
【戦争と100年後の世界への祈り】TANAKA 25AW
はろーこんにちは。
takiです。
先日行われたTANAKA 25AWコレクションを見に行ってきたので感想を述べていきます。
もしも、ミリタリーウェアが必要とされない世界がパラレルワールド(正しい世界“サイドA”)として存在するならば、人々はどのような服を着ているだろうか
これがTANAKA 25AWのテーマである。
“今までの100年とこれからの100年を紡ぐ服”をコンセプトに掲げるタナカ。
“唯一、100年後に引き継いではいけない服”であるミリタリーウェアに向き合うことで見出したのは、ミリタリーウェアそのものは人を攻撃する機能を持たず、命を守るために作られた衣服であるということだった。
そしてこれは、“服の本質”とは違わない。
この発見を着想源にコレクションを製作したという。
過酷な場所でも破れない、解れないミリタリーウェアの解体は容易ではなかった。
ひとつひとつ対峙する中で、ディレクターのクボシタアキラは「ミリタリーウェアとは闘うための服ではなく、命を守るための服だ」と感じた。そして、それは人間が“纏う”ことを始めた起源、すなわち衣服の本質とは離れていない。
会場は国立代々木競技場 第二体育館。
会場には円形に客席が設置され、冒頭は暗転した客席中央に差し込んだ一筋の光がランウェイを演出した。
ファーストルックでは、“攻撃”を暗示するミリタリーウェアを解体。日本古来の裂き織り技法を用いて、ミリタリーナイロンをテープ状に裂き、ブリティッシュ風ツイード生地へと生まれ変わらせた。
日本の旗屋の裂織(テープ状に裂いた生地を織ってツイード生地を作る技法)の技術によって、MA-1をツイードに生まれ変わらせた。

この他、垂れ蓋付きのパッチポケットが連なったベストや異素材をパッチワークしたボンバージャケット、カーキ色のレザーシャツといった、ヴィンテージのミリタリーウェアを再構築したルックが続き、ヴィンテージのミリタリーウェアを解体して再構築し、白や黒に染めることで戦争という絶対悪からの“浄化”のイメージを表現した。

広島 平和資料記念館のモニュメントに刻まれている「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませんから」という言葉を現実のものにできていない、という想いもコレクションにインスピレーションを与えたという。
平和資料記念館に飾られている千羽鶴を模したドレスやシャツなども登場する。


その後もTANAKAの得意とするデニムを使ったルックも登場するが今回はいつもよりは数が少なかったようにも思える。
だが、肩回りにボリューム感をもたせたジャケットや光沢のあるワイドパンツ、アートワークをプリントしたドレスなどを新たに提案していたのが印象的だった。

平和への祈り。
100年後、本当にミリタリーウェアが必要のない世界が訪れるかは誰にも知る由もない。
ラストのパートでは、ピアノによる「戦場のメリークリスマス」の繊細なメロディが流れ、会場全体に雪が降り注いだ。平和の象徴である千羽鶴を一面にあしらったドレスを皮切りに、全モデルが白を基調としたルックで次々と登場。

真っ白に染まった景色は、国と国の境界線を曖昧にするとともに、ミリタリーウェアが持つ“戦闘服”の役割を浄化させていた。


まるで、パリコレクション25AWのコムデギャルソンオムプリュスのショーをTANAKAなりの答えと提示としてのコレクションを見ているようだった。
コムデギャルソンは戦争なんか必要あるのか?という強烈なメッセージを今現在という”現実”に対して疑問を提示していた。
一方でTANAKAは"100年後"という長く遠い未来を見据え、戦争という絶対悪への祈りと願いを答えとして見出していた。
コレクションのインスピレーション、テーマは近しいものに見えるが、中身はまるで違う。
ただの服が戦争に対して何ができるのだろうか。
何もないかもしれない。
だが、コムデギャルソンオムプリュスや今回のTANAKAのように声を上げることはできる。
そして、それを纏うことこそ、我々ができる反戦の意の1つなのかもしれない。