論文という業績

こんにちは。

今日は博士論文の完成にたどり着くまでに、博士課程の学生がどのように研鑽を積んでいるのかをお話しします。これは私の専攻分野での話なので、分野によってスタイルは全く違うことを事前にお断りしておきます。

私の専攻(外国語文学)では、博士論文の完成までに、何回かの学会発表をし、そこで行われる査読を経て学会誌に論文を載せる、というのが一般的です。そしてそれを博士論文に組み込むことで、ある程度の学術性を担保します(博士論文の審査には公開口頭試問があり、そこできちんと学術性は担保されています、念のため)。

この「何回か」というのは人によるんですけれども、理系の人に比べたら数は少ないようです。どちらが大変かは分かりませんが、私の分野ではポスター発表というやり方は存在しないので、一回30分弱の発表に物凄い時間がかかります。レジュメに載せる訳文のチェックにも時間をかけ他の院生に読んでもらったりしますし、誤字もギリギリまでチェックします。

そうこうして論文を学会誌に掲載することができると、【査読あり】論文が一本完成するわけです。これが重要です。短い論文だと査読付き出なければ業績として評価されません。私の専攻分野だと、査読ありの論文を載せられる場所が限られていて、一回チャンスを逃すととっても痛い。奇しくもTwitterでは査読云々が話題になっていたようですが、逆に査読なしで載せられる場所も限られているのです。

査読なしでもある程度の価値が認められるのは、単著として書店で流通する書籍を出版した場合でしょうか(あるいは一般にはあまり流通しませんが、大学の出版会からの出版もあり得ます)。これが理系の人々にどう評価されているのかは知りませんが、文学系の博士論文提出ホヤホヤの人は大体博士論文をもとにした単著の出版を目指すのではないでしょうか。

ところで、査読の有無で何が変わってくるのかというと、大学に専任職を得る前の若手にとっては、就活での評価に影響してきます。博士課程を終えると、非常勤講師をしつついくつもの大学に履歴書を送りつけまくることになり、それだけで結構な金額になってしまうわけなんですけども、相手方の大学は何を基準に応募者を評価するのかというと業績=査読付き論文の数+単著+その他が大きな指標になっていると思います。

私はまだ学生なのでこのあたりは完全に推測ですが、採用側はおそらくまず専門の近い先生に応募者の評価の伺いを立て、それから全体的な人事評価に入るのではないでしょうか。で、他の分野の先生は専門外のことは業績の数で評価するしかないのが実情だと思います。もちろん数で機械的に判断するわけではないでしょうが、私は外国文学専攻なので例えば社会学や歴史学の人の論文を渡されても妥当かつ細かい評価はできません。それどころが日本文学の論文ですら正当に評価することはできないでしょう。それぞれの専門の文脈がわからないのでこれは仕方ないことだと思います。

さて、就活や大学内での人事評価以外で業績の数が大事になってくる場面といえば日本学術振興会(学振)関連だと思います。文学系のグラントはそんなに数が多くないので、日本学術振興会の科研費を獲得できるか否で年間に使える研究費の額に差がついてくると思います。その応募と最終評価で査読あり、あるいは【招待あり】の発表・論文・講演の数が重要になってきます。この学振も、評価者が専門の近い学者ではない場合があるため、論文数や発表・講演の規模など見かけの部分を意識する必要があります。例えば国際シンポジウムを主催した、とか。

一方、博士論文は規模の大きいものなので小出しに短い論文として発表していくのは無駄に体力を消耗するだけ、という反論もあり得ます。いや、いうてね、日本で研究していくんやったら学生のうちに学会発表粉していくのがええんと違う?とは思いますけど、すでに書いた通り一回の発表で結構な体力を使うので一理あると思います。私は割と短い論文を発表し、それを博士論文に組み込むというスタイルが自分には合っていると思っているので、そうやっています。

それと、査読の先生方にはただただ頭が下がる思いです。明らかに労力と釣り合わない報酬で査読をし、細かい指摘をしてくださるので、学会誌の論文掲載を通して確実に力がつくと思います。これからもしっかり研究成果を公表していきたいと思います。

(リジェクトされたらめっちゃむかつくけど。)

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