追悼 那須正幹さん ~『絵で読む広島の原爆』のご紹介
『ズッコケ三人組』シリーズで知られる児童文学作家の那須正幹さんが、7月22日に逝去されました(享年79歳)。心から哀悼の意をささげます。
私も小学生の頃、『ズッコケ三人組』が大好きで、シリーズを夢中になって読んでいました。那須正幹さんの作品を通して、物語の面白さ、読書の楽しさを教えていただいたように思います。『ズッコケ三人組』のファンクラブにも入り、大好きなあまり、小学5年生の終わりにファンレターを送ったこともありました。小学生である私の手紙に対して、那須さんは丁寧にお返事を下さいました。郵便受けに那須さんからのお葉書を見つけたとき、飛び上がって喜んだことを覚えています。
いただいたお葉書にはファンレターへのお礼に続いて、「今度、広島の原爆の絵本が出ます。もし良ければぜひ読んでみてください」との言葉がありました。その絵本が出版されると、早速購入しました。確か誕生日プレゼントとして両親から買ってもらったように記憶しています。『絵で読む広島の原爆』という絵本でした(文=那須正幹、絵=西村繁男、福音館書店、1995年)。
今回の記事では那須正幹さんへの追悼として、絵本『絵で読む広島の原爆』と私自身の思い出をご紹介したいと思います。
絵本『絵で読む広島の原爆』
『絵で読む広島の原爆』では文を那須正幹さん、絵を西村繁男さんが担当されています。那須さんご自身も広島出身で、3歳のときに爆心地より3キロのご自宅で被ばくをされています(頭と足に軽傷を負ったとのことです)。
この作品の特徴は、上空からの俯瞰した視点(絵本の中では、原爆で亡くなった『空を飛んでいる少年』の視点)で、原爆が投下された前後の広島の町の様子を再現しているところです。
例として、絵本の32-33ページを開いてみます。8月6日午前の鶴見橋の東の様子が、少し俯瞰した視点から克明に再現されています。鶴身橋を渡る被爆者たち、そしてその先の山(比治山)に向かってどこまでも続いてゆく人々の行列……。
復元図の下には次の那須さんの文章が添えられています。
被爆した人のほとんどが、自分のそばに爆弾が落ちたのだと考えました。しかし、炎の中をにげていくうち、その考えがまちがっていたことに気づきます。にげてもにげても、町は廃墟と化していました。どこにいっても、大勢の死傷者がたおれていました。
巻末には、それぞれの復元図の解説も付されています。絵本の中に描かれている光景は綿密な取材と聞き取りによって復元されたものであることが分かります。
被爆者(左から):たびたび黄色い液を吐きながら歩く人/道の真ん中で腰をぬかし歩けなくなって泣き叫んでいる人。しかし誰も目もくれなかった。みな自分のことさえどうしてよいかわからなかった/子どもが家の下じきになり泣きわめいている父親/「みんな逃げるな! 闘うんだ!」とさけび抜刀する将校/重傷者を戸板に乗せて、比治山野戦病院へ運ぶ暁部隊兵士 …(巻末の解説より、77頁)
小学生の頃、私が特に心動かされたのは、この巻末の解説でした。絵本の中にはたくさんの被爆者が描かれていますが、その一人ひとりはただ想像で描かれたのではなく、実際の証言や手記に基づいて描かれていることを理解したからです。巻末の解説を読んではまた復元図を眺め、また解説を読んでは復元図を見つめる、ということを繰り返しました。その作業を通して、原爆の悲惨さと恐ろしさを少しずつ感じ取ってゆくことができました。
復元図の合間には、原爆が投下されるに至った経緯や原子爆弾の原理、放射線障害と原爆症、戦後の核軍拡や原子力発電などについての解説も記されています。
原爆を描いた児童書は数多く出版されていますが、そのほとんどが個人の被爆体験を描いたものなので、子どもたちが原爆の全体像を捉えることができるガイドを新たに出せたら、との願いのもと作成されたのがこの絵本であるとのことです(『あとがき』を参照、84ページ)。
子どもたちへの平和教材、核問題資料としても、最適の絵本であると思います(もちろん、大人にとっても。私も毎年8月6日になると、この絵本を大切に読み返しています)。
小学6年生の頃のこと
『絵で読む広島の原爆』と出会ったことをきっかけとして、自分の内に少しずつ広島の原爆への関心が呼び覚まされてゆきました。
この本が出版された年は1995年、ちょうど戦後50年の年でした。新聞やテレビでも盛んに戦後50年の特集が組まれていたことを記憶しています。
小学6年生だった私は、夏休みの自由研究で広島の原爆を取り上げました。当時私は大阪に住んでいましたが、母方の叔母が広島にいますので、叔母に案内してもらい実際に原爆ドームや原爆資料館(広島平和記念資料館)などを訪ねて歩きました。大阪に戻ると、撮った写真や自分の絵を織り交ぜながら、当時の私なりに理解した広島の原爆の全容をスケッチブック一冊にまとめました。もちろん、『絵で読む広島の原爆』を大いに参照させてもらいながら――。
この小学6年生のときの広島訪問と自由研究はいまも私の中で大事な経験として残り続けています。核の恐ろしさを主体的に学び、「自分ごと」として考えてみる、その初めての経験であったかもしれません。
もちろん、戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさは、それを実際に経験した方でないと分からないことです。私たちはそのすさまじい悲惨さ、恐ろしさを自分なりに想像することしかできません、しかし、そのように想像し、想いを馳せてみることが大切なのではないでしょうか。
自分がもしその人の立場だったら。自分がもしもそこにいたら。そのように想像してみることが、事柄を「自分ごと」として受け止めることに少しずつつながってゆくのだと思います。
読者の子ども一人ひとりを大切に
『絵で読む広島の原爆』を読み、広島の原爆を自由研究で取り上げたことを那須さんにもお手紙で報告しました。するとまた丁寧にお返事をくださいました。自由研究で広島の原爆を取り上げたことを喜んで下さり、「良い自由研究ができたことでしょう」とのねぎらいの言葉も寄せてくださいました。その後も何度か、那須さんとはお手紙のやり取りをしました。読者の子ども一人ひとりを大切にされているその姿勢、子どもたちに良き種を蒔き続けていらっしゃったその姿勢、本当に素晴らしいと尊敬しております。
この度改めて小学生の頃のことを思い起こし、那須正幹さんへの感謝の想いと敬意の念を新たにしております。
那須正幹さん、ありがとうございました。