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雪柳をみつけて(仮題)

 ラクリ、という小さな花を咲かせる塩生植物がございます。エンセイとは、塩に生えると書きまして、沿岸部など土中の塩の量が比較的多いところでも生き延びることができるように適応した植物一般のことを指します。少し生物学的な話をしますと、細く伸びる根っこに含まれる液胞(えきほう)という器官の中に、ほかの植物よりも多くのナトリウムを蓄えているために、塩分の多い環境でも枯れたり腐ったりしにくいと説明されています。ちなみに、ラクリという名称は、スペイン語で涙を意味する「ラグリマ」から来ているとか、漢語の「落涙」が訛ったものであるとか言われておりますが、定説はまだ無いとされています。いずれにしても、ちょうど涙と同じくらいの濃度の塩水を夜のうちに数滴垂らしておくと、翌日のちょうど南中、太陽が最も高い位置にくる時刻のころに、ラクリは恥ずかしそうに花開くのです。

 学校や家庭で、ひとりではままならぬほど辛いことがあったとき、彼はよほどの悪天候でなければ、日が暮れると踵(かかと)を潰した運動靴を履いて、家から小走りで5分ほどの距離にある砂浜へ向かいました。涙が出なければ波打ち際で海水を少し汲み、おもちゃのバケツで持ってきた水に混ぜ、片手で掬って根元に少しだけ掛けてやりました。あるいは花のそばで気が済むまで過ごしたのち、指の腹に乗せた涙をひとつ、その根元に置くようにして砂を湿らせました。地面と海面の比熱の違いに由来する陸風(りくふう)が大きくうなって彼の嗚咽をかき消したとき、彼はいつのまにか、どこにもいないような気さえしたのです。

 こんな遊びをしていたのは、もう十数年も前のことです。いくらか大人になった彼は勤め人(びと)となり、海辺での記憶はすっかり抜け落ちてしまったようでした。代わりに、冷たく笑う、という新たな武器、強かな態度を身につけ、少しくらいの社会の荒波ならば凌げるようになりました。「あの人は私の価値が分からないのだ。あの人は下等なものにばかり触れているから、この作品の素晴らしさが到底理解できないのだ。」仕事の傍らとはいえ、曲がりなりにも芸事(げいごと)に携わる者として、禁忌と言うべき考え方に、彼は陶酔しておりました。自分の稼ぎだけが生活の頼みとなったあの日の戦慄以来、一見して自分に仇なすものは刺される前に刺してやる、耳の痛さも口の酸っぱさも人生には無用の長物である。そんなことを、彼はずっと考えておりました。

 いや、冷笑するのにも体力が必要なのです。若さを生きる上での通過儀礼たる叱責を受けて儘ならなさを感じることや、笑い飛ばせぬような忸怩たる思いをすることもが、彼には少なからずありました。今思えば、そこには理不尽な点がないでもなかったのですが、留めきれない涙を久々に予感し、彼はあの夕暮れと同じように駆け出したのです。
 時刻はまだ真昼をほんの少し過ぎたころ、よく晴れておりました。かつてのように走って行けるような砂浜はございませんでしたが、電車でふた駅分離れたところに、都市を貫いて東西に長く伸びる公園がありました。中央では噴水がしぶきを上げ、子どもたちを喜ばせております。誰も座っていない北側のベンチを見繕い、その左端の手すりにくたりと寄りかかると、頭の中で増幅された悲しみが少しだけ落ち着くような気がしました。頭上では一分咲きほどのリラが揺れ、太陽は彼の胸のあたりを点々と照らすのみでした。
 「ラッパ吹きも今日は開店休業か。」
 そんな声が聞こえました。振り返ると、正直に申せばあまり綺麗な身なりとは言えない老婆が隣のベンチに座り、とうに刻の燃え尽きた煙草、それは既にただの紙の筒とみて差し支えありませんでしたが、それを弄びながら中空を見つめてつぶやいたのでした。なるほど、公園の一角では楽器を持ち寄った者たちが各々に弾き、語り、歌い、あるいは聞き、自分の世界を象っておりました。件のラッパ吹きは決して下手ではありませんでしたが、とくべつ上手い演奏にも聞こえませんでした。その前に置かれたトランペットのケースは、やはり空のようでしたが、よくよく盗み見てみると濃紺のベロア生地に小さな白い花がひとつ、落ちておりました。風を遡るように視線を滑らしてみると、子供の背丈くらいの雪柳が一本、リラの隙間にこぢんまりと花を咲かせておりました。
 似ている。一刹那(いっせつな)、彼は思い出しました。かつてその涙を分かち合ったラクリの花に、それはよく似ておりました。厳密にいえば、ラクリのほうは絨毯のように砂浜を覆うのに対して、雪柳は木本でございましたので、植物としての造りが異なるものではあったのですが、こと花の部分に関しては瓜二つといって差し支えありませんでした。彼はそこへ歩み寄ると、ようやく涙をひとつ、ふたつ、ぽつりと落とし始めました。公園の真砂土と木々を揺らす風が、己の狭量さを吸い込んでくれたような気がしました。
気の済むまで泣くと、かつて駆け出したときと同じ、紅茶色の空だけが彼を見つめております。「回送」のあかりが灯ったバスが一台、彼の街の方角へ走り抜けてゆきました。

 風の冷たさにひとつ身を震わせたのち、我に返って振り返ると、煙草の老婆もラッパ吹きも、もうそこにはおりませんでした。

・・・
 
 どこまでが虚構なのか。地下の酒場で、その心地よい酩酊に反して作用したのは、ほかならぬ、内からの声でありました。
 煙(けむ)に巻くような物語の閉じ方をしないと誓ったのはおまえ自身ではなかったか/水と塩は、手首を一枚めくれば顕わになる自罰の比喩ではあるまいか/過去を、過去を贖(あがな)うための創作に、未来を照らす力が果たしてあるのか。
 夜ごとに訪れる滅裂が姿を帯びて、私のすべてに触れるとき、ようやく夢から抜け出して、湿った土のことを、ただ考えているのです。

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