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存在愛

「愛されるための条件設定」

これを取っ払えたら。。

私の心の健康について考える時
ひたすらの課題かもしれません。

愛されるためには

◆必要とされるような能力がある
◆感謝や愛などを与えられることができる
◆自分のことは自分でできる

少なくともこれらの条件を満たされない限り
「愛される」に相応しくないと26年間生きてきた環境下で
自然と自分自身に設定していました。

「そんなことない」と周りは言ってくれるのですが
私はこれらを除いたときの愛情を認識したことがありません。
与えてくれていたとは思います。
でも認識できたことはありません。

周りにはこれらの条件が一つとしてなくても
愛を存分に与えられ、恵まれる人がいます。

その人に大きく嫉妬し、好きになれず
そんな自分がまたより一層嫌いになります。

無条件に愛されるという感覚は
正直全然わからなくて
何かをしないともらえないものと
ずっと感じて育ってきてるかもしれません。


おそらく誰かに好意を寄せられる時も
「ご飯作れる」
「何かと許してもらえる」
「面倒見てくれる」
「きちんと向き合い、好きでいてくれる」
とかその辺の条件があるから
私のことを好いてくれるのかという観点で
恋愛さえしている気がします。

そのままの自分で仲良くなりたい、なんて思っても
絶対に好きにはなってもらえないと思っているんだと思います。そこまでそのままの自分に自信がない。

だから何をしても愛されてる人に
引け目と羨ましさを感じるんだと思います。

それでも、
そのままの自分を愛されることを
望んでしまっているから
そのためにたくさんのことが出来る様に努力し
たくさんのスペックを身につけ、
現在の「80点女」が完成しました。

それを続けてきた中で

この努力や頑張りを褒めて欲しいのか、
何もできない自分を愛して欲しいのかが
わからなくなって

その愛情を受け取ることが
できていなかったのかもしれません。


ただ、今私ができることは
◆そのままでいること
◆ひたむきに生き続けること
◆腐らないこと
◆自分を一番愛すること

そしていつか、そのままの私を存分に愛して
認めてくれる人たちに囲まれて
死んでいく将来に期待し

まっすぐ生きていくしかできないかもしれません。


同じような感覚で悩んでる人に
少しでも共感と1人ではないということを
感じてもらえたら幸いです。


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