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ホテルで危ない目にあった話

私には、20歳のころがあった。当たり前である。

この頃の私は、都内にあるシティホテルの客室課でアルバイトをしていた。
仕事の内容は、部屋を掃除する人とそれをチェックする社員の間に立って、連絡係をしたり、必要なリネン類の発注をしたり、朝、連泊予定のお客様の部屋をノックして掃除に入る時間を確認したり、といった細々とした雑用だった。

その仕事の中に、「清掃担当の方が帰ったあとにチェックインが決まり、その部屋がトリプル希望だった場合の追加のベッドメイキング」というものがあった。

普通なら、フロントから連絡を受けてすぐに始めればお客様と鉢合わせることは無い。のだが、この日は何の手違いかベッドメイク中にお客様が入ってきてしまった。

イラン人の男性3人組だった。

知らない方のために。
当時の東京の都市部はイラン人であふれていた。
偽造テレホンカード(懐かしい)を売るためだ。
大きな街には必ず大量の偽造テレカを手に客引きをするイラン人がいたものだ。

そして当時の私は、何故だか知らんがイラン人があふれている場所を通ると、必ずと言っていいほどナンパをされていた。もしかすると、あっち系の顔つきなのかもしれない。

この3人組が偽造テレカ販売目的だったかは分からないが、とにかくイラン人のお客様というのは珍しくなかったのだ。

ベッドメイク中、片言の英語で何やら話しかけてくるのだが、私は何度も言うが英語はXとJAPANしか分からないのだ。
だから、微笑みを顔に貼り付けたまま、何言ってるか分かりませんよという空気だけを醸し出し乗り切った。いつもの手法である。

私の一日の最後の仕事は、客室外の廊下部分の掃除機がけだった。
ベッドメイクが終わり、いつも通り掃除機をかけていると、例の3人部屋から2人だけが出てきた。当然だが顔の区別はつかない。
ヘイ!などと言い、やけにニヤニヤと笑いながらエレベーターに乗って去って行った。

すると直後に残った1人がドア越しに手招きをしてくる。
2人用に準備してあった部屋にベッドを足し、アメニティなどもすべて3人分にしたのだが、もしかしたら足りない備品でもあったのかも知れない。

掃除機を止めて近寄ると、部屋の奥を指さして何やら言っている。
何を言いたいのか分からず、手招きされるままついて行ってしまった。

その瞬間、彼は後ろ手にドアラッチ(チェーンみたいなやつ)を閉めた。
これを閉められると、マスターキーがあっても外からは入れない。

ヤバいと思った。

外に出ようにも、彼がドアの方に立って、通してくれない。
そのままジリジリと詰め寄られ、ベッドに座らされた。

いよいよヤバい。

肩に手をかけるイラン人。
仕事中なので。と、つたない英語で抵抗する私。
抵抗はしていたのだが、やはり男性の力には敵わない。

というより、仕事中じゃなくたってダメなのだ。
ハッキリとNOと言わなければいけない場面だった。
でも、相手はお客様である。この時の私は、お客様に対してどこまで強く出て良いのか分からなかったのだ。

顔が近づいてくる。

終わったと思った。

その瞬間、彼の荷物がカタンと音を立てた。
彼がそちらに気を取られた一瞬の隙に逃げ出して、バックヤードに駆け込んだ。
流石に追ってはこなかったため、別のフロアを担当する男性に掃除機がけの続きをお願いし、事なきを得たのだ。

得たのだが、もしもあの時荷物が音を立てなかったら、今の私はないかもしれない。

それから3人組は2週間近く滞在をした。
朝から16時までは清掃の方たちが沢山いるので心配はない。
怖いのは、フロアに1人になったあとの掃除機がけだ。
最初の数日は、友人でもあった別のフロアの男性と掃除機がけを交代してもらっていた。

そう。
私はこのことをホテルに報告していなかったのだ。
なんとなく、お客様のことを悪く言うのはいけない気がしたのである。
無知とは恐ろしいものだ。

数日後に誰かから報告されたらしく、その後、何故報告しなかったのかとこっぴどく叱られた。
当たり前である。
そして、彼らのチェックアウトまで別のフロアの男性と担当を代わってもらうこととなった。

その時、女性社員に教えてもらったのだが、部屋で危険な目にあいそうになって、外に出られないようなら、バスルームに逃げて内鍵をかけなさい。
バスルームの中の受話器を外したままにしておけば交換台につながるから。と。

良いことを教わったが、その後働いていて危険な目にあうことはなかった。
ならば、今後、プライベートで活かそうと思ったのだが、こちらでも危険な目にあうことはなく、そもそもバスルームに受話器を設置しているようなお高いホテルに泊まることもなかった。


恐怖で体がすくんで動けない。というのは本当だ。
私だって、あの状況を決して望んでなんていなかったが、音が鳴らなければどうなっていたか分からない。

だから何だという話ではある。
でも、「だから何だ」で済む程度の話で良かったと思うのだ。

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大熊猫
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