「姫太郎」の沼は、なんだか悪くないね
人間でもやたら「沼らせてくる」人が存在する。
手のひらで転がされているのも、完全に相手のペースに持ち込まれているのも、私の寂寥感(せきりょうかん)など相手は微塵も気にかけてないことも全部全部わかってるんです。それでも、なぜか惹きつけられる人。たまの優しさや愛らしい一面で、すべてを一切合切に許せてしまうような人。
もし、そんな「猫」がいたら、沼ってみたくないですか?
そんな「沼る猫」として、『推しからはじめる保護猫生活』の第1回で紹介するのは、保護猫シェルター QUEUEに在籍している姫太郎。
人間の手懐け方を知る猫
「沼る猫」こと姫太郎は、それはそれは人間の“使い方”を熟知している。
前の飼い主さんのお家にやってきてから、お家の中でまさに「姫」のように1匹でたんと愛情を受けてきた賜物。ごはんの時には、わざと途中で食べるのをやめてみる。こうすると、人間がヨシヨシしながら、そばでご飯を見守ってくれるのを知っている。
そのヨシヨシだって、好きな場所と嫌な場所がもちろんある。でも、嫌な場所を撫でられれば、軽く噛みつけばいい。甘噛みってやつ。そうすれば向こうが察してくれる。
こんな猫を前にしたら、人間こと私は、簡単に振り回されることを受け入れてしまうだろう。そして、甘噛みさえも姫太郎からの愛情の一形態なのだと信じて疑わない。もはや、疑うという選択肢などないといってもいいかもしれない。
こうなってしまったら、もう完全にそこは「沼」なのだ。
あえて別れるという選択
そんな姫太郎も、いま新しい家族を待っている。
お得意の「沼らせ」は、どうやら人間にしか通用しないらしく、同じシェルターで暮らす他の猫たちとはあまりいい関係を築けていない。いわゆるシェルターに向かない猫だ。姫太郎には人間との暮らしが向いているみたい。
そんな姫太郎がなぜ不得意なシェルターにくることになったのかを記しておきたい。
前の同居人だったご家族は、今でも仕事の合間をぬって姫太郎に会いにきてくれるそうだ。とても愛情深いご家族。そんなご家族のもとで、7年もの間一緒に暮らしていた姫太郎。
ご家族である人間側も猫同様に生き物なので、生きてる中で病気を患ったり、ライフステージが変化したりすることは避けられない。
こうした人間側の変化の中で、姫太郎が大事だからこそ、前の飼い主さんはこれまで通りの愛情を手向けられないことに一つの決断をすべきだと考えた。
新しい譲渡先を見つけるという決断。
そうして、保護猫シェルターQUEUEを訪れたのだった。
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いわゆる家猫が、こうしたシェルターにやってくる際に多いのが、外に捨てられたり、シェルターや保護団体に持ち込まれたりするといった例だ。こうした無責任な命の扱いが、問題なのはいうまでもない。
一方で、愛猫の幸せをめいいっぱい考えて、あえて「手放す」という選択のできる責任感がある人も多いとは言えないだろう。
何がその猫にとっての「幸せ」なのか、そこに正誤はない。だからこそ、“あえて別れる”決断ができない人も多いのではないだろうか。
だって、まだ「わたしたち」の中には、愛情も思い出もたっぷり詰まっているんだから。
もちろん、家族に迎え入れた猫を安易に手放す行為は無責任だということは繰り返し記述しておく。
猫も立派な家族の一員と考え、そのメンバーみんなの「幸せ」のあり方を、できる範囲で考える。そして、その時みんなにとって一番「ベター」だと思える決断をする。これもまた、一つの温かな「愛情」だ。
「十猫十色」
「保護猫」と呼ばれる猫、一匹一匹にこうした過去がある。「保護猫」と呼ばれるに至った理由は、社会のあらゆる問題と切っても切れない関係にあることも忘れてはいけない。
今後も、この『推しからはじめる保護猫生活』マガジンでは、一匹の猫を切り口とし、猫との共生や保護猫業界の抱える問題を一緒に考えていけたらと思う。
最後に、「姫太郎をお迎えしたい」「姫太郎に沼ってみたい」と思ってくださった方は、ぜひ保護猫シェルターQUEUEに一度足を運んでみてください。
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目線の向け方を、手の位置を、耳のくすぐり方を、愛される術を“わかってる”。
人間だって、うまく手のひらの上で転がされてることは“わかってる”。
それでも、こんなことを許し許されるから心地がいい。そんな関係が、きっと存在する。
住めば都じゃないけれど、「沼」だって「沼」ってみれば「案外、悪くない」って思えるはず。
姫太郎のプロフィールはこちら🐈