描けなかったモグラ
小さい頃から絵をかいたり本を読んで過ごすことが好きだった。
女の子どもにあまり興味を示さなかった父にぼんやりと娘の趣味は伝わっていたようで、ある日声をかけられた。
「看板の絵に使いたいからモグラの絵を描いて」と。
モグラ・・・?
日常生活でモグラを直視したことがなかったし、まだPCやネットも普及していない時代の小学生には難しい課題だった。
想像とうる覚えで何枚か画用紙に描いてみたが、父が満足する絵ではなかったようだった。
せっかく父が声をかけてくれたのに、その期待に応えられなかった・・・、と当時の私は罪悪感を抱いたのを覚えている。
学校の絵画大会で掲示板に貼りだされたりしたこともあったので絵に関してはちょっとだけ自信があったのだが、その小さな自信はあっという間にぺしゃんこになった。
その後も絵を描くことは好きだったので大好きな漫画家さんの絵やカラーイラストを模写して壁に貼ったりなど・・・自己満足の範囲内で楽しんでいた。
その後、不登校から成績がガタガタになり中学の担任教師から元教え子の優秀な大学生を家庭教師として紹介してもらい、放課後の大学食堂で教わることになった。
家庭教師がついても急に不登校はなおらない。
勉強のある日も学校を休んだりしていた。
ある日、学校から電車で一時間は余裕でかかる距離の自宅に家庭教師の先生が訪ねてきた。
いつもは学食で勉強していたのに、その日は自室で勉強することになった。
壁に掛けられた模写した漫画のイラストをみて先生が「・・・こういうの好きなの?描いてて満足するの?」と含み笑いを感じる言葉遣いで訪ねてきた。
『ああ、馬鹿にされたな』と鈍感な私でも気付いた。
放課後の勉強時に「お腹すいてるでしょ?」と菓子パンを用意してくれるような良い先生だったけれど、その時の先生はオタクを馬鹿にする女子大生だった。
益々、後ろ向きになっていく自分。
他人との壁を作る自分。
もし過去に戻って自分を励ましても、きっとあの頃の私の耳に励ましの言葉は届かないだろうな、と思う。
心が硬すぎたから。
今でも『モグラの絵』を見ると思い出す苦い想い出。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?