無責任な「可哀そう」
物心ついた頃から我が家には犬や猫がいた。
母は犬や猫が好きで、特に猫が好きだ。
我が家にも母の連れ猫がいたが、彼女は我が家の一員として数年前の7/4に天寿を全うした。
我が家に同居をし、脚が自由に動く時期は『可愛い、可愛い』とカニカマを買ってきては野良猫にあげていた。
「野良猫に餌あげちゃあ駄目だよ」と言ってもこっそりあげていた。
餌だけあげてトイレは放ったらかし。近所で野良猫の糞被害が目についてきた頃、うちとお隣の家の間から悪臭が漂うようになった。
野良猫の一匹がそこで盛大に糞をしていたのだ。
大人が入れないほどの狭い隙間だったので糞削除は本当に骨が折れた。
ようやくキレイに掃除を終えて、猫が入れないように隙間を網でガードしてようやく糞害は治まった。
その猫を餌付けしたのは母だったので、何とか保護できないかと3年ほど頑張ってみたが野良は懐くことがないまま威嚇と爪を立て続けた。
あれほど人に心を許さないというのは、余程のことがあったんだな・・・と思い保護は諦めた。
幸い桜猫だったのでその点だけは幸いだったが。
母は痛ましいニュースが流れていてもよく「可哀そう」という。
心からそう思っているのではなく、他人事だから気軽にいう。
自身も阪神大震災で死を意識する体験をしているのに、同様の出来事にも平気でいう。口癖なのかもしれないが。
本当にそう感じているのならば遊興費の一部を募金するなどして動けばいいのに、といつも思っていた。
無責任な「可哀そう」発言は誰も幸せにしない。
責任を持てないのに中途半端なことをするべきではない、というのは母から学んだ。
私は猫も犬も好きだ。
本当は我が家に猫さんを迎えたいと思っているが、心のどこかできちんと責任を全うできるのだろうか?という不安がよぎってなかなか踏み切れない。
簡単な「可哀そう」という言葉が小さな命の不幸を招いてしまうことを知っているので。
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