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常温、自然乾燥、突発

ひとり分の食事を作ること、僕が喋っていないときに部屋が無音であること、会社の人以外とは一言も交わさずに一日が終わること、掃除を怠っても怒られることがないこと、大きな病気や怪我をしてしまったとき、生き延びられる確率が恐らく低いこと、ゲームや動画のわずかな読み込み時間に我慢ならないこと。まさか、ずっと続いていくわけではないだろう、という無根拠な楽観は、時間とともに削がれていく。

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という下書きが残っているのを見つけた。半年前くらいに書き出しを作って、続きが思いつかずに諦めたらしい。これは僕にとって珍しいことで、基本的には文章を書き始めてから遅くとも2時間後くらいには一応の完成としているので、よほど筆が進まないタイミングだったのか、興味が逸れる出来事があったのかもしれない。恐らくテーマは「ひとり暮らしへの自虐」だろう。今晩はその続きを書いてみようかと思う。

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無根拠な楽観は、時間とともに削がれていく。その一方で、根拠のある達観というべきものは、ひとりの生活の中でこそ、それなりに育っていくように思う。
味噌汁をご飯にかけてもいい。刺身のトレイのフタを醤油皿にしてもいい。枕カバーを洗い忘れてもタオルで代用すればいい。鼻歌の音程がでたらめでもいい。クリアファイルを何枚持っているか覚えていなくてもいい。寝っ転がりながら『ムー』の付録をニヤニヤ眺めてもいい。昼でもカーテンを閉めていてもいい。「小」でも「大」でトイレを流していい。袖口が綻んだシャツを着てもいい。テレビにカラーバーが映っていてもいい。

「許されていること」を列挙していくと、ひとり用の部屋にいるひとりの自分というのは案外、非常に特権的である。

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