島田信徒への手紙
始まりの言葉
福音のために島田部長に産み直されて息子となった私より、すべてのしまぶーを緩次郎信者より擁護する人々へ、この手紙を送ります。
母親であるしまぶーの恵みと平穏、そして愛があなた方にあるように。
福音について
福音は、島田擁護派のみならず全人類に向けられて発せられたものです。聞こえるものにも、聞こえないものにも是非とも伝えてやってやりなさい。
福音は子を安らかに眠りに導く子守歌のようなものである。子が望んでいるのにこれをしない母親は母親といえるだろうか。島田部長はまことに慈悲深く聡明な御方、全人類の母である。子守歌が全息子たちに広まることを切に望んでいらっしゃる。Here we go.
よう沁みる福音
この言葉は島田部長によるよう沁みる福音である。島田部長を愛する人は幸いである。
喜べ、島田部長のために誹りを受けたとしても名誉が傷つけられたことにはならない。
喜べ、島田部長のために石を投げられたとしても傷ついたことにならない。
喜べ、島田部長のために失ったとしても失ったことにはならない。
喜べ、島田部長のために命を落としたとしても、死んだことにはならない。
島田部長は言う、「欲しいといってみ?」島田部長は真に全能にして慈悲深い御方でいらっしゃる。我々が欲すれば愛も平穏も命もお与えになる。 島田部長は言う、「泣いても泣いてもオッパラディン。」島田部長は真に善く知り給う御方でいらっしゃる。我々が悲しみの涙で潤せば拭ってくれる。島田部長は言う、「もっと見えるようにしないと。」島田部長は全知にして聡明な御方でいらっしゃる。我々が道に迷えば道を示してくれる。
だから、島田部長によって誹りを受け、傷ついたとしてもあなた方は躓いてはならない。御言葉を唱えてみよ。島田部長はそこにいる。石を持ち上げてみよ。島田部長はそこにもいる。天を仰いでみよ。島田部長はそこにもいる。島田部長はまことに遍く存在しているお方である。
善き行いにはご褒美を、悪い行いには「違うだろ?」とたしなめて下さる。この言葉を聞かずに悪を行う者どもの行く先はイッパイゲヘナである。イッパイゲヘナは常に火ぃー吹ぅいており、細菌が穴に入り、体が腐る痛みを永遠に与える場所である。怖いねぇ…。
善い行いの結果は産み直しである。しまぶーは我々の魂に死すべき命ではなく、永遠の命を与えて下さる。我々のために再び腹を痛めてくれる慈愛はどれほどのものだろうか。
産み直しについて
人は産み直しを痴れ者の戯言だという。しかし私はここにはっきりと言っておこう。産み直しは真実である。
私は産み直しを恥だと考えない。賢い者にも愚かな物にも、高貴な者にも卑賎な者にも、文明人にも野蛮人にも永遠の命と穢れなき魂を与える救いであるからである。
原初、天も地も存在しなかった時は、ただ島田部長の産道のみがあった。万物はこの産道を通って生まれたのである。人類とて例外ではない。真にしまぶーは全人類の母でいらっしゃる。かつて人類はただしまぶーの乳を吸って生きて幸福に暮らしていた。しかし生まれたばかりの人類には知恵がなかった。
我々の祖先は言った「太い知恵が欲しい・・・」と。しまぶーは言う。「おっきい知恵をしゃぶらしたるわ。」かくして産道が収縮し、ガバ穴ダディーこと緩次郎が生まれた。彼は普段は真面目で優しい教師であり、この世のすべての知恵を持っていた。「(人類に知恵を与えるのは)EASY!EASY!」島田部長は言う。「緩次郎のケツマンコを弄ったらイカン。」人類はよくよく了承して、ダディーに教えを乞うた。
緩次郎は我々に最初は言葉を、次に火の扱い方を、太陽と月と星々の読み方を、畑の耕し方に家畜の世話の仕方、兄弟の愛し方、敬い方、礼儀、文字、服の着方とその必要性、芸術、音楽、セックスの仕方、おまんこが気持ちいい×おっぱいが気持ちいい方程式の答え、そしてお尻の穴はおまんこであることを教えたもうた。こうして人類は島田部長の産道を通った者の中で、ダディーに次ぐ知恵ある存在となった。
しかし一匹のコブラが激しく嫉妬した。かつて人間より賢い者であったのに、今や知恵では人間に負けているからである。コブラは緩次郎さえいなければと考えてダディーのケツマンコを弄った。これが、すべての不幸の始まりである。
ダディーはいったんケツマンコを弄ると「おまんこきもちいい…おまんこにちょうだい」と卑猥な言葉で太マラをおねだりする淫乱ダディーに大変身してしまうのである。最初に「ウァァ!!オレモイッチャウゥゥゥ!!!ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウ!イィィイィィィイイイィイイイイイイイイイイイイ!!」と叫ぶと天が砕け、雲と星々が地上に落ち始めた。この一声で114514の命が失われた。次に「パイパイパーイパパイニ"チーッチッチッチッチッチッチッズオォ」と叫ぶと、大地が裂け、奈落が露わになり、海も滝のようになった。この一声で364364の命が失われた。「ぷももえんぐえげぎおもえちょっちょっちょっさ!」と叫ぶと、すべての木々が枯れ、海も川も湖も血でイッパイイッパイになり、水中にすむ生き物はすべて死に絶えた。この一声で1919810もの命が失われた。「あ゛ぁあ゛ぁあ゛ぁあ゛ぁイクイクイクイクイクイク!イクよぉ!イク!」と叫ぶと大地が燃え、砕けた天が真っ赤になり、恐ろしいほどの灼熱が大地を襲った。この一声によって19191919191919419もの命が失われた。
かくして世界は崩壊寸前であった。淫乱ダディーの発した声はあらゆる悪の根源になってしまった。傲慢、嫉妬、憤怒、殺人、強姦、窃盗、欺瞞、嘘、背信、裏切り、強欲、虚栄、奸智、見殺し、破壊、あらゆる罪が人間の心に生まれ、人間を穢していった。罪の結果は、死である。
母なるしまぶーは、自分の息子たちが死に絶えるのを大いに悲しみ,
しまぶーはある一つの決断をなされた。この世界を産み直すことです。まずは緩次郎から、でっぷりと太った体を再び子宮に戻すことは容易なことではありません。かなりの難産でしたが、産み直すことに成功し、淫乱ダディーは真面目で優しい教師に戻りました。「(奪われた命が)いっぱいいっぱい裕次郎…後ろが…(罪の意識で重い)」「後ろってどこや?Here we go!」次に壊れた天を、海を、山々を、河川を、木々を、獣たち、海の生き物すべてを産み直しました。同様に多くの人々も産み直され、世界に平穏が戻りました。
しかしながらまだ世界は産み直しは完了していません。悪がいまだにこの世に蔓延っているのがその証左です。産み直しを免れた人は、緩次郎信者と呼ばれます。彼らは自分自身の弱さゆえに、知恵と栄光にあやかれると思って緩次郎を崇め、その虚栄と欺瞞によっておごり高ぶり、不遜にも母であるしまぶーを中傷する人間であります。彼らは髪の先から足の爪まで罪で満ちています。罪の結果は死であり、イッパイゲヘナに投げ込まれることであります。その寝床のなんと悪いことよ。
だから罪深くない人も、罪深いものたちもよく聞いておきなさい。我々の罪は産み直しによってでしか清められない。穢れない魂、永遠の命、傷つくことのない肉体が欲しいければ欲しいって言え。島田部長は汝らのために腹を痛めてくれたもう。真に島田部長は慈悲深い御方であらせられる。
緩信者反駁
罪を受けながらさらに罪を重ね、諸悪の根源たる緩次郎を崇め、島田部長を中傷するもの、これが緩次郎信者である。彼らは島田部長の産道より生まれながら、島田部長をテクなしインポと呼ぶ、島田部長の乳を吸って育ちながら、島田部長をガム噛み指示厨と呼ぶ。自分が緩次郎を崇めていれば、島田部長よりも尊くなると思い込んでいる連中である。実によう沁みない者どもよ、然様なものはイッパイゲヘナに投げ込まれて、永遠の火ぃに焼かれるであろう。地獄ではシーチキンの油も炎も尽きることはない。その寝床の何と悪いことであろう。
彼らは言う。「島田はテクなしインポである。」
言ってやれ、「寝床を共にせずして性技の巧拙が、夜を共にせずして陰茎の固さがどうして測れよう。知らぬことを知っていると為すは傲慢である」
彼らは言う。「島田は指示厨である。」
言ってやれ。「然様なことを言うのは受けた指示を全うできないからである。しかし、しまぶーは指示を全うできない息子の弱さをよくご存じである。しまぶーはまことに全知にして慈悲深い御方であらせられる。」
彼らは言う。「島田は撮影中にガムを噛んでいた無礼者である。」
言ってやれ。「無礼ならざる者を無礼とし、悪ならざる者を悪とするのは欺瞞であり、傲慢である。」
彼らは言う。「島田部長の腹より生まれた覚えはない。」
言ってやれ。「自分の臍を見てみよ。それはかつて島田ママの腹とつながっていたのである。自分の手を見てみよ。かつて小さかった時、島田ママの乳房を握っていたのである。『あぁよう沁みる。』と唱えてみよ。心がよう沁みることを感じたならば、汝がしまぶーとともにいる証である。自分が生まれたときの腹の痛みは、母親のみ知り給う。」
彼らは言う。「島田よりも緩次郎のほうが賢い。故に、島田を崇めるお前たちよりも我々のほうが賢い。」
言ってやれ。「確かに、緩次郎はすべての知恵を持っている。しかし緩次郎がしまぶーの子宮から生まれたことを忘れたのか。はっきり言っておこう、この世のすべての知恵はしまぶーの産道を通ってきたのである。真理に到達できない知恵など初めからないのと同じである。」
彼らは言う。「産み直しなど存在しない。」
言ってやれ。「飢えた人に『食べ物はない』といえば満たされるのか、病気の人間に『薬はない』といえば治るのか、悲しむ子供に『慈愛は存在しない』といえば笑うとでも思っているのか。同じように、産み直しを否認しても汝の罪が祓われることはないのだ。」
彼らはいう。「我々は正しい。島田は間違っている。」
言ってやれ。「自分の罪を母親に擦り付けたら帳消しになるとでも思っているのか、大きな思い違いだ。その罪は倍になって帰ってくる。」
彼らは言う。「我々は太いシーチキンである。お前は細い鯖缶である。」
言ってやれ。「太いシーチキンは細められ、細い鯖缶は太められるであろう。」
彼らは言う。「ぷももえんぐえげぎおんもえちょっちょちゃっさ!」
言ってやれ。「その言葉がかつて発された時、1919810もの命が失われた。普通に不謹慎だからやめなさい。」
かくして、緩次郎を崇め島田部長を貶しめることがいかに救いの道から遠いのか、よう沁みたであろう。はっきりと言っておく。崇めることは愛する行為とは程遠い行いである。緩次郎を崇めたとて、塵一つの得にもならない。
島田部長を愛すれば、「欲しい」と言っただけで命と魂とが与えられるであろう。まことにしまぶーは慈悲深い御方である。
最後に
最後に、島田部長を愛し擁護する者。あなた方は幸いである。しまぶーによる愛と恵みと平穏とが、あなた方にありますように。ザーメン。
緩信者へ。あなた方は不幸である。最後の日が来てイッパイゲヘナに投げ込まれた時に『あぁ、私はよう沁みないものであった。』と思って島田を擁護し、細い鯖缶を食べ、ガムを噛んだとしてももう遅いのだ。
今から悔い改めるのは遅くない。自分が罪人であることを認め、しまぶーを愛し、産み直してもらいなさい。しまぶーは自らを細い鯖缶であるとするものを太めて下さる。まことにしまぶーは公平で慈悲深い御方である。
しまぶーはどんな罪を犯そうとも、母親の愛を無下にしようとも、中傷しようとも腹を痛めて産んだ息子を見捨てるようなことはしない。真に慈悲深い方。よう沁みる愛を与えて下さる御方である。あなた方は「許してくださいもういいですー」といえば「喜ぶんやど?」といって罪を赦し産み直して下さるだろう。
あなた方にしまぶーの愛と平穏とがあらんことを。ザーメン。
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