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【参加録】ノラ -あるいは、人形の家-

どうもこんにちは、ニールと申します。

夏川さん主演の劇「ノラ -あるいは、人形の家-」5/26昼公演に参加しましたので、感想や気付きをまとめます。

はじめに

今回の劇は以前観劇した「未婚の女」などと違って複雑ではなく、むしろストレートに我々観客に意見を投げかけるものであったと感じています。

故に殊更考察するまでもなく、むしろそれを観た自分が何を考えたのか、それが大事かなと思います。

以下に連なるのは全てが私の個人的に意見ですし、どれが正しいということではありません。
今これを読んでいるあなたが感じたことが私と違っているなら、あなたもまた文字にしてみれば違った発見が出来るかもしれませんよ。


・気付いたこと

今回一回しか観劇することが出来なかったので、色々と気付いたことはメモしていました。
ざっくりと乗せていきます。

・鏡板の松
能舞台といえば、大きく描かれた松ですね。
今回の舞台ではあまりフォーカスされることはなくて、クリスマスツリーとして存在するだけでした。
途中で一点、トルヴァルが「神への信仰心は無いのか」とノラに問いかけるシーンでこの松を指しています。
単純にクリスマスツリーを指しているものと思いますが、能舞台の松は実像では無くて舞台正面にある松が写っている虚像に過ぎません。
このシーンは「神は虚像に過ぎない」というふうにも読み取れて、ちょっと面白いなと思いました。

・階(きざはし)
舞台正面にある「階」は現在の能では使われることがないようです。
しかし今回のみならず、「未婚の女」においてもこの階に腰掛けるシーンがありましたね。
階は舞台と地面の境界線、ここに腰掛けるということはつまり舞台から降りる、退場してしまう瀬戸際にあったのかもしれません。
結局マリアは舞台で死に、クログスタは一からやり直す事を決めたという点では、ここに腰掛けた者は一度終わるということになるのでしょうか。

・ラジコンヘリ
深作さんの舞台では、過去の作品と現代を繋げるためなのかしばしば現実のニュースが持ち出されることがありますね。
今回の舞台ではイスラエルなどの紛争のニュースが読まれていましたが、その時に娘エミーが操縦していたラジコンのヘリが墜落してしまうようなシーンがありました。
つい最近、イランの大統領のヘリが墜落してしまったニュースを読んでいたのでそこでグッと臨場感が増したように思いました。

・人形の家
今回の劇では、夏川さん演じるノラがコスプレをして歌い踊るシーンがありますね。それを事前に知った私は、それが着せ替え人形のように感じて「人形の家」とはそういうことなのかなと思っていました。
この点は翻訳家の大川珠季さんもツイートされています。

さらには深作さんは水戸公演の衣装を募集されていました。

まるで我々観客も人形遊びの一員であるように思えてきます。
あなたはノラにどんな服を着せたいですか?

劇中ではノラとトルヴァルが暮らす様を「人形遊び」と例えています。
ノラをお気に入りの人形のように可愛がるトルヴァル、エミーを人形のように可愛がる二人。
大人になり切れず、自分を犠牲にし続けてきたノラが「人形の家」から出て行って劇は終わります。
最後にはエミーの手でイスの上に置いて行かれた人形がひとつ。

さて、ここでパンフレットを確認してみましたが気になる点が一つ。
エミーの紹介文には「いつも奇妙な一人遊びをしている。」と書かれています。
しかし劇中、エミーの遊びには奇妙と評するものは無かったように思います。本を読んだり、ラジコンをしたり、ピアノを弾いたりと至って普通。
人形を触ったのも、退場する前にイスに座らせる一回だけでした。

ここで仮説。
「人形の家は、エミーのしていた人形遊びにすぎなかった。」
最初から最後までずっと、我々はただのおままごとを眺めていただけだったのかもしれません。


・感想

夏川さん、歌もダンスも演技もとても素敵でした。どんどん場数が増えてきて貫禄も出てきたように感じます。これからも応援しています。
宮地さん、地に足のついた演技にとても引き込まれてしまいます。
荻沼さん、落ち着いた演技と激しく優雅なダンスのギャップが素敵でした。
川久保さん、どこか焦燥感のあるクログスタの「動」の演技が印象に残っています。
高山さん、クリスとクログスタのシーン、感情が爆発するかのような演技が素敵でした。
塩谷さん、死に向かうランクの無力感がやるせなくてたまりませんでした。
寺戸さん、「行ってらっしゃい」という一言。その一言がまだ心に残っています。

夏川さんを観に行ったはずが、気付けば他の役者さんの演技にも魅了されてしまうことがよくあります。
今回の劇は現実にも居るような「嫌な人」という演技がとても刺さりました。
特に宮地さんの演じるトラヴァルの生々しい「嫌な感じ」が抜群に出ていて、観ているこちらも胃がムカムカするような気分でした。

結局今回の舞台では「まともな人」は居なかったように思います。
しかしながら、誰が悪いというわけでもなかったのかなとも感じました。

タイトルの通りに、最後の独白の通りに、誰も彼もが人形の家から出られていないから。
大人になることも出来ず、子供に戻ることも出来ず、狭い家の中で人形遊びをしているだけ。

「人間」にならなければいけない。
1人の人間に。

ノラの言葉が強く刺さっています。

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