いきたえる
取り立てて話題にするほどのことでもないけれど、酒と涙と笑いの夜を越えたのち、毛布に突っ込んで眠りたい衝動の合間に断片的に思い出すような光景がある。都心の大きな交差点で、底から湧き上がるような悲しみを表に出すまいと必死に堪えているひとを見た。見頃といわれる時期をとうに過ぎて、小さな花壇に生き延びる紫陽花を見た。会社の駐車場の隅、風に舞って飛んできたレシートに「休憩」といくつもの「延長」が印字されているのを見た。家庭菜園の域を超えようかという近所の畑の何かの新芽が、少しずつ玉ねぎになっていくのを見た。眼鏡についた雨粒を通して、滲みながら流れていく夜を見た。そう、感動未満の心の動きを検算してみると、結局僕は俗の世界に生きている。あらゆるメディア越しに見る煌びやかな世界の埒外で、死を匂いながら、小さくて硬質な美しさをあとひとつ掴むために息をしているのだと思う。
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