山仕事の読書ノート② 職業倫理

 「私は木に話しかけないようにしてます。木に話しかけているとむこうも私のことがわかるようになる、そうなるともうその木を伐れなくなってしまうからね。」

 根羽村に来る少し前に訪れた奈良県吉野の林業家の方は古老然とした静かな語り口で極めて自然にそう言った。さすがの吉野林業のベテランの言葉は、たんなる思い込みとは感じられなかった。木を伐れなくなったら商売が成り立たない。「樹木は知性を持っているよ。」その人はそうも言った。樹齢250年と言われる杉の巨木の林は、何かラピュタのロボット兵を思わせるような、悠然と、少し悲しげな雰囲気で我々一行を見下ろしていた。そしてその話を聞いて、宮澤賢治の「なめとこ山の熊」を思い出した。

 熊捕りの名人の小十郎は熊と話すことができるようだ。百戦錬磨の小十郎だが、ある時は母子の熊が月明かりの下でほほえましい会話をしているのを聞いて、胸がいっぱいになって後退りする。またある時は追い詰められた熊が小十郎に「死ぬのは惜しくないがまだやるべきことがあるから二年待ってくれ」と言い小十郎はじっと立ちつくしてしまう。そしてそんな小十郎を、熊たちは好きなのだ。たとえ自分たちの命を奪う者であっても。
熊たちと話すことができるということは、小十郎をとても微妙な世界に誘い込む。
 話のはじめのころ、鉄砲で一疋の熊をズドンと仕留めた後、熊に向かってこう言う。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
その微妙な世界のことを「因果」と小十郎は言っている。これは彼の、「因果」に基づいた職業倫理の表明だ。
ついに小十郎は熊の反撃にあう。
「おお小十郎お前を殺すつもりはなかった。」
「…熊ども、ゆるせよ。」

 根羽村ではご承知の方も多いかと思うが、林業は死亡事故率が他の産業に比べて圧倒的に高い。その内7割は伐倒・造材・集材中に起こる。木に潰されるのだ。これは木の反撃なのだろうか…
 駆け出しの林業作業員である僕は、もちろん木と話すことはできない。今のところその兆しも感じられない。ゆえに話しかけることもない。ただ、年月が経って、なんとなく通じ合うような気がしてきたら、僭越ながら先の林業家の助言に逆らって木に話しかけてみようかなと、今は思ったりする。小十郎と熊たちが知っている、微妙な「因果」の世界を少しでも垣間見てみたいのだ。

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