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今さら恵方巻の良さを実感した話

どうも、昨日の晩ご飯は恵方巻だった大熊猫です。

私は生まれも育ちも東京だ。
母は北海道。
父は長崎。

恵方巻とは縁のない人生だった。

だから、恵方巻などという文化を知ったのは大人になってからだ。
ここ数年だと思う。
いや、10年くらいかな。
ん?15年くらいかも…
え。もしかして20年くらい経ってるのでは。
怪しくガタつく記憶の扉。

まあ、どちらにしても大人になってからなのだ。
この歳になると、数年前も20年前も誤差の範囲だ。

だから。かどうかは知らんが、とにかくこの恵方巻という文化に完全に乗り遅れてしまったのである。

それに、恵方巻ってお値段が、、お高くないかい??
万年財政難の我が家では、恵方巻なんて貴族の食べ物なのだ。
手も足も出ないというものだ。

そんなこんなで、私の恵方巻デビューは去年のことである。

この日は各スーパーとも普通の太巻きとは違い、贅沢三昧の具材たっぷり、その分高価な「貴族巻」(※命名:大熊猫)を販売している。
それが、とても美味しそうに見えたのだ。

いや、一昨年までは美味しそうに見えていなかった、というわけではない。
一昨年までは興味すらなく、売り場をスルーしていたため視界に入っていなかっただけなのだ。

去年は偶然、ほんとうに偶然、海鮮たっぷりの貴族巻を目にしたわけだ。

恋に落ちた。

一人家に帰り、お作法に則り、去年の恵方「東北東」を向いて貪り食べた。

味はまあ、とても美味しくはあったが、まあ想像通り。
そんなもんだろう。
ただ、「これ一つで『夕食』として完結しても良い」ということに大変に感激してしまったわけだ。

普段なら、肉も野菜もバランスよく取れ。という亡き父の言葉がチラついて偏食しづらいのだが、この日は節分である。貴族巻一本で良いのだ。
これ一つで許される解放感といったら、スーツにパンプスで出かけた日に帰ってすぐにストッキングを脱ぐくらいのものがあった。

いや、ちょっと言い過ぎてしまった。
正直、ストッキングの方がだいぶ解放感度は高い。
あの足に血が通う感覚は何物にも代えがたい解放感がある。

まあ、とにかく。
洗い物も発生せず、これ一つで食事とすることが許されるなんて、そりゃあ全国の「毎日食事を作る人」の支持を受けるわけである。
恵方巻が定着したのは、小売業者やらなんやらの戦略だと悪口を言う人もいるが、支持されるのには理由があるのだ。
知らんけど。

私はマーケティングの専門家でもなんでもないので、絶対に信用はしないで欲しい。
でも、消費者の一人としての貴重な意見ではあるだろう。

で、長い言い訳をしたのだが、要するに今年も貴族巻が食べたかったわけなのだ。
今年も楽をしたかったのだ。

サーモンといくらが入った貴族巻は、想像通りの美味しさだった。
そして大変に楽だった。
なんてったって、容器を捨てるだけなのだ。

これはクセになりそうだぞ。
きっと来年も「南南東」を向きながら貴族巻を貪り食うのだろう。

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大熊猫
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