50歳手前でIQテストを受けた話
高校に入学してすぐのころ、IQテストがあった。
結果は本人に教えられることはなかったのだが、一体あれは何のために実施したのだろう。
今は知らんが、私の中学時代は都立高校を受験する際には「内申点」というものが重要だった。
主要5教科以外の、体育やら美術やらの成績を1.2倍にして点数を割り出すのだ。要するに、主要教科以外でも真面目に授業を受けていることが重要なのである。
「汗をかきたくない」という理由で水泳以外の全てを体育着忘れのため見学で通した体育、究極に苦手なお絵かきを回避すべく、画用紙の端に「書けません」とだけ記し提出した結果、見事「1」という輝かしい成績を叩き出した美術。授業を抜け出した家庭科と、可もなく不可もない音楽。
つまり反抗期のクソガキだったのだ。
そう、都立高校を受験するのは不可能に近かった。
1校あるにはあったのだが、所謂「勉強しないと○○高校行きよ!」という脅し文句に使われていたような学校で、ヤンキーなどという言葉がなかった当時、スケバンやら不良やらが行く、名前が書ければ入れる学校だった。
親も教師もそこだけは避けたかったらしい。
ちなみに、その学校は優秀なプログラマーを輩出している商業高校でもあったらしく、そこに行っていたら今頃IT系の人になっていたかも知れない。し、「昔はレディースでした」とか言ってたかもしれない。
つまりは自分次第なんだな。
そんなわけで、勉強などしたこともないのに、何故か主要5教科の成績はそこそこ良かったため、貧しい家庭であるはずなのに、余裕で入れそうな私立の女子高に推薦入学することになってしまったのだ。この高校3年間は私にとって地獄の苦しみであったのだが、それはまたの機会に書こう。
大人になったある日、母がぽつりと言った。
「あなたが高校に入学して初めての保護者面談で、担任の先生がこう言ったの『IQテストが断トツ1位の結果でした。こんなに高いのになぜうちの学校なんかに入ったのですか』って」
自分の勤める学校を「うちの学校なんか」とはなんだ。と思わなくもないが、クソみたいな学校だったのでまあ良い。
とにかくそんな話は初めて聞いたし、そもそもIQがいくつだったかも覚えていない母。その時は「中学の授業態度や生活態度が悪かったから。とは言えないもんねえ」と笑い話にして終わらせた。母は苦い顔をしていた。
IQなんて、いくつからが高いのかも知らなかったし、当時はネットなどないから簡単には調べられない。
しかも偏差値で言えば、中の中。という学校内での話だ。
あの中で高くても外に出れば上には上がいるのだろうとも思っていた。
そして年が明けたので一昨年。
通っている心療内科でIQテストを受けられると聞き、件の母の話を思い出した。結局のところ私のIQとはどの程度なのか。高いというのは本当なのか。
そんな興味だけでテストを受けてみたのだ。
結果は141だった。高いのか低いのかもわからなかった。
流石ですね。と言われたので低くはないんだろう。そんな感じだった。
調べてみる気もなく、ただ「IQは141である」ということを知っただけだ。
ちょうどそのころ、ギフテッドという言葉を知った。
ネットの記事の見出しに「IQ141のギフテッド」という言葉があり、私と同じIQだなと思いなんとなく読んでみたのだ。
その人がギフテッドでも私がそうとは限らない。
もしそうだとしても、私の生活が改善するわけでもない。
ただ、私が普通だと思っていたことが、人に理解されないことがあり、その原因がこれだったのかもと思ったのだ。
中学時代はなかなかに不真面目な生徒ではあったが、高校時代には少しまともになっていた。相変わらず家での勉強は1分たりともしたことはなかったし、宿題もほぼやってはいなかったが、奇跡的に授業だけは起きていたのだ。
そして、内容は聞いていなかったが、板書だけをただノートに書き写していた。聞いていないから丁寧に綺麗に書けた。カラフルに線なんか引いちゃって。見やすいものだから、試験前の私のノートは人気者でたくさんの人に回し読みされていた。
試験開始前の15分休みに他のクラスの知らない子からノートを返してもらい、パラパラと眺める。
それだけで95点くらいは確実に取れた。
直前に見たノートの字面を写真のように覚えていたので、問題を見たときにその写真の中から答えを探して書いていたのだ。
これを人に説明してもなかなか信じてもらえなかった。
左利きだからかな?などと思っていた。
(ちなみに私の左利きは、左利き界の中で一番使えないとされる、「細かいことは全て左の、右投げ右打ち」である。)
さらに現代文に関しては、漢字以外は問題文に答えが書いてあるわけで、ノートを見る必要すらない。
これは唯一の自慢なので、どうしても言わせてほしいのだが、漢字は得意で漢検2級だったため、高校3年生の時に学校からの命令で受験した全国模試では偏差値72。東大A判定を叩き出した。
ただし、勉強したことがないため、当然英語やら数学やらは底辺の中のさらに下。
まあ、受験などするつもりもないから「代ゼミの公開模試で現代文の偏差値72」を一生自慢して生きようと心に決めたのだった。
そして、これがIQのおかげかもしれないことに、50を手前にした一昨年、初めて思い至ったのだ。
いや、あの頃それを知っていたとして、だからと言って真面目に勉強していたかはわからないし、その結果、今より良い生活ができていたかも分からない。
つまりは、だから何だ。という話なのだが、小・中・高と同級生との付き合いが上手くできずにいたこと。見たものを写真のように記憶すること。そしてそれを人に理解してもらえないこと。そんなちょっとずつのモヤモヤの原因が分かったような気がしただけでも収穫だった。