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白の眩しさに目を細む

実家や、一軒家に暮らす友人の家を訪れた後に自分の部屋に戻ってきてみると、いかにひとつの部屋に機能を詰め込んでいるのかがよく分かる。ここは寝室兼、書斎兼、食堂兼、事務所兼、脱衣所兼、談話室だ。機能の境が曖昧になってくると、僕は扉を1つ隔てたキッチンに、蛍光灯を取り替えるための小さな脚立を持ってきて「こもる」ことがある。レンジフードの橙のライトを付けてほかを消すと、見える範囲が少し縮まって、なんだか居心地が良くなる。ついでに換気扇を弱でつけてみると、ざああという音にエネルギーが変換されながら空気が流れている感じがして、あるいはその音によって小さな心配事のために食う脳の領域がいったん休まる感じがして、普段は調理をするためのスペースとは思えない安らぎが与えられる。

こんな風に書いてみると、有名な小説に出てくるような小ぎれいな場所に思えるかもしれないが、現実は厳しいもので、電熱線コンロの前に敷いたカーペットには埃や脂汚れが付着しており、とてもじゃないけれど横になったりすることはできない。1,2年に1回しか使わない脚立を椅子代わりにして寛ぐくらいがせいぜいだ。
そこで、小さな心配事の閾値を少し超えた、楽観的でとりとめのない思索に励む。あるいは換気扇の音にかき消えるくらいの小さな声で歌ってみたり、預金残高から今月の家賃の引き算をしたりする。たまにスマホを持ち込んで調べ物をすることもあるが、意識を内に向けたいときは寝室兼、書斎兼、…にそれをぽいと投げ込んで、なんとなく背筋を伸ばしてみたりしながら独りの時間を楽しんでいる。そのうちに、ざああという音は意識されない背景となり、独りでいることに飽きが来る。計ったことはないし、計るつもりもないけれど、およそ時間にして10分強くらい。「こもる」前にインスタントの紅茶や珈琲を入れておくと、ちょうど飲みやすい温度になっている。もしくは風呂にお湯を張り始めてから「こもる」と、ちょうど6割くらいまで溜まっている。生活と奇妙に噛み合ったこの時間を、あといつまでこのキッチンで過ごすのだろう、と思う。

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