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『違いがありつつ、ひとつ――試論「十全のイエス・キリスト」へ』

 この度、キリスト教出版社のヨベルより、論文『違いがありつつ、ひとつ――試論「十全のイエス・キリスト」へ』を出版することとなりました(2024年11月中旬発売予定)。


 「十全のイエス・キリスト」は私の造語です。「十全」という語には、「ひとつの欠けもないこと」と「多様性がありつつひとつであること」の意を込めています。

  今回の論文で焦点を当てているのは、聖書が体現している「多様性と包摂性」です。多様性(ダイバーシティ)は、現代を生きる私たちにとって大切な言葉のひとつとなっています。と同時に、この言葉が指し示す範囲は広く、様々な文脈で使うことが出来る言葉なので、時に混乱を招いてしまうことがあるかもしれません。
 聖書という書が体現する多様性と包摂性。私なりに表現すると、それは、「違いがありつつ、ひとつ」である在り方です。違いを排してひとつになるのではなく、違いを通してひとつになる在り方を、聖書は私たちに伝えています。固有性(かけがえのなさ)を持った存在として在りつつ、互いに補い合い、活かし合うという在り方。筆者の考えによれば、その「違いがありつつ、ひとつ」である在り方は、新約聖書の四福音書において最も良く体現されています。

 四福音書がそれぞれ異なった視点を持っていることはよく知られている通りです。四福音書にはそれぞれ固有の視点があり、相違があります。そしてそれらの相違をそのままに保存しているのが、私たちが現在手にしている聖書の特徴です。本書の第一部『違いがありつつ、ひとつ ~四福音書の相違と相互補完性』では四福音書を取り上げ、その相違と相互補完性について考察をしています。そして、それぞれの福音書に内在する固有の「キリスト像」がどのように相互に補完し合っているかについて、私なりの仮説を提示しています。

 続く第二部『「十全のイエス・キリスト」へ ~伝統的な聖餐論と開かれた聖餐論の相違と相互補完性』では、今日の聖餐論議を取り上げています。伝統的な聖餐論と開かれた聖餐論という、対照的二つの聖餐論を取り上げ、その相違と相互補完性を考察しています。そして、伝統的な聖餐論と開かれた聖餐論を考察することを通して、四福音書に内在する「信仰告白のキリスト像」と「生前のイエス像」の相違と相互補完性について論じています。

 そのために、今回ご一緒に共有したいのが「十全のイエス・キリスト」という視点です。これは、信仰告白のキリストと生前のイエスが結び合わされることによって立ち現れるキリスト像です。十全のイエス・キリストが体現する「十全なる世界の在り方」を通して、今を生きる私たちにとって重要な課題である多様性と包摂性ついて――私なりに言い換えますと、「違いがありつつ、ひとつ」なるあり方について、ご一緒に考えを深めてゆければと思っています。

 また、この度の論文が、私の所属する日本基督教団が対話を始めてゆくことに少しでも寄与できることを願っています。ぜひお読みいただければ幸いです。


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