どうでもいい子どもっているのかなぁ・・・?
中学の受験を無事に終え、私は電車で通学することになった。
丁度この頃からだったか・・・父の姿をあまり家で見なくなった。
酒、タバコ、車、女・・・とダメな大人の代表のような父だったが、見た目が良く、金回りも良く、優しそう・・・という外から見れば言うことのない容姿のお蔭で得をしている人だった。
結果を言うと、父と母は離婚した。
私と兄を前にして父は「子どもはいらん。」と言い切った。
父が大好きで憧れの念を持っていた兄は泣いた。
私は悔しくて父を睨みながら泣けなかった。涙が出そうなのをぐっと噛みしめて睨むことしかできなかった。
成績が良いと母が喜んでくれる。父も喜んでくれる・・・?そんな感じで進学した学校で、私は行き場を失った。
いらない子供・・・どうでもいい子ども、というのが私なんだと絶望した。
何もしたくない。ここに居たくない。でもどうしたらいいのかわからない。
ヤンキーになる勇気もないまま私は不登校になった。
中学は義務教育なので何とか進学できたが、休みがちなため勉強も分からなくなった。
心配した母が家庭教師をつけてくれたりしたが、もう何もやる気にならなかった。
はじめてテストで0点もとった。
毎日死にたくて、でも死ぬ勇気もないまま日が過ぎた。
そうした精神状態のまま高校生になった。
最初、私は知らなかったのだが、父の再婚相手の娘が同じ学校の上級生だとわかった。
私が中学受験する時期、父は当時浮気相手の人と半同棲状態だった。
つまり、娘の受験校が後に再婚して義理の娘となる子の通学している学校だと分かっていた可能性は高い。
そのことが分かってから更に学校に行くのが嫌になった。
不登校だった私から理由を聞こうと担任の教師が私に話しかけた時、私はついうっかりその気持ちを打ち明けてしまった。
教師の口からは「でもあの子、良い子だよ?気にしないでいいんじゃない?気にしすぎだよ」と返ってきた。
ああ、他人の教師が私の気持ちを理解するわけないじゃん、馬鹿だなぁ、私・・・と教師を信じて話した少し前の自分を責めた。
それから教師に本音を吐露するのは無駄と止めた。
あまりの無表情、無気力な私を違う教師が「お人形さんみたいね」と言っていたと、同級生が耳打ちしてきたが『仕方ない』と諦めた。
今の学校を止めて違う学校へ編入したいと思ったが叶わなかった。
あの時、今でいうフリースクールのような所へ変わっていたら、私の将来はまた違ったものになっていたのかもしれない。
人間は不思議な生き物で、辛い時期の記憶を思い出さないようにしまい込むことができるらしい。
私には中学から大学にかけての記憶がほとんどない。
断片的に思い出すけれど、同級生の顔も名前もほぼ憶えていない。
それでも眠れない夜にふと、当時の記憶が蘇ってくることがあり、見えないはずの亡霊に追われることがある。
物語の中に時々登場する❝あの時に戻れたら❞という場面がもしあったとしても、私は過去に戻ってやり直したいとは思わない。
苦労は買ってでもしろ、なんて思わない。
『逃げてもいいんだよ』とあの頃言って貰えればどんなによかっただろう・・・と思うから。
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