマンションのローンは重くのしかかっているし、子供を持つことは現実的ではない。
だからきっと、この焦りは本能だ。
しかし、目の前にいる夫を見て大事なことに気がついてしまった。

今さらこの人と子作りなど絶対にできない。と。
焦り以前の問題である。

そもそも結婚して約10年、この人の体など触るどころか見ることもしていない。
そうさせたのは向こうだが、それは今は置いておく。
どちらにしても、もう無理なのである。
今となっては、この人はただの仲の良い同居人でしかないのだ。

この人とは無理という気持ちは生理的なものだろう。
そんな気持ちを持ったまま、この後もこの人と一生を共にできるのか?
例えば一回り年上のこの人の介護ができるか?
例えば何かで自分が病気になり、この人に介護されることに耐えられるか?

別れるなら今だと思った。
自分勝手かも知れない。
でも、もう彼との未来は考えられなくなっていた。

そして離婚が成立した2年後、食事の度に襲う腹痛に困り果て受診した結果、子宮筋腫が大小合わせて6個見つかった。

医師の第一声は「お子さんは考えていますか?年齢的に産むなら時間はあまりありません。手術を勧めます。」
筋腫が大きいため、放置したまま妊娠する事は難しいし危険である。
筋腫自体は悪性ではないため、子供を望まないのであればこのままでも良い。
けれど腹痛がある以上、やはり筋腫を取るのが一番だろう。

離婚して子供などますます遠い存在になったが、僅かな可能性と毎日のQOLのために子宮筋腫の摘出手術を受けた。

開腹手術だったため、術後はかなり痛い思いをした。だからこそ、母などは子供を持つことを諦めて欲しくないようだった。

それから約10年。

結局、子供を産むことの無いまま40代も終盤となった。
子供を持った今を想像する事くらいはある。
けれど、もうあの時のような焦りは無くなっているし、後悔もしていない。
当然諦めているのだが、諦めという言葉はどうもしっくりこない。
結局のところ、諦めるほど望んではいなかったのだ。

そして、去年の秋。
右の下腹部の激痛で受診した。
これほどの痛みを経験した事はなく、痛みに強いと言われる私でも我慢し続けることが難しい、まさに激烈な痛みだった。
盲腸を想像していたが、診断は意外なものだった。

右の卵巣が腫れている。それが捻れたのだろう。
捻れきっていたら痛みが続いているはずだが、治まったということは、捻れかかって戻ったのだろう。またいつ捻れるかは分からない。
そう言われ、婦人科で詳細な検査をした。

右の卵巣嚢腫と子宮筋腫。
しかも、子宮の筋腫は数え切れないほどあるらしい。

婦人科にかかると、どんな意味であれこの言葉を言われる

「年齢的に、、、」

まだ若いから治療をしよう。
ギリギリだから治療をしよう。
もう間に合わないから治療をしよう。

必ず頭に「年齢的に」が付くのである。
それが婦人科だ。

そして「年齢的に判断した結果」子宮の全摘出と、右卵巣と卵管、左の卵管の摘出を勧められた。
左の卵巣は健康らしく、これを残せばホルモンバランスが大きく崩れることはないだろう。ということらしい。

腹腔鏡手術で摘出した子宮からは、大小合わせて20個の筋腫が見つかったが、幸いどれも悪性のものはなかった。

手術を決めた時、私は想像以上にサッパリとした気持ちだった。
離婚当時のような、子供を産まない・産めない事への罪悪感や寂寥感もなく、ただひたすら、生理がなくなる事への喜びと安堵と、なんなら誰に対するでもない、生理そのものに対するざまあみろという感情すらあった。

手術から2ヶ月経つ

もう生理は来ないんだという晴れ晴れとした気持ちはそのままだが、手術前のような生理に対する敵対心はなくなった。

そして「もし子宮が残っていても絶対にない」ことは分かっているが、これで本当に子供を産むことはできないんだ、と実感し始めた。

子宮を摘出することを「女でなくなるような気がする」といって躊躇う女性はいるし、その気持ちは理解はできるし、否定する気は元々ない。
ないが、自分にはそういう感情は全くなかった。

それが「完全ではないが共感する部分もなくはない」に変化した。
失って初めて気付く。というほど深刻でもないが、なんとなく寂しいような、物悲しいような複雑な気持ち。それが今の心境である。

バツイチ・子ナシ・子宮ナシ

これが変わることは一生ない。
けれどこの後に続く言葉は、未来の、そして今の自分次第なのだ。

今の私には10代の頃と変わらないくらいキラキラした夢がある。
あの頃のように無邪気に語れるほど能天気ではないが、やってできないはずがない。とも思う。

だから下を向いてはいない。
下を向いているのは、垂れた頬と下腹肉だけである。そして、こいつらは近々駆除する予定だ。

「年齢的に」

その言葉で自分を縛ることだけはしない。
そう考えるまでに時間がかかった。
お手本になるような憧れの人が常にいたのに。

でも、目前に迫った50代を、諦めることなく楽しんで挑戦したいと心から思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?